思い出マネジメント的なライフログ


今日(2/5)は日中うごきまわって疲れたのか、帰宅早々、奥さんとお子さんは寝てしまいました。ダイニングテーブルでひとりパソコンに向かう時間なんて、何だか久しぶりだ。


我が家の翔太郎さんはもうすぐ1歳8ヶ月。日々の成長は著しく、振り回されながらも刺激を受けたりして、おかげさまで楽しい日々を過ごしております。


(以下、整理できてないんですが気になっていること。)


それにしても日々頭の中で思い浮かべていることと言えば、仕事のこと、家族のこと、がほとんどの割合を占めてしまっているわけで、どちらも「現在以降」について考えることがほとんど。


他に考えるべきことは無いんだろうか。もちろん、子供の将来を考えると日銭を稼ぐだけではなく持続可能な社会への発展に寄与する活動をしていかないといけないとかあるんだけど、そういうのではなく、なんていうか思い出マネジメント的な部分なんですよね。


もっと過去を振り返らないといけない。いや、史実を学べとか旧跡を巡れとかじゃなくて、過去の栄光にすがりなさいと言っている訳でもなく、センチメンタリズムは少しだけありのような気もするけど、要するに自分自身について定量的にも定性的にも振り返る必要があるんじゃなかろうか、と。


これからどうするのか、どっちへ進むのか、って勿論大事なんだけど、その大事な意思決定の根底に過去の分析があるのは普通のことですよね。別に過去に縛られるがごとくスタンスを踏襲する必要は無いし、むしろそういう自分を客観視できて、じゃあこっちいってみようとかを意識的に出来るといいな、と。


それから「もし自信をなくして挫けそうになったら、いいことだけ思い出せ。」と言う言葉があります。アンパンマン先生の名言ですね。過去の生き様を能動的に活用することで、人生もっと楽しめるよね、と。例えばこれからセミナーで講師やります、みたいなポジティブな態度が求められる局面で、そっちのスイッチを入れるために過去に成功した自分のプレゼンテーションのダイジェストを見たりするのはどうだろう。それだけで全てがうまくいくことはないだろうけど、ちゃんと準備をした上で使うのは効果的なんじゃないかなぁ。


一方で、嫌な思い出、辛い思い出。思い出したくもない思い出、だからこそ忘れられない思い出。それだって使い方次第でしょう。時間が解決してくれればむしろネタになったり、ほろ苦い思い出を、切なさというスパイスに変えて感傷に浸ったり。


まぁ、現実的には今を生きるだけで精一杯って感じなんですが、もし自分にしか見えない秘書が常に肩の上に乗っかって自分の人生を記録してくれて(そんなSF作品あるんですよね?)、それに基づいてアドバイスをしてくれたり、楽しい話題を提供してくれたりしたら、きっと楽しいはず。アドバイスがあるからって、常に100%正しい意思決定が出来る訳ではないでしょうけどね。


あとから振り返って楽しむための人生だとすれば、楽しいことはもっと楽しもうとするし、よくないこともいつかは終わることと割り切りやすい。


そういうことが出来れば楽しそうではあるんだけど、じゃぁどうやって定量的/定性的に自分の人生を記録して、効果的な解析を施すのか。自分ですべてを覚えてるのは無理だし、何かしら記録をつけるのだって簡単な話ではない。長年日記をつけていたとしても、それを解析可能な形にすることだって、そこからタイムリーなフィードバックをプッシュするためのデバイスはおろか、ロジックすら見当たらない。


まぁ、ライフログ系の方々の間では良く出て来る話でしょうけど。まさに今、いろんなプレイヤーが色んな立場から色んなアプローチを探ってる話で、自分もその中の一人でありたい。そういう観点で自動認識ソリューションに取り組んでいきたいと思っている次第でございます。


なんてことを、もう数年前から言ってて何も成果を出せていない事実を突きつけられ続けても何も変わらないところを見ると、やっぱり人生そんなに簡単じゃないんだろうな。それでも考えることだけは続けていこう。


ちなみに、この写真は2007年に皆で養老渓谷合宿したときの写真。たしか2泊したんですが、海を求めて鴨川まで行って遊んだ後の撤収模様。これを見ると、えらく楽しかったキャンプ生活が思い出される。行き当たりばったりな旅を英知を結集して満喫した時の達成感、これは何物にも代え難い。そして去り行く皆の後ろ姿が、二度とは戻らぬ時間であること、切なさがその感情を後押しする。


たまにこの写真を見るとなんとなくあがる。そういうのってありません?かといって、いつも見てればいいかというと、それはまた違う。忘れた頃に偶然ってのが効くかな。


自宅のMacBookProのスクリーンセーバーは、iPhotoライブラリからランダムに表示させるようにしてます。これだけでも結構おもしろくって、たまに閃きを得ることもあったりなかったり。

2011年02月05日のできごと