生活保護「受給者バッシング」の正体---年間支払額3.3兆円、受給者210万人の「世界」を徹底検証 【第1回】
安田浩一(ジャーナリスト)小高い丘を登り切ったところに、その墓はあった。墓誌はない。縦型の墓石には「佐野家之墓」とだけ刻まれている。
周囲を囲むように植えられたヒマワリの花が真夏の日差しを受けながら、夕張山地から吹く穏やかな風に乗って揺れていた。
この墓には、最近になって佐野湖末枝さん(死亡時42歳)と妹の恵さん(同40歳)の遺骨が納められた。
姉妹の父親は、この近くの町で炭鉱夫をしていた。だが長女の湖末枝さんが中学生の時に病死。その後、病弱だった母親も父親を追うように亡くなっている。
一家はようやく同じ場所で再会した。あまりに悲痛な再会ではあるけれど---。
軽く手を合わせてから、墓石を背にして町を見下ろす。寂しい町だなあと思う。メインストリートに人影はなく、草木が風でザワザワと擦れる音以外に、耳へ響くものもない。
北海道歌志内市。札幌の北東約100キロに位置する山間の小さな町である。人口4300人。「日本一人口の少ない市」として知られる以外、これといった特徴はない。典型的な僻地だ。いや、特徴らしきものを挙げれば、もう一つだけある。歌志内は「人口一人当たりの生活保護費がもっとも高い自治体」でもあるのだ。
なにか因縁めいたものを感じた。都市の片隅で生活保護の助けを得ることができずに死んだ姉妹は、遺骨となって日本一の"生活保護"市にたどり着いたのである。
途中に立ち寄った質素な建物の市役所では、保健福祉課の長野芳智主査が、節電のために照明を落とした薄暗い庁舎内で応対してくれた。
「結局、炭鉱を失ったことで、この町は衰退の一途をたどっているんですよ」
歌志内は1950年代までは炭鉱の町として栄えていた。ピーク時の48年の人口は4万6000人。それが炭鉱の閉山によって、現在は10分の1にまで激減している。しかも人口の4割が65歳以上の高齢者で占められるという。
生活保護世帯の割合が高いのは当然だ。現在、人口における受給率は4・3パーセント。
「産業らしいものは何もないし、企業誘致もうまくいかない。高齢化率も生活保護の受給率も高いってことは、ある意味、日本の未来を先取りした先進的な自治体かもしれませんけどね」
長野主査は自嘲ぎみに言うと、フフと小さく笑った。
姉妹はなぜ命を絶たれたか
栄枯盛衰は世の常だ。町も産業も、永遠が保証されているわけではない。もちろん人間も。
だが、姉妹の死は、あまりにも早すぎた。
札幌市内のマンションの一室で2人の遺体が発見されたのは、今年1月20日のことである。
湖末枝さんは自室のベッド脇で倒れていた。フリースの上にジャンパーを重ねるといった、室内とは思えぬ厚着姿だった。
知的障害を持つ妹の恵さんは、別の寝室のベッドの上で、毛布をかけて横たわっていた。
解剖の結果、湖末枝さんは前年12月中旬ごろに脳内血腫で病死と判明。恵さんは1月初旬に凍死したとみられる。誰にも看取られることのない孤独死だった。
なお、料金滞納によってガスと電気は止められ、冷蔵庫の中も空っぽだったという。
真冬の北海道は、エアコンやストーブで暖を取らなければ室温は氷点下となる。飢えと寒さが姉妹の命を奪ったといえよう。じっと死を待つことしかできなかった姉妹の絶望を思った。
湖末枝さんは失業中だった。09年までブティックで販売の仕事に就いていたが、体調不良で退職して以来、妹の世話をしながら連日、求職活動に走り回っていた。その間は妹の障害年金(2ヵ月で13万3000円)と、短期のアルバイト収入のみで生活していた。
だが自身の体調不良や雇用環境の悪化もあり、求職活動はうまくいかない。そうした事情もあって、湖末枝さんは亡くなるまでの間に、地元白石区の生活保護一課を3度訪ねている。
最初の相談は2010年6月1日。その日の面接受付票(相談内容を記録した書面)には、担当者によって次のように書き込まれている。
〈保護の要件である懸命[注1]なる求職活動を伝えた。仕事も決まっておらず、手持ち金も僅かとのことで(略)〉
担当者は十分に窮状を理解していたと思われるが、〈本人が申請の意思を示さなかった〉として、生活保護の申請書を渡さなかった。
2度目の相談は2011年4月1日である。面接受付票には〈手持金が少なく、食料も少ないため、相談に来たとのこと〉と記されている。この日、担当者は非常用パン缶詰を湖末枝さんに支給。すでに食料に事欠く状況であることがうかがえる。だが担当者は〈食料確保により生活可能であるとして、生活保護相談に至らず〉とした。
そして3度目。最後の相談は11年6月30日。
面接受付票には〈求職活動をしているが決まらず、手持金も少なくなり、生活していけないと相談に来たものである〉と書かれている。これを見ても、湖末枝さんが「生活できない」と意思表示したことは明らかだろう。さらに〈社会保険に加入していたが、保険料を払えず喪失。負債は家賃、公共料金の滞納分〉と、相当に生活が追い込まれていることを把握している。
だが、なぜか担当者は〈保護の要件である懸命な求職活動を伝えた〉として、またしても申請書を渡すことはなかった。
このわずかなやり取りを追っていくだけでも、湖末枝さんの切迫した状況が伝わってくる。湖末枝さんは毎回、「手持金」がないことを訴え、しかも2度目の面接では非常食の支給までされているのだ。しかしいずれの場合も担当者は〈保護の要件である懸命な求職活動〉を伝えるだけで湖末枝さんを帰している。
浮かび上がってくるのは、〈懸命な求職活動〉を促すことで、極力、生活保護申請に至らせまいとする行政の"意思"である。