特攻兵器「桜花」は、日本軍の「忖度」が生んだ哀しい失敗作だった

また同じことをくり返すのか…

「忖度(そんたく)」という言葉を聞かない日はない。「以心伝心」や「空気を読む」という言いまわしもあるように、日本人の日常に「察する」行為は深く根づいている。

しかし、新著『技術は戦略をくつがえす』(クロスメディア・パブリッシング)を発表した防衛装備庁技術戦略部の藤田元信氏は、「忖度」や「以心伝心」を優先して、徹底した議論を避けることは「思わぬ悲劇を生む可能性がある」と警鐘を鳴らす。

ドイツは、1930年代から、ヴェルサイユ条約の制限を受けない弾道ミサイルの研究開発に注力し、他国の戦略を破壊することを目指しました(詳しくは、拙著『技術は戦略をくつがえす』を参照ください)。

あまり知られていないことですが、実は、日本でも同時期にミサイル(誘導弾)の研究開発が行われていたのです。

しかし、実戦に間に合わなかったためか、1946年にアメリカ陸軍省がまとめた「ドイツと日本のミサイルハンドブック(Handbook on Guided Missiles of Germany and Japan)」には、誘導弾については何も書かれていません。

その代わり、日本が実用化した唯一のミサイルとして、特攻兵器「桜花」が取り上げられています。

桜花をミサイルに分類するかどうかは判断が別れるところですが、今回は、あいまいな意思決定によって開発が決まり、結果として多くの悲劇を産んだこの特攻兵器「桜花」を取り上げ、現代への教訓を考えてみたいと思います。

 

「一発逆転策の追求」は衰退の第四段階

ジェームズ・C・コリンズの名著『ビジョナリーカンパニー③ 衰退の五段階』は、優れた企業が繁栄を極め、その後没落した事例をいくつも分析し、そのプロセスを五段階に分けて整理しています。

それは「成功から生まれる傲慢」に始まり、「規律なき拡大路線」「リスクと問題の否認」「一発逆転策の追求」を経て、「屈服と凡庸な企業への転落か消滅」に至るというものです。コリンズは加えて、どのような優れた組織でも衰退する可能性がある、と述べています。

足かけ4年の大東亜戦争で、真珠湾攻撃やマレー沖海戦における華々しい勝利から、南太平洋やビルマ方面での苦闘を経て、無条件降伏へと向かった日本軍にも、コリンズの分析を適用して考えることができるでしょう。

日本側から見た大東亜戦争の流れを「衰退の五段階」に当てはめると、おおむね次のようになるのではないでしょうか。

[第一段階]真珠湾攻撃およびマレー沖海戦での大勝利と、その後の傲慢(=予想を越えた大勝利に起因するおごり)
[第二段階]その後の各戦線での快進撃(=どこまで戦線を拡大するか最終的なビジョンが共有されないまま、各戦線を拡張)
[第三段階]敗北を重ねつつ、戦略転換に失敗(=ミッドウェー海戦やソロモン方面の敗北にもかかわらず、戦線の縮小を含む戦略の根本的な見直しを行わず)
[第四段階]特別攻撃隊の編成と特別攻撃の実施(=一撃必沈の体当たり攻撃の計画と実施)
[第五段階]敗戦

神風特別攻撃隊に始まる一連の特攻は、まさにコリンズが指摘した「一発逆転策の追求」そのものと言っていいでしょう。この段階では、人類史上類を見ない、兵士の生還を前提としない特攻兵器の開発が行われ、一部が実際に使用されました。特攻兵器「桜花」もその一つでした。

生還しなくても「任務成功」

「桜花」をはじめとする、兵士の生還を前提としない特攻兵器と、他のあらゆる有人兵器の最大の違いは、設計の前提となる「任務成功の定義」にあります。

特攻兵器以外のあらゆる有人兵器の設計の前提は、無事に攻撃目標に接近し、かつ、攻撃目標を破壊し、なおかつ、無事に攻撃目標から離れることができて、はじめて任務成功と言える、というものです。小学校などで「家に帰るまでが遠足です」と教わるのと同じです。

ところが、特攻兵器の設計の前提は、攻撃目標を破壊した時点で任務成功、というものでした。特別攻撃のためだけに生み出された兵器は、くり返し使用することを前提としていなかったので、着陸に必要な車輪など、生還するために必要な機能は開発段階から省略されました。

特攻兵器が、その他の有人兵器と比べ、どれも簡素な作りに見えるのは、こうした設計の前提の違いが根底にあるためです。

もちろん、設計の前提がどう違っても、兵器のように装置やプログラムなどが複雑に組み合わされたシステムは、一朝一夕にできるものではありません。

システムの実現には、複数の専門分野にまたがるアプローチと手段が必要になります。専門的には「システムズエンジニアリング」と呼ばれますが、ここでは、顧客が「ほしいもの」を実現するための方法、と理解していただければ十分です。

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