日本には、かつての国ごとに「一宮」「二宮」「三宮」と定められた神社が全国にある。超ざっくりいえば、一宮がその地域で一番社格が高い神社で、次が二宮、それから三宮という順になる。


興味深いのが、必ずしも現在メジャーな神社が、その地域の一宮ではなかったりするところ。たとえば名古屋周辺(尾張)で最もメジャーな神社といえば、熱田神宮を思い浮かべる人が多いような気がするが、熱田神宮は尾張の「三宮」なのである。じゃあどこに一宮があるか。尾張の一宮といえば、そう、地名の由来にもなっているように、現在の愛知県一宮市にある。市内の真清田神社というところがそうなのである。

三重(伊勢)のほうなら、さすがに伊勢神宮だろうと思うが、ここは逆に、全国の神社を包括する神社本庁の本宗にあたる神社で、諸国の中での一宮、二宮といった扱いのものではない。
三重の一宮は、鈴鹿市の椿大神社。
では東京を含む武蔵国はどうか。現在全国一の初詣参拝者数をほこる明治神宮は、大正時代にできたものだし、靖国神社の創建も明治時代と、諸国の一宮が定められた中世にはなかった神社だ。では、武蔵国の一宮は……??

そんな全国68カ所の一宮を9年間かけて巡った記録が、『日本廻国記 一宮巡歴』(川村二郎・講談社学芸文庫)という本。

こんなところにこの地方の一宮があるのか、という新鮮な発見、自分が住んでいる地方の一宮はどこのどんな神社なのか、次の休みに訪れる予定の地域の一宮は? という好奇心が満たされるだけでなく、それぞれの国や神社のありかた、成り立ちや歴史、人との関わり、なぜここにこの神社があるのか、そういったことが詳細に書かれていて、「読んでかしこくなった(陳腐な表現ですが)」、そんな気分にさせてくれます。

町から離れたところに、静かに長い時を重ね続ける神社の清らかな空気の描写も魅力的だが、超メジャーどころの厳島神社(安芸)にもまた、メジャーたる魅力がある。

あまりにメジャーな観光スポットすぎて、正直あまり期待していなかった筆者だったが、

<そうした違和感というか、妙にチグハグとした落ち着かない気分を(中略)一時に吹き飛ばしてくれた。一時に吹き飛ばすだけの、自然と造形の驚異的な統合が、目の前に実現されていた>

圧倒的なのである。宮島といえば鳥居が有名だが、海中にたたずむ赤い鳥居といえば、いくつか有名どころがあるが、「人寄せのための標柱」や「観光広告塔」めいたものもあると、筆者はいう。しかし。

<いかほど観光ポスターで見慣れていようと、千古の信仰の島の門として、ふさわしい威容を保っているといわねばならない>

宮島、行ったことはあるけど、もう一度行きたくなってしまう。もちろん、行ったことのない神社にも、読むうちに次々興味がわいてくる。
現在の都道府県の枠を越えた、豊かな日本の姿が見えてくるような気分に包まれる。

近年、「パワースポット」「スピリチュアル」的な語り口で注目を集めることも多い神社ですが、秋の観光シーズンは本書を片手に一宮巡り、という過ごし方、どうでしょう。
(太田サトル)