樹崎聖 東京都表現規制条例 反対声明

と条例(東京都表現規制条例) 反対表明

2011-10-16

コンビニにエロっぽい雑誌がズラリと並んでいるので
漫画やエロはほとんど自主規制されてないと思っている人も多いと思う。
だから多少は規制した方がいいと・・・

でも、実際にオレが体験した話を聞けば
これ以上の規制が、どれほどの表現規制につながるか想像できるであろうと思うので
オレの知っている漫画界の現実を話しておこうと思います。


ご存知でない方もいらっしゃるだろうから、簡単にオレの略歴を説明させてもらいます。
デビューは週刊少年ジャンプ、その後も10年近くかな・・・
契約作家としてジャンプでメシを食わせてもらいました。
その間、二度の連載をして出した単行本は8冊。
読みきりでしか人気が取れなかった三流の打ち切り作家というのが
ジャンプでのオレの正当な評価でしょう。

まずはその頃の「言い訳にしかならないから誰にも言えなかった体験」から話そうと思います。


少年ジャンプといえば、ハレンチ学園やトイレット博士などの過激表現でのし上がった雑誌なのですが
売れてしまうと、雑誌社は規制の網を恐れて萎縮してしまうものです。

オレが描いていたジャンプ黄金時代(毎週500万部以上も売れてました)は、実に厳しい規制に縛られていました。

例えば、最初の連載では「狂い狼」となっていた主人公のあだ名が、「暴れ狼」と掲載直前で直されてしまいました。
やりきれぬ思いをかかえ、それを何にぶつけていいかもわからず苦悩し、
いつ死んでもかまわない人間ならではの恐怖の欠如、暴力性、時折それが暴発してしまう・・・
そんな主人公は、他人から見ればキチガイであって暴れん坊の狼なんかじゃなかったんです。
そんな主人公だからこそボクシングに出会い救われるという話だったのですが・・・

さらにその主人公は、企画ネームでは口を開く度に人を傷つけるような辛らつなセリフを吐いていて
連載会議ではそれが痛快であると高く評価されたはずなのに・・・掲載時にはことごとく直されました。
この主人公は、特殊な少年時代を送った自分を反映した作品であっただけに
自分を真っ向否定されたような気分でした。

もちろん反抗しましたが、当時まだ新人編集であった担当氏も、上と戦ってくれる事はありませんでした。
「集英社は女子供のための雑誌だから当然のことである」と言われ、オレは牙も爪もなしで戦いを余儀なくされました。
「勝ってから言え!」 それが担当氏の言葉だったのですが
担当さんだって今にして思えば悔しかったはずです。 共に勝って物申したかったはずです。

しかして連載は、巻頭カラーの一話から最下位に近い人気でした。
そのままだとオレの漫画人生はそこで終わったかもしれませんが、そこからの反抗心の塊のような思いが爆発して
「悪役として嫌われる事でのし上がるボクサー」という方向性が打ち出せたためか、連載終了は決まっていたものの
幸いにして7話から人気は突然盛り返し、単行本も10万部ほど売れたので
かろうじて次につなげることだけはできたのでした。


しかし
ここでオレはもう二度と自分をさらす漫画は描けないと、楔(くさび)を打ち込まれてしまったわけです。
自分を描いても半端にされるとわかっているのですから。

だから二度目の連載は技巧を凝らした脚本で創りました。
身体ぶっ壊すまで描いたけれど、正直魂はこもってません。
今でも好きだと言ってくれる人も多いのですが、オレにとってはなかったことにしたい作品となりました。
オレは文字通り自分を失っていたのです。

今でこそ、これこそ自分という作品を描いていますが
そこまでには、そこからさらに15年ほどもかかってしまったのでした。
オレには描かざるをえない切実な思いが元々あったんです。
それこそが才能のかけらもなかったオレを漫画家にしてくれたと思います・・・
作家性とはそうした闇を含んだもんでしょう。

つまり大切なのは、ネガティブな部分を描かねば表現できないものがあり、人がいるってことです。
白く美しいものは暗いダークな背景があって浮き立つのです。
白は白だけでは映えないのです。
光が光と認識されるのは光源の周りが暗くみえるからなのです。
闇があるから朝は美しく映えるのです。


副知事・猪瀬直樹は「文学はいいんですよ」・・・と何度かテレビで言いましたが
小説はよくて漫画はダメってどういうことでしょう?
漫画には同じ魂の尊さがこもらないとでも!?
漫画っていうのは小説以上に描くのに膨大な時間がかかり 、多くのものを捨てなければ描けない・・・
つまり特別な思いがある人の創る文化なのですよ。
だからこそ漫画には、社会では受け入れられないマイノリティをやさしく包み込む力があるのだと思います。

マイノリティ・・・少数派はしばしば異端とされます。
はみだしものは叩かれるのが世の常です。
誰にも迷惑をかけていないのにです。

ロリータしか愛せないので女性とは付き合わない人の苦しみを考えたことがありますか?
覗きでしか性的に興奮できないので我慢している人の苦しみは?
偏見にさらされるゲイの人の苦しみは?
暴力でしか愛せないのに我慢している人の苦しみは?
そんな人はおぞましいから排除ですか?
変態は気持ち悪いから社会に必要ないですか?
頭がおかしいと切り捨てますか?

皆が自分と同じ価値観ではないのです。
どうしようもない思いに縛られている人はいっぱいいるのです。
どんな趣味だって性癖だって、他人に迷惑さえかけなければいいじゃないですか?
犯罪行為に至らなければ罪じゃないでしょう。
漫画を読む事で性的欲望から救われている人たちを地獄に落としたいのですか?
実際に漫画に救われている人は存在するのですよ。

レオナルド・ダ・ヴィンチだってゲイだったのです。異端であったのです。
25歳で「神をも恐れぬおぞましい行為」をしたとして逮捕もされています。
しかも証拠不十分で釈放されたのに2ヶ月後に同種の告発を受けて、また逮捕されているのです。
性癖とは逃れられないものなのですよ。
だからこそとてつもないエネルギーを内包するのです。

映画にもなった画家フリーダ・カーロは、若い頃の事故で一生痛みを背負って生き、それゆえ痛みを表現した絵を生涯に亘って描き続けました。
オレは正直その痛々しい絵を好きにはなれませんが、多くの支持者はいるのです。
きっと同じように逃れられぬ痛みを持った人なのですよ。
その絵に勇気や救いをもらっているのですよ。

自分に理解できないから醜悪であると決め付けて排除してしまっては、文化の火を消してしまいます。
芸術や文化はコンプレックスこそがエネルギー源なのですよ。


名前はあげられませんが、漫画界にもそうしたカリスマ作家はいます。
オレの知っているある作家は、報われない愛ばかりを描き続けています。
苦しみ、のたうちまわりながら自分を反映しているのです・・・
そしてそれに救われ、支持している人は大勢いる証拠にその人は売れっ子です!
苦しみ、のたうちまわりながら同じ痛みをもつ人を救っているのです!!

芸術は、お金持ちが投資するためだけのためにある小奇麗なモノじゃないんです。
マイノリティが救われるためにこそあるのだと思いませんか?
現実にあるデータも 、性表現は規制されるほど多くの犯罪を生み出す事を示しています。
当然でしょう。
コンプレックスが生み出す文化は、コンプレックスに苦しむ人を救っているのですから!!

描いてはならないものも、買ってはならないものもありません!
小さな子供の目の届かないとこならいいじゃないですか!

あまりの清流には魚も住まないのです。


ついでに、ジャンプ黄金時代のエピソードをもう少し・・・

読みきり作品で、増刊に「忍び」について描いた作品があるのですが
これも掲載直前で直されたシーンがあります。
悪者が「たかが百姓」・・・と言うシーンです。
たかが・・・は百姓を貶めているからという理由です。
ついでに、”百姓”という言い方も差別的だという理由で、”農民”とされました。

この作品は、モノを作る農民こそが素晴らしいのであって
力があるものが素晴らしいんじゃない・・・というテーマだったので
ここを変えられてしまったために、テーマが曖昧なものになってしまったのです。

この作品は巻頭カラーで雑誌の表紙も描かせてもらったのですが、表紙の絵も描き直しを食らいました。
甲冑のひさしで目が影になり暗くなっていたのが、少年誌にふさわしくないという理由でした。
内容は、抜け忍のダークヒーローモノだったのにです。
人気は雑誌で二位だったと記憶していますが、地に足ついたダークヒーローが描けないならと
もう「忍び」モノを描くことはありませんでした。

でも「北斗の拳」はどうなんだ?
あの残虐漫画はあれでよかったのか?と思うかもしれませんが・・・
あれはファンタジーだからいいのだそうです。


現在のジャンプを見てください。
現実を舞台にして地に足ついた話は、「バクマン」くらいじゃないですか?

黄金時代以上にうるさいご時世です。
ファンタジー以外は、規制の網でがんじがらめになってしまい
描く事はきわめて難しいのだと思います。

今でさえ、日本一のメジャー誌がそんな状態なのに
さらに規制が強くなり、下手すれば法にひっかかり逮捕されるとなれば
出版不況で今にもつぶれようとしている多くの出版社はどう出るか?

火を見るよりも明らかでしょう。

一度市場から消えてしまった文化は、復活させる事が極めて難しいものです。
取り返しのつかない事を何が正しいかもはっきりしないのに
多数決で決める事自体間違いなのです。
小さな事を大げさに話していると思う人もいると思いますが
ダムは小さな穴が開いた途端にあっというまに崩壊するものです。
小さい事とすまされない大事なのです。

実際、現在の出版界は不況によりすでに体力がありません。
この穴はバタバタと会社を潰し、日本の経済に大きな打撃を与えるでしょう。


「エロ」と言うと、大元にヤクザがいて資金源になっているのだろうと思う人もいるかと思いますが
実は、例えばアダルトDVDを作っている会社は、ヤクザ社会とは無縁らしいし
漫画においてもヤクザがらみの話は聞いた事がありません。
まっとうな競争社会では裏社会の出る幕がないからでしょう。
むしろ規制を作れば、網の目を破って儲けようとヤバイやつらが次々現れるのではないでしょうか。

アメリカの禁酒法時代には、マフィアが大儲けしてのさばりました。
酒は身体に悪いから駄目・・・の一点張りでは、世の中は良くならなかったのです。

「自由」の尊さは、自分の自由を主張することでなく
他人の「自由」を認めることにあると思いませんか?

弱き者のわずかな希望を、平和にどっぷり浸った人が奪う・・・そんなお綺麗な人間にだけはなりたくないもんです。

長々と失礼しました。 最後まで読んで下さった事に感謝です。

ちょっと追加
ジャンプについて批判的に書いていると誤解されるかもしれませんが
実際には、少年マガジンでもスーパージャンプでも他でも、大差なく同じようなものでした。
自由度が高いといわれているアフタヌーンでさえ、最近はなかなか表現について厳しいのです。

つまりこれは、メジャー漫画誌全般の問題であると思います。
もちろん作家も弱者への配慮を忘れてはならないのですがね。

           漫画家 樹崎 聖

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