AKB48の経済学の続報

 アマゾンのサイトをみたら内容紹介があったので抜粋。230ページほどなのでもちろんこれは氷山の一角。主要メンバーの特徴を定義したAKBマトリックスとかも開発。AKBを批判した「あの人」(ヴォルデモートじゃないよ)にもきっちり反論。デビューから現在までの歩み、総選挙やじゃんけん選抜のもつ意義も深くほりさげました。完成品を読むのを一番楽しみにしているのは著者自身だったりします 笑)

AKB48はデフレ不況が生み出した? 「おニャン子クラブ」「モーニング娘。」のビジネスモデルとは何が違う? AKB48がもたらす「心の消費」とは? 芸能界と日本型雇用システムの関係は? アイドルも地産地消の時代を迎えた? 人気アイドルグループ「AKB48」を題材に日本経済を読み解く。AKB48がわかれば日本経済がわかる!

たぶん世界で最初のアイドルを扱った経済学の本でしょう。AKB48の世界をより深く知りたい方に特に読んでもらいたいです。

AKB48の経済学

AKB48の経済学

「アニメ定量分析」

 最近は毎週『SAP!』を購入している。サンキュータツオ氏と山本幸治氏の「アニメ定量分析」をファイルに収録しておくためである。大学の図書館にはないし、また近所の図書館でも見当たらない。連載第一回は最近10年くらいのアニメの放映話数の推移をもとにしたアニメ産業の動向が展望されていた。ここで両氏の話には出なかったが、やはり世界同時経済危機による広告支出の急減や、また97年のときにそもそも深夜アニメが興隆したきっかけでもあるよりコストの低いアニメ供給チャンネルの出現(ニコニコ動画など)が、今度は深夜アニメ自体も苦境に直面させているのではないか、と思う。

 第1回はそんなわけで両氏の話というよりも勝手に僕が想像を広げる素材があっただけだが、二回目以降はより深夜アニメを中心にその収益構造が明らかにされていて面白い。例えば深夜アニメはDVD販売に依存していること(8割)、そしてネット配信や劇場公開でもその収益は限界があることが話されている。

 ここで山本幸治氏は「“萌え”がアニメを殺す」という命題を掲示している。それは以下のようなものだ。

山本「コアなアニメファンが求めるような“萌え”や“キャラ”に先鋭化された作品に、『トイストーリー3』を見るような一般人がついていけなくなり、断絶と縮小が加速していくことだよ」
  「DVD観ないと理解できないようなテレビ番組として成立しないものを放送……むしろテレビが断絶を加速している。この断絶した状況では、たとえ値段を下げても一般層は買わない。今は、単価が高くても買う、コア層の忠誠心を試す商売になっていて、先細りしかない。これが僕の言う『萌えがアニメを滅ぼす』状態ってこと」

確かにDVDと深夜アニメの事実上の「抱き合わせ販売」は消費者の側に大きな損失を発生させてしまうだろう。

 第3回は“萌え”に依存しないアニメ作り、そして二万枚でペイするアニメ作りの可能性として、「海月姫」があげられていた。ここらへんの間口の広がりは本当にあるのかどうか。興味深いところではある。

「知っておきたい日本のこれから」in『週刊現代』でのコメント

先週の『週刊現代』でコメント寄せた記事がネットで読めますのでご紹介。ブログではちょっと記事の題名を間違えて掲載してすみませんでした。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/1590?page=7

「日本経済が立ち直れない最大の責任は、日銀の犯罪的な怠慢にあります。彼らは、多くの国が採用しているインフレ目標政策(ゆるやかなインフレを目指す政策)を採らず、20年もデフレを放置した。国民が被った苦しみは計り知れません。 白川方明総裁は辞任し、日銀はすぐインフレ目標政策を導入するべきです。そうすればデフレは終わり、円高も財政悪化も産業の空洞化も就職難も解決に向かいます。決して難しいことではありません」

 とても正直に自分の胸中を述べているコメントになってます。

飯田泰之『ゼロから学ぶ経済政策』

 経済政策を初心者にもわかりやすく解説することを目的とした飯田さんらしいコンパクトでわかりやすい新書だと思います。岩田規久男先生との共著『ゼミナール経済政策入門』の準備段階としてぜひ読んでもらいたい本でもあります。

 まず本書は「幸福」を経済政策の目的として議論していきます。不思議なものですが、経済学はレトリックとして「人々の幸福を改善する」とはいますが、なかなかちゃんと定義されたものとして「幸福」をつい最近までその政策目的としてはいませんでした。ここで飯田さんが定義されたものとして「幸福」を経済政策の目的として、それを入門段階で議論しているのは本書の最大の特徴といえるでしょう。

 ところでこの本は実践的で割り切りのいいやり方でこの「幸福」を扱っている点にも特徴があるといえそうです。冒頭、飯田さんは「幸福」には二種類の視点があると提起しています。1)そもそも国民の幸福とは何かを価値判断を含めて考えてそれを「幸福度指数」のような集計量にまでまとめるやり方、2)価値判断を極力排除して、パレート改善型の幸福を考える。

 後者の方は、「ある人は今よりも幸せになって & その人以外のみんなは少なくとも今より不幸になっていない」ならば世の中が改善したと考える立場です。

 ここで本書の扱う3つの経済政策(成長政策、安定化政策、再分配政策)のうち、前二者はパレート改善的な幸福の問題でほとんど考えることができ、最後の再分配政策だけ幸福度指数的な話題が関係してくると、見通しを述べています。この技術的な割り切りは面白いのですが、読者としてはふたつの幸福をめぐる価値観(パレート改善的な幸福も弱いものとはいえ価値観をもっています)が経済政策の間で対立や補完する可能性に思い至ることでしょう。この点についてももちろん本書は下にも書きましたが基礎的な議論を提供しています。

 さてしばしば日本でも議論されているのは、経済的な豊かさの増加が、幸福を向上させるかです。これについて飯田さんは本書の冒頭で、ブータンなどの議論を例にあげたりして、簡潔に、経済的な貧しさが幸福度を向上させることはまずない、ということを例証します。これは重要な指摘、というか僕には常識に思えてるのですが、日本では一部の論者は「経済成長をあきらめてみんないまより貧しくなればハッピー」に類したことをいっているのを耳にするにつけて、この飯田さんの議論は大切ですね。

 あたりまえですが、人の幸福は経済的豊かさだけではなく、多様な要因がからんでくるものであります。ただ単に経済的貧困を称賛することが幸福に繋がる(逆に経済的豊かさだけが幸福につながる)と狭隘に考える必要はないわけです。経済学は単に自分で語れる守備範囲を限定して(価値判断をとりあえずめーいっぱい縮減して)発言しているだけなのですから。

 本書でいう安定化政策というのは簡単にいうと景気にかかわる政策、成長政策というのはいまも少し議論した一人当たりGDPを議論する政策、そして再分配政策は本書の立場を簡潔にいうとそれは「保険」の問題といえます。

 ジョン・C.ハーサニーの「公正観察者」(飯田さんはそれを人間がまだコウノトリの籠の中にいる「命の種」の段階での観察、という可愛い比喩を利用します)という概念を利用して、再分配政策を「命の種への段階で加入した保険」とします。

 「再分配政策はこのような生来の不幸、いわゆるハンディキャップだけではなく運や性格や気質まで含めたものへの保険という性質だけではなく、安定化政策や成長政策のサポートとしての役割もあります」

 ここで公正な観察者からみた保険としての再分配政策は、不幸を縮減する社会的な仕組みとして、パレート改善的な幸福の増加をめざす成長政策や安定化政策と補完的な役割にあるといえます。ただ冒頭でのふたつの幸福の視点のうち、ここで語られている公正な観察者からみた保険としての再分配政策は、あくまでもパレート改善的な幸福という視点から語られたものだといえることに注意しておきましょう。
 
 本書の半分をしめる成長政策や安定化政策はぜひ同書を手にとってその中身を読んでいただきたいのですが、僕が個人的に興味を特に魅かれたのがやはり再分配政策のところです。いままで書いたきたところもそうなんですが、岩田先生との共著と今回の本との差異は、やはり幸福という考えを実践的に導入しているところ(保険としての再分配政策もそのような実践的な視点からのものです)だと思います。

 再分配政策の章もパターナリスティック・リバタリアンの視点への配慮、ベーシック・インカムとその現実的設計、いまの日本の社会保障制度の問題点など話題は多彩です。

 しかし本書の冒頭で飯田さんがあげた幸福指数的な議論と、公正な観察者からみた保険としての再分配政策(これは上に書いたようにパレート改善的な幸福を不幸の縮減から見たものです)との拮抗というか、対立的な局面が、僕にはあまりはっきりと論じられていないことがちょっと不満といえます。というか本書の冒頭で「そして経済成長や景気対策の側面で生じた貧富の差や損得に対応する第四章の再分配政策にいたってはじめて幸福指数タイプの議論を行えばよいのです」としながら、実際には再分配政策のところでも、パターナリズム自由主義との議論のところで、この幸福指数タイプの議論をパターナリズムの議論と結び付けてそれをそれを事実上議論から放逐する記述を採用しています。なので本書全体はパレート改善型の幸福で経済政策の成果が評価されることになっています。

 個人的には幸福指数タイプの議論をパターナリズムにあずける議論がはたしていいのかどうか疑問を抱くのも事実です。いや、正しくいうとここで幸福指数のタイプの議論が行われているのかどうかさえも僕は十分に判断しかねているのです。簡単にいうと幸福指数タイプの議論(国民にとって優先されるべき幸福とはそもそも何か)は実は本書では論じられていないのではないか、というのが僕の疑問です。

 本書は非常に簡潔に整理されていて、また岩田先生との共著からどのように飯田さんが政策論争の中で自らの考えを深めていったかがわかり勉強になる本です。いくつかの疑問もあったのですが、経済政策を語る統一的な視点を得るための最初の一歩として広くすすめたいと思いました。

竹森俊平「地球を読む」in読売新聞11月21日より

 近所のファミレスにいったら読売新聞があり、そこで竹森さんが論説を寄稿していた。最近の国際経済の良質の展望になっている。

 まずG20における米国の主導による経常収支の数値目標導入の頓挫の背景を通して、最近の主要国における内向きな政策志向をするどくまとめている。

 例えばドイツ。ギリシャの財政危機を契機に一時期ユーロ圏の崩壊が危惧され、それがユーロ安を招いた。しかしこのユーロ安がドイツ経済の成長率を急速に回復させた。もしマルクだったらマルク高になったから、このユーロのうまみはドイツにとって忘れられない。

 このユーロ安の恩恵は、1)通貨安の景気浮揚効果が大きいこと、2)ドイツは経済危機が去ったと判断し財政緊縮に転換した、というふたつの帰結をまねく。
 
 そこでドイツにとってはユーロ圏の安定のためには、米国の量的緩和政策の大規模な増加は為替レートの不安定性をますので批判すべき対象になる。

 対して米国は、中間選挙の敗北で財政政策の拡大はしばられたので、量的緩和政策の拡大に期待するしかない。この量的緩和政策によって米銀の勘定に流れたドルで、米銀は海外資産を買う。ユーロ資産も買うだろうからこれはユーロ高になりドイツの利害と一一致しない。

 だが竹森さんはどの国にも為替の問題には、日本のようなデフレの国は量的緩和すればいい、そうすれば世界景気浮揚効果も増す。ここはまさに同意するところであり、日本はその金融政策を積極的に使うことで「通貨戦争」に参加することがいいともいえる。

 ではインフレ気味の国は? 新興国は資本輸入規制が考えられる(ブラジルとか)。しかし中国はこれに加えて為替介入も行いドル買い・元売りをしている。これは米国からみれば肯定できない。なぜなら米国が批判している「通貨戦争」とはまさにこの中国の為替介入のことであり、最大の経常収支赤字の対象国である中国が問題の核心だからである。このような米国の政治経済的な姿勢は、中国との政治的摩擦を今後も生み出すであろう。

 先のドイツ+ユーロ圏と米国との対立、日本などの世界同時景気浮揚政策への乗り遅れ、中国と米国との対立、各国の政治的不安定性と内向きな政策の採用など、世界経済の不安定性は増している、というのが竹森さんの指摘である。

 特にドイツと米国との関係が僕にはよく整理されていて使える。こういう分析は竹森さんはきわめてすぐれていると毎回思う。