アカデミー賞おめでとう『英国王のスピーチ』と『ソーシャル・ネットワーク』の共通点

今日はtwitterのタイムラインはアカデミー賞実況ツイートで流れていた。仕事の昼休みに「あぁ、リアルタイム視聴してる方々の熱が伝わるな」と思いつつ眺めていたら、サマーソニックのメンツの発表でプライマル・スクリームのスクリーマデリカ再現のライブがあるというのを同じく昼休みのtwitterで知って、それ以来ふわふわと浮ついて、職場だからなんとか平静を装いつつも、内心は高揚感で満ちていて(チケットすら発売されていないのに、「きっと大トリがプライマルだから早めにメインステージのいい場所を確保しにいかなきゃな」などと妄想)すこしハイな一日でした。
アカデミー賞作品賞は個人的には『ソーシャル・ネットワーク』が獲ればいいな、と願望しておりました。カチっとしたクラシックな格を持ちながら、斬新な演出や題材の取り扱い方や素晴らしい撮影をしたあの映画が好きだというのもあるし、また、アフリカや中東でのデモで多大な影響力や推進力を持ったソーシャルメディアの影響力が広く知らしめられた年に『ソーシャル・ネットワーク』がその栄誉に浴すればいいじゃない、という思いなどがあって。でも、『英国王のスピーチ』が取ったと知って、あぁ、そうか、と思いつつもあの映画もいい映画だったから、よかったと思いました。あの映画の持つ品のよさ、格調の高さはアカデミー賞っぽいし。フィンチャーにはもっともっと邁進してもらおう、っていうアカデミー会員からの燃料投下でもあるかも、なんて思ったりもした。
英国王のスピーチ』はこの間の土曜:初日に観にいきました。シネリーブル神戸は同日公開初日だった『マクロスF』のお客さんが物凄くたくさんいて、結構な混乱。リーブルでは『マクロス』とか『エヴァンゲリオン』をやるときは、人がいっぱいでスペースが無くって劇場の地面に座りこむ若者がいたり、また若者がグッズコーナーに群がったりして、なかなかの盛り上がりを見せているのです。というわけで一番大きいスクリーン1は『マクロスF』が上映されてた。そのため『英国王のスピーチ』はスクリーン3での上映だったのですが、こちらも賞レース本命ということもあってかなりの人気。完売続きというすごい状態でした。よかったね、シネリーブル。
コリン・ファースジョージ6世を演じるこの映画。コリン・ファースは去年『シングル・マン』で観ておぉっ、この人演技が上手いのだなーと思ったので*1、『英国王のスピーチ』の主演だと知って以来大変気になっていた映画でした。ちょっと短気で癇癪もち、心優しく小心。心配性で吃音症の王を、期待したとおりにすばらしく演じていました。吃音の方に接したことがあるのですが、どうにもある音(サ行とか、ある特定の音)になると喉がつっかえたようになって、舌が口のなかで膨らんでジャマしてるかのように、音が出せない。その症状がよく描かれていたし、大変上手いなーと思ったのは、罵倒語はすらすら出てくるから、文章の合間に罵倒語を織り込んだり、草競馬とかスワニー河のメロディーで歌うように発声することで、つっかえを無くそうとするところ。上手い上手いすごい。アカデミー最優秀男優賞おめでとう。納得です。
ジェフリー・ラッシュ演じるスピーチの先生はオーストラリア出身でありながらも、夢を諦めきれず、シェイクスピア俳優を目指している。オーストラリア訛りをからかわれたり、その人生の平かでなかった歩みも彼の佇まいや何気ないセリフで観客には感じられるのだけど、直接それらが表現されることはない。そのたぷたぷと揺れる頬に、よどみない発声と一回みたら忘れられない顔。いいキャスティングですよね。ジョージ6世の嫁を演じるヘレナ・ボトム=カーターのたっぷりとしたふくよかな上半身*2といい、女王にふさわしい素晴らしい役作り。すべてが的確。ここにしか石は置けないわーという定石の脚本。それらが手抜かり無くきっちり作りこまれて、クラシック音楽が流れ、最後には開戦スピーチは成功して終幕。すばらしい佳品です。
特に気に入ったのは、部屋のセット、とりわけジェフリー・ラッシュ演じるライオネルの部屋。壁のだんだらした模様、落ち着いた苔っぽいというかシビラの洋服みたいな色合いトーン、ソファ、あぁいいなぁ。あそこに布団敷いて寝たい。寝転がってTV見たい。ネットしたい。あのトーンを背景に役者陣のアップが映る。画面の右や左に人物の顔が映り、背景がたっぷりと画面に映る。とりわけ前半、互いにさぐりさぐりだった頃。所在無さげな、頼りなさげな頃。互いの思いや、感情が行き違い、なかなか上手くはいかない頃は背景が多めで人物がぽつんと映ってた。それが段々信頼関係を築いて、ディスコミュニケーションな感じが減っていく…けど、戦時中のスピーチにはすべてライオネルは立ち会ってるわけで、結局、王の吃音は治らない。病って完治するってなかなか無さそうだよな。いかに軽減するか、いかに付き合うか、という部分が大きいと思う(大野更紗さんしかり)。ジョージ6世はラジオのマイクに向かうことを思うだけで絶望し、自分の運命を呪い、泣く。そんな彼の心の中にある吃音への恐怖、おののきが心のなかで大きく固まった岩のようになったのを、ちょっとずつ磨耗させ、すこしでも軽減する手を差し伸べたのがライオネルだったわけで、だから大切な“友達”になったのでしょう。また、“友達”じゃなきゃ、この役目を果たせなかったんでしょうな。だって心の中の凝り固まった岩に触れさせるなんて、真に信頼するものにしか許されないはず。
しかし、当時のラジオってものすごい革命的メディアだったんだな。ジョージ6世はラジオを通して伝えられるその声、トーン、間合い、抑揚で人間性が知られてしまうかのように恐れてたけど、たしかに皆が耳を澄まして聞き耳を立ててる様をみれば、その声ですべてを見透かされそうに感じる。自分は今も結構好きだけど、ラジオ。ほとんど生放送っていう点、ライブ・メディアっていう特性はつよい。地震のときもラジオがあって救われたものな、ほんと。ある個人(“王”と“ナード”)の物語を通して、そんなライブ・メディア(“ラジオ”と“インターネット”)もたらした革新的な変化と戦争や主権者の移行によるパラダイムシフトっていうか、そういう過渡期/変革期を描いた映画、っていうことでは、『英国王のスピーチ』と『ソーシャル・ネットワーク』は共通しているのかもしれないな、とふと思ったりもしたのでした。

英国王のスピーチ』(2010/イギリス=オーストラリア)監督:トム・フーパー 出演:コリン・ファース/ジェフリー・ラッシュ
http://kingsspeech.gaga.ne.jp/
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD17704/

*1:俳優の顔や名前の識別が甘くて…彼ほど有名な人でも名前は知っててもよく認識できてなかったでした…

*2:彼女のふくよかさに目が釘付けになりがちだった