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災害ストレス・自己洞察瞑想療法

災害ストレスと病気-2

阪神・淡路大震災

 五千四百人以上の死者をだした阪神・淡路大震災では、種々の報道によれば、地震を生き延びた被災者の中にストレスからと思われる病気、死亡、自殺などが起こった。当時の新聞によって、その実情を見る。

大切なものを失った苦しみ

 自宅の下敷きになった母親を迫る炎に阻まれて救出できなかった人は「"もう行って"というのがおふくろの最期の言葉。火事さえなければ・・・」と、無念さをこらえていた。
 五千人以上のかたが亡くなったが、この震災の死者のうち、一割は地震後の火災による焼死であるという。倒壊した家屋の下敷きになっても生き延びていたのに、どんなに恐怖をいだきながら亡くなられたであろう。火事さえなかったらいずれ救出されていたかもしれない。遺族はそれぞれ無念さをかみしめておられるだろう。これが最大のストレスであろう。 家屋を失った、ローンだけが残った。土地は区画整理があるという、このうえまた借金して家をまた買えるだろうか、どうなるのだろうか。家にあった思いでの品、アルバム、貴重な収集品など失われた。
 仕事も失った。被災地区にある職場に勤務していた人は職場を失った。自営業の人は家屋と仕事を同時に失った。これは将来の収入をも失ったのだから大変な悩みである。
 おまけに、避難所での生活は、不便で、ストレスが大きい。この期間にも、つらい状況を繰りかえし思考して、適応障害、うつ病になっていく人がいる。行政は、衣食住の復興に努力を集中するから、精神的ケアをする余裕がない状況であり、注意しないと、自殺が起きる。

避難所の生活

 避難所生活はプライバシーが守れない、トイレ、風呂が自由に使えない。見知らぬ人の視線を常に感じて休まる時がない。下着、カイロ、眼鏡、ラジオ、使いつけの薬がない。食糧がない、水道、ガスが使えない。
 老婦人から「あんた、ボランティアやろ。肩をもんで。」と言われて、むっとなり、飛び出した。ボランティアも共同生活をしている、ストレスもある。
 ある人がいっている。「避難所でのストレスは想像を絶する」。長引く避難所生活からイライラが募り、避難者同士で、場所のこと、食事の盛りなど、ささいなことが許せず、けんかになっている。
 「あのグループとはあわない」と対立がおこる。それを解決してあげるためにリーダーは苦労する。避難所の班長役を請け負ったが精神的負担が大きく、自信がなくなった、というリーダーもいる。
 交通が不便、役場の手続き、買い物、配給品受け取りなどで長く待つことが多いと、これはイライラして、ストレスになることが多い。
 他の災害地区の場合、仮設住宅にはいっても、隣の話声が聞えてプライバシーは十分ではないという。避難生活は数年の長期間にわたる。十分な精神的ケアをこころがけなければ、様々な病気になるおそれがある。
 官公庁も対策を打ち出してくれるが、それについて不平等、不公平と感じる、うちにはまわってこない、などの悩みもある。そういう被災者の苦情を役人はまた、ストレスと感じる。

他の地区へ疎開

 親族を頼って、他の地区へ疎開した人にもストレスが襲っている。家族がばらばらに生活することになった人、新しい学校になじめない児童、家、仕事の問題は同じく残っている。災害でなくて、転勤、引っ越しただけで「うつ病」になる人がいるくらいである。失ったものをかかえての疎開ではつらいことが多い。

救護者にもストレス

 被災者の世話をする市役所の職員が殺到する苦情の処理に追われ、そのストレスで体調をくずした。救済の第一線の指揮をされる市や県の職員の方々は被災者の苦情処理、要望処理、外部からの批判など大きい心労を重ねておられる。島原や奥尻の場合、義援金の配分でも不満が寄せられたという。
 適度な休養をとり、ストレスを発散させないと心身症や心の病気になるおそれがあるが、その兆候があらわれた。
 姫路署の警官(36)が一月二十六日、心不全で死亡した。震災後、六日間被災地に入り、救援活動を続けていた。(1)

持病の悪化

 こういう災害は大きいストレスとなり、免疫力を弱め、ふだん病気であった人の病状を悪化させ、死亡率が高くなる。
 尼崎市には大気汚染による慢性気管支炎やぜんそくに苦しむ公害病認定患者が四千人以上いるが、ある病院に通院していた患者のうち1月末までに四人の患者が非難先で死亡した。通院していた病院の院長は地震さえなければ死ななくてもいい人たちだ、という。尼崎市全体では十五人死亡したという。
 呼吸器系の専門医によると、避難生活は肉体的に負担がかかるうえ、ストレスで酸素の消費量が増える。このため、体内の酸素が不足しがちになり、病状の悪化につながるという。(1)
 兵庫県監察医事務所の調査では、二月十日までに、二十七人の被災者が震災後、精神的なストレスが引き金になったとみられる疾病で死んでいることがわかった。亡くなったのは、いずれも五十六歳以上で持病を悪化させて心疾患になったケースが多い。避難所などの不自由な生活で疲労や寒さ、プライバシーのない暮らしがストレスを蓄積させたらしい。このうち、七人が避難所、四人は親せき宅に身を寄せていた。(2)
 そのうち、次のようなケースがある。避難所から勤務先に通っていた会社員(62)は、四年前心臓の手術を受け、高血圧にも悩んでいた。震災で体調を崩し、「疲れた」と言っていたが、勤務先から帰宅途中で脳こうそくをおこして死亡。また、以前から心臓病の持病があった男性(65)が心不全で死亡した。(3)
 神戸市協同病院で、地震後、二月末までに、七人が避難生活から入院し死亡した。二十一人ががんや持病の悪化、地震直後の外傷性死亡だった。ほかに避難生活でなくなった人が二人おり、肺炎、肺気しゅ、喘息の悪化、脳卒中、心臓発作などが避難生活からのストレスから病気を悪化させたのが死因であった。(三.二朝日夕刊)

心身症の兆候

 芦屋市の災害対策本部の話「避難生活の精神的ストレスで、特におなかの不調を訴える人が増えている」。
 息子夫婦と暮らしていた女性(87)が避難所に来てから食欲をなくし、衰弱して死亡した。避難所でテント生活を送っていた男性(55)が、突然「胸が痛い」と苦しみ、病院で亡くなった。過労で入院する人も百人を越えた(1)。避難所から自宅にもどった男性(92)が衰弱で死亡した(2)。
 避難所で倒れた男性(64)が病院に運ばれたがまもなく死亡した。胃かいようの出血によるショック死だった。ほかに胃や十二指腸のかいよう、胃腸炎で6人が、神戸市の川崎病院に入院した(3)。

災害神経症

 こうした身体の病気のほかに、「心の病気」が発生している。災害の後にみられる精神障害をまとめて、災害神経症(DSD)と呼んでいる。およそ3種がある。不眠やイライラ、高血圧、下痢などを伴い、数年影響を残すこともある。  日赤が医療救護所を設けている神戸市内の避難所で診察を受けた三百七人の中に災害神経症(DSD)と診断された人が十九人(六・二%)いた。DSDになった理由は、けがや病気など身体的な理由が六人、肉親や財産を失ったためが八人、今後の生活設計への不安や避難所でのプライバシーの欠如など生活面の問題が五人だった。
 症状は「抑うつ」で激しく落ち込んでいるのが、十人で、逆に精神が高揚して多言になるなどの「情動」の障害が七人、両者が混合したケースが二人であった。
 別の調査では、救護所で受診していないが、広い体育館に避難中の被災者にDSDの発生者が多い。(1)

災害による身体的・精神的ショックやその後の避難所生活のストレスにより、笑わない、食べられない、不眠に悩む、ろれつがまわらなくなった人、放心状態になった人や痴呆症状がでた人がいる。
 「これからのことを考えると不安で眠れない」「いびきがうるさくて眠れない」「避難所のまとめ役をしていたが、トラブルの板挟みで不眠症になった」という不眠症が多い。避難生活が長引くおそれがあり、これからこういう症状が多発するおそれがある。

外傷後ストレス症候群

 外傷後ストレス症候群に悩む人もみられるようになった。「あの瞬間」タンスが倒れてきた恐怖。下敷きになって、火が迫っているところにやっと救出された、それまでの恐怖。恐怖が忘れられない。無残な肉親の遺体を見た。このような大きいショックが忘れられず、ほんのかすかな余震にたいしても、全く心のコントロールを失って、パニック状態になる子供がいる。
 悪夢で夜中に跳び起きる、ちょっとした振動にひどくビクツクなど、こうした恐怖体験が何度も再現されて、必要以上に警戒心を抱いたり、不眠、イライラで集中力を欠き、人間関係や物音に過敏になり対人関係がまずくなることもある。特に子供や老人がこれに悩まされている。
 子供の場合、以前はひとりで出来ていたことが出来なくなったり、わがままが多くなったりする。その場合、やみくもにしからないほうがよい、悲しみや苦しみを抑圧するのではなく、表現して発散させてやることが大事、と心理学のカウンセラーは話している。
 ある心理士会が相談を受けた被災者七十人のうち四十六件(六十五%)がPTSD予備軍とみられるという。(1)
 被災のストレスから飲酒する人も増え、避難所でアルコール依存症と診断され入院したケースが二十数人にのぼる。(2)

うつ病と自殺

 愛する人の死亡をあまりに悲しむ、復旧活動の中で思いどおりいかなくて自分を責める、後悔する、将来を悲観する、心労が重なるなどすると、うつ病になったり、自殺したりする。精神科医でさえ、開業していた診療所が全焼して、抑うつ状態になった。(1)
 一月二十三日、壊滅的な打撃をうけた神戸市の水道復旧作業に当たっていた水道局の職員(37)が自殺した。警察署では、連日の徹夜状態の勤務から心労が重なったのが動機とみている。被災者の中にも「抑うつ」の人がいるように、この方も急性の「抑うつ」にかかったのではないだろうか。ただの心労であれば、休むという正常な思考をする。すなわち、死ぬくらいなら、役所を首になっても体調が悪いといって休めばよい、というのが正常時の思考である。しかし、「うつ病」には思考障害が伴う。休むに休めないという心労から急激に「うつ病」となり、自殺するより首を覚悟で休むということさえ考えることができない思考障害になって自殺したのかもしれない。被災者ばかりでなく救援活動にあたる人々のケアも配慮しなければならない。まして、市の職員は被災者でもある。失った苦悩に加えて、復興の重責をになっている。ストレスは最高であろう。くれぐれも無理をなさらぬようにお祈りしたい。
 その二日後、四十代の男性が首吊り自殺した。以前から父親の病気で悩んでいたが、地震でその両親のアパートが倒壊して、一層思い詰めていた、という。
 二十六日、神戸の病院に入院していて、被害にあい、京都の老人ホームに移されていた男性(80)が清水寺の舞台から飛び降り自殺した。同じ日、神戸の病院で元院長と妻が心中した。自宅が半壊、奥さんは病気療養中だった。(2)
 二十八日、神戸港の沖合で女性(46)の溺死体が発見された。自殺か事故死とみられている。「近所の被害が大きく、気の毒だ」と何度も語っていたという。
 五十代の経営者が飛び降り自殺をしようとしていたのを危うく、止めたケース、両親と娘が自殺未遂したケースもある。肉親のかたはストレス状況にある肉親の様子をよく観察して落ち込みが激しい場合、「うつ」を疑って、早めに治療をすすめていただく必要がある。
 このように、被災後、わずかに2ケ月で、多くの被災者が病気に悩み、死亡していく。過去の災害の例を見ると、この現象は二三年から数年続く。精神的ケアによる予防が大切である。
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