「また来てマチ子」 - 松野莉奈は なぜ 生きていなければ いけないのか? | ももクロ→エビ中→東北産の魅力

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小林歌穂主演のドラマ「また来てマチ子の、恋はもうたくさんよ」が終わりました。

 

歌穂ちゃんの、このコメディに合った演技が、いい感じだったんじゃないでしょうか?

彼女の特別な優しさ、可愛らしさは、一般の人にも、伝わるのでしょうか?

 

 

このドラマは、「男はつらいよ」を下敷きにした、

下町人情恋愛コメディでありながらも、

メッセージ性の強い、SFでもありました。

 

エビ中を知らない人が見ても、

B級の雰囲気が好きな人なら、そこそこ面白いと思います。

 

でも、エビ中ファンから見たら、このドラマは、

本当に特別なテーマのドラマになります。

 

その観点からの解釈をしてみます。

まだ見てない人は、ネタバレ注意です。

 

 

 

このドラマの脚本は、

「ロボサン」や、「シアターシュリンプ」を手掛けて、
エビ中をよく知ってる、シベリア少女鉄道の土屋亮一さんです。

 

だから、当然、エビ中を意識した解釈からも見ざるを得ません。

 

簡単に言えば、このドラマで、タイプ・リープ、と言うか、時を戻ってやり直すことは、
「永遠に中学生」として生きることの表現でもあります。

 

そして、主人公マチ子は、生き返った(死ななかった)松野さんでもあります。

 

ドラマのタイトルバックからして、青空ですから、
エビ中ファミリーは、彼女を感じざるをえません。

 

エビ中が歌うテーマ・ソングの「日記」の歌詞は、
松野さんの「できるかな」を、思い出さずにはいられません。

 

 

ドラマの第一話、「さよなら、マチ子」(1/20の設定)の最後で、

歌穂ちゃん演じるマチ子は、ハブに噛まれて死にます。

 

マチ子がハブに噛まれたのは、左手首の当たりです。
左手首は、「脈」を看る場所です。
だから、これは、不整脈で亡くなった松野さんを暗示します。

 

* ハブに噛まれて死ぬのは、寅さん(ドラマ版)へのオマージュですが。

 

 

第九話の、このドラマのクライマックスで、マチ子は、

このドラムのメッセージを集約するようなセリフを語ります。

 

「何度繰り返したって、まったく同じ日なんて一度もなかった。

あたし達が何か頑張れば変えられるんだよ。」

 

この時、クズ社長は、マチ子に向かって、

「まったく図体ばっかでかくてよ、中身はいつまでも子供だな」

と言います。

松野さんのキャッチフレーズをもじったセリフです。

 

その後、マチ子は、

「全部うまく行くって、いつまでも信じて、私、待つの」

と言います。

マチ子自身による、「私は松野」宣言です。

 

「マチ子」の名前の意味は、

何度でも繰り返して努力し、成功するまで「待つ」、ということであり、

それは、「松野」の「待つ」なのです。

 

 

マチ子は、黄色いコートを着て、青い帽子を被っています。

 

上に掲載した写真の通り、マチ子の格好は、寅さんがモデルで、

寅さんも黄色いスーツですが、帽子は青ではありません。

 

ファミリーにとっては、マチ子は、体は歌穂ちゃんだけど、

魂は松野さんでもあることを示しています。

 

歌穂ちゃんは、歌穂ちゃんということではなく、

松野さんと共にいるエビ中です。

 

このドラマでは、「男はつらいよ」と同じ山田監督の、

「幸福の黄色いハンカチ」と関係づけて、

黄色は、「幸せ」の色と、意味づけられています。

 

つまり、マチ子は、「幸せ」をもたらす存在です。

 

歌穂ちゃん、松野さんの二人は、

一番、幸せオーラを発するメンバーですね。

 

 

第四話までの1/20のマチ子は、頭には青いヘアバンドを巻いています。
つまり、この日の彼女は、松野さんの意味合いが強いということです。

 

 

第5話からの1/21には、黄色になります。

つまり、物語が進展して、違う意味合いの存在になったのです。

 

 

この違いについて、次に、書きます。

 


マチ子の兄のタモツは、青い服を着て、青いペンを使っています。
まるで、松野推しのヲタさんです。

 

 

マチ子が一度死んだ後の、第ニ話から四話までのタモツは、

妹のマチ子のことを思う姿が描かれ、
好きなカオリにプロポーズすることができません。

 

第二話では、タモツは、マチ子が予備校の学費を払えなかったことで、

「ただ、マチ子にまっとうに育って欲しいだけなんだよ」、

と願い、時を戻してもらいます。

 

これは、松野推しのファミリーが、松野さんの死から離れることができずに、
自分の人生を前に進めることができない姿と重なります。

 

一方、マチ子は、家出しても、タモツのことが気になって帰って来たり、

死んだのに、時が戻って生き返って、

タモツがプロポーズできるように頑張ります。

 

第二話では、おじいさんの「止まった柱時計」を動かす手助けをします。

 

つまり、ファミリーの“時”を進めるために、松野さんは、戻ってきたのです。

 

 

1/20のタイムループは、第四話で終わります。

 

第五話以降も、タモツはプロポーズできないのですが、

その理由は、「マチ子のことを思って」、ではなく、
「カオリのことを思って」、に変わります。

 

つまり、松野さんのことを思って“時”を進められない、という状態を脱したのです。

 

第五話の放送日は2/8です。

松野さんの一周忌と共に、物語も、新しいフェーズに入ったのです。

 

だから、マチ子がつけるヘアバンドは、青から黄色になりました。

その後も、松野さんは、マチ子と共に居続けるのですが。

 

 

時を戻す願いを叶えてくれる「時の神様」は、

いつまでも学生の姿のセーラー服を着た大人の女性です。

 

そして、ぁぃぁぃみたいな甘えた喋り方をしています。

 

* 時の神様が、ぁぃぁぃポーズ……ではない

 

「時の神様」は、エビ中のコンセプト、「永遠に中学生」を象徴しています。

 

時を戻して人生をやり直すことは、
人が、「永遠に中学生」として、新しい生き方をして、

何度でも諦めずにトライし続けることと似ています。

 

ぁぃぁぃは転校したけれど、“はなむけ”的な意味で、
エビ中の象徴として、選ばれたのでしょう。

 

タモツがいつも首にかけているタオルの柄は、

ぁぃぁぃが好きなパンダです。
彼は、「永遠に中学生」の予備軍です。

 

 

このドラマでは、夜の12時を過ぎると、「時の神様」に頼んでも、

その日の時を戻すことができなくなります。

つまり、12時までが勝負です。

 

エビ中の代表曲「仮契約」も、12時までが勝負です。

 

先に書いたように、第九話で、マチ子は、

「まったく図体ばっかでかくてよ、中身はいつまでも子供だな」

と言われていますが、

これは、「仮契約」の松野さんのセリフをもじったものでもあります。

 

「仮契約」では、その後のセリフは、

「わたし絶対お姫様になるのー!」

ですが、

 

ドラマでは、マチ子はその直前、パラレルワールドのタモツ王子に、

「私は姫じゃないよ。よく似てるけど、同じじゃないよ。」

と言っています。

 

「仮契約」は「姫」を目指す物語ですが、

「まだ本当の姫になっていない」=「仮」=「永遠に中学生」です。

 

「似ているけど姫じゃない」=「仮」と見ると、

これは、マチ子の、「永遠に中学生」宣言です。

 

 

第五話から第九話までの、1/21のマチ子は、

黄色いスカーフを頭に巻いて、二人の幸せのために、

1241回のタイムループを続けます。

 

「永遠に中学生」として。

 

第七話でマチ子を邪魔する邪神の横島さんは、

同じ仕事を繰り返すことに嫌気がさしています。

 

第八話、第九話で、マチ子を邪魔するカオリは、

未来の可能性を信じていません。 

 

この二人は、常に人生を新しく生きようと努力する「永遠に中学生」の、

生き方を否定する2タイプの「大人」の象徴でしょう。

 

 

第九話の最後で、マチ子が、改めて、ハブに噛まれて倒れました。

しかも、12時を過ぎたので、もう死は避けられない、

そう思わせる展開でした。

 

ところが、これは、パラレルワールドから来た

10年後のマチ子(ホクロがある方)で、

予防接種をしていたので、死ななかった…

そんな無理くりなオチでした。

 

こうして、最終話では、3/21に、マチ子は、

また、青いヘアバンドを巻いて戻ってきます。

 

つまり、亡くなったはずの松野さん亡くならなかった。

 

そのありえない世界を、どうしても描きたかったのでしょう。

 

第九話で、いきなり、「パラレルワールド」が出てきたのは、

我々に、松野さんが生きている「パラレルワールド」の可能性を、

想像させたかったからではないでしょうか。

 

 

もともと、このドラマは、「男はつらいよ」へのオマージュ作品です。

「男はつらいよ」のタイトルは、恩師の先生が亡くなって、

寅さんが「つらい」といったセリフから来ています。

 

そして、TVドラマ版の最終回で、寅さんも、ハブに噛まれて死にます。

 

山田監督は、

「寅さんのような人間は、管理社会には生きていけないのだ」、

と語っていました。

 

ところが、映画版では、死んだはずの寅さんが死なずに戻ってきました。

監督も含めて、皆が、そう望んだからです。

 

「また来てマチ子」は、「男はつらいよ」よりも、

積極的なメッセージを伝えようとするドラマです。

 

だから、死なない世界を描かなければいけなかったのでしょう。

 

松野さんのような自由人が、生きていける世界でないといけないのです。

 

 

実は、この物語が始まる1/20は、「大寒」です。

実際の放送日も、それに近い真冬です。

 

物語の最後に、マチ子が戻って来た3/21は、「彼岸」の中日です。

暑さ寒さは彼岸まで、と言うように、季節が好転するタイミングです。

 

「マチ子」は、春を「待つ」存在なのです。

 

そして、最終話で表現されたように、

冬の太陽(部屋に閉じこもったカオリ)を復活させるアメノウズメです。

 

最終話は、マチ子の活躍で、

タモツとカオリ、クズ社長の生活が好転する姿を描きました。

だから、その日は、3/21が相応しかったのです。

 

「男はつらいよ」の恩師の先生の娘の名前は「冬子」で、

寅さんの妹は「さくら」です。

 

「また来てマチ子」の「カオリ」は「梅」のことで、

「梅」は、エビ中の象徴でもあります。

 

「梅」は香りが特徴の花で、

マチ子を邪魔する邪神を撃退したのも梅昆布茶でした。

 

カオリがタモツと別れを決意して去る時に咲いていた花、

そして、叶わない恋と寒さをしのぐ真知子巻きのスカーフの柄は、

冬にも咲く、バラでしょうか?

 

 

そして、オープニングのマチ子のバックは、満開の桜です。

 

「また来てマチ子」には、

大寒・バラ(物語の始まり) ⇒彼岸・梅(物語の未完の完) ⇒桜(永遠の未来)

という季節の流れが、表現されています。

 

 

 

ですが、ファミリーにとっては、別の意味もあります。

 

昨年の7/16に、ファミリーは東京国際フォーラムで、

松野さんが戻って来た、生きている姿を見せられて、驚きました。

 

3/21に、マチ子が青いヘアバンドで戻って来たのは、

この驚きの再現です。

 

7/16は「盆」の期間でしたが、3/21は、「彼岸」の中日です。

どちらも、亡くなった人を思う日です。

ドラマの放送日は、彼岸の直前でした。

 

 

ドラマの最後のテロップは、「完」から「元」に変わります。

 

このドラマのテーマが、常に生き直すこと、「永遠に中学生」だから、

終わりがない、ということなのでしょう。

 

でも、私は、

青空(松野さん)の元(もと)で、若々しく生き続けること、

そう、受け取りました。