経済統合は皆を得させるか?

今回は,近作
Christopher P. Chambers and Takashi Hayashi, Can everyone benefit from economic integration? February 2017.pdfはこちら
の紹介である.

経済と経済とが統合することによって誰も損をしないような資源配分ルール,より広く言うなら,所謂「グローバリゼーション」によって誰も損をしないような資源配分ルールというのは可能であろうか?

競争均衡解がこの性質を満たさないことは容易に示せる.2財の交換経済を考えよう(生産経済を考えることもできるのだが,これから書くのは不可能性の話なので,交換経済でさえ不可能なのに,いわんや生産経済においてをや,である). A,B,Cの3人は
 u(x_{1},x_{2})=x_{1}x_{2}
で表現される同一のコブ・ダグラス型選好(これに意味はない)を持つとしよう.

3人の初期保有は
 \omega_{A}=(9,1) \omega_{B}=(1,9)\omega_{C}=\left(12, 1\right).
で与えられるとしよう.

このとき, A, Bの2人からなる交換経済においては競争均衡は
 x_{A}=x_{B}=(5,5)\frac{p_{1}}{p_{2}}=1

一方, A,B,Cの3人からなる交換経済において競争均衡は
 x_{A}=\left(\frac{11}{2}, \frac{11}{4}\right) x_{B}=\left(\frac{19}{2}, \frac{19}{4}\right)x_{C}=\left(7, \frac{7}{2}\right) \frac{p_{1}}{p_{2}}=\frac{1}{2}
である.
 5 \times 5 =25>\frac{121}{8}=\frac{11}{2}\times \frac{11}{4}だから,Cが参加したことでAは2人経済のときと比べて損することが分かる.

統合前はAはBに財1を売ることで財2を得ていたわけだが,財1を相対的により豊富に有するCが参加することで,財1の相対価格が下がってしまったわけだ.これを,Aはただ「既得権」を享受していただけだ,と言ってしまうことも可能だが,だとすれば,我々はどの「既得権」が不当でどの「新規権」が正当であるかの理論を持たねばならないはずだ.


では,競争均衡解を所与と取らず,課税を通じた損失の補償などによって,経済統合によって誰も損をしないような資源配分ルールを作ることは可能であろうか?

「経済統合によって誰も損をしない」という要求をここでは統合単調性と呼ぼう.「常に一切の取引をしない」という解は統合単調性を満たすが,これはトリヴィアルだとしか言いようがないので,あらゆる集団においてそこでの配分がパレート効率的でならぬ,というのは真っ当な要求であろう.

統合単調性とパレート効率性のもとでは,あらゆる集団についてそこでの配分がその集団にとってのコア配分でなければならないことが示せる.だが,コア収束定理の古典的結果(例えばDebreu (1975))により,任意の経済を複製した経済におけるコア配分は複製の回数が大きくなるにつれてもとの経済の競争均衡に収束することが知られている.

説明のため上の例に戻ってくると,統合単調性とパレート効率性のもとでは経済ABを例えば100万回複製した経済(100万人のタイプAと100万人のタイプB)において配分はコアでなければならず,また,経済ABCを100万回複製した経済(100万人のタイプAと100万人のタイプBと100万人のタイプC)において配分はコアでなければならない.だが,100万回も複製すれば,前者の200万人経済においてはタイプAへの配分はもとの2人経済ABでの競争均衡でのAの配分に収束し,タイプBへの配分はそこでのBの配分に収束する.また同様に,後者の300万人経済においてはタイプAへの配分はもとの3人経済ABCでの競争均衡でのAの配分に収束し,タイプBへの配分はそこでのBの配分に収束し,タイプCへの配分はそこでのCの配分に収束する.

なので,100万人のタイプAと100万人のタイプBからなる200万人経済が100万人のタイプCからなる経済と統合すると,100万人のタイプAが損することになる.これは競争均衡解を所与としていないので,いかなる損失補償策を講じようとも,である.


ここまで読んで「いや,それはおかしい.例えば上の経済ABCにおいては,AとBは統合前の経済ABにおける資源配分 (5,5),(5,5)を今度は初期保有として交換に参加すれば,AもBもCも全員得するではないか?」と考えた読者がいるだろう,と推測する.その通りであり,ここでは問題の定式化それ自体に「隠された仮定」としての経路独立性があることに注意しよう.どういうことかというと,上の例では経済ABCは経済ABと経済Cの統合で生まれたと書いたわけだが,ひょっとしたら経済BCと経済Aとの統合で生まれたかもしれないし,経済ACと経済Bとの統合で生まれたものかもしれないのだ.

統合前の(そういう配分を恒常的に行っていたという意味での)資源配分を統合後の資源配分問題における初期保有と考えるということは,その経済がどのような統合経路をたどって生まれたものであるかに依拠することになるわけだが,「歴史が正しかった」などという保証はどこにあるであろうか?我々はただ「間違った歴史」に適応しているだけではないのか?「間違った歴史」に左右されたいためには,経済ABCにおける資源配分はそれがAB+Cから来ようともBC+Aから来ようともAC+Bから来ようとも同じ配分を与えるものでなければなるまい.故にこの問題では経路独立性を想定しているのである.

だが,経路独立性のもとでは,統合単調性とパレート効率性という極めて穏当な要求でさえ満たされないことが分かる.つまり,我々は経路依存性に真正面から取り組まねばならない.Politics should matter,というわけだ.


参考文献
Debreu, Gerard. "The rate of convergence of the core of an economy." Journal of Mathematical Economics 2.1 (1975): 1-7.