豊葦原瑞穂の国

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(緊急)震災の最前線の模様(ある防衛省の方の報告その2)

3月22日(火)
今朝は、1佐から、「花巻空港に急遽、80t のパンが輸送された」という電話で起こされました。被災者へのパン、大変貴重です。私も震災後7 日目にあんパンを口にしたときは、涙が出る思いでした。カロリーベースでは十分な のかもしれませんが、缶飯、乾パン生活は味気なく、胃もたれしますので、柔らかくて 甘いパンは、本当に嬉しかったです。とはいえ、80t のパン、全くの調整なしに送ら れては、せっかくの好意も無になってしまいます。朝の状況は、80t のパンを前に、 県と自衛隊の担当が立ちつくし、放置するわけにもいかないので、結局、今日の配送 計画を一度白紙に戻し、パンを配送することにしたそうです。
先任に確認したところ、本省レベルでは、花巻空港から先の端末輸送は農水省が担当(調整)することになっているそうですが、農水省のリエゾンの姿は県庁には 見えず(いるのかもしれませんが、働いていないことは間違いないようです。)、どうに もならないので、現場では、県と自衛隊で半分に分けて輸送したそうです。腹立たしい ことに、農水省のリエゾンは、現場では全く混乱なく配送できたと本省へ報告している そうです。確かに、リエゾン氏にしてみれば、何もせずに、80t のパンが配送できれ ば、これほどハッピーなことはないのでしょうが、農水省の言う端末輸送の担当(調整)が、県と自衛隊への丸投げということであれば、大変迷惑です。
受け取る側も気持ちが大切ですから、もらうシチュエーションによって、価値が変わ ってきます。先日、法務官と一緒に現場を視察した際、車中で、法務官が泣けなしの チョコレートパンを3つに割って、法務官、ドライバー、私に分けてくれました。チョコパ ンだけ、それも3分の1に過ぎませんが、本当に嬉しかったです。他方、80t のパン、本来であれば、嬉しいものですが、「燃料の代 わりにパン」「懐中電灯の代わりにパン」となりますと、効果もいま一つです。
本日は気仙沼を視察してきました。震災から10日以上が経ち、避難所の気仙沼中 学校(小学校も隣接)には、自衛隊の風呂、炊事車もあり、生活はかなり落ち着いて 来ました。生活レベルは、私よりもはるかに高い印象です。電気と水も復旧したそうで、 昨日までは校庭にたくさんあった車が、ほとんどなくなったとのことです(避難者数の 大幅減)。校庭では、子どもが元気いっぱい遊んでおり、のどかな感じが漂っています。 ただ、校庭の端に、ポツポツと一人で沈痛な面持ちで遠くを見ている人の姿も見られ ました。勝手な推測では、震災直後は日々生き抜いていくことで無我夢中だったので しょうが、生活が少し落ち着き、亡くなった家族や今後の厳しい生活のことを考えずに はいられないのかもしれません。
高台にある避難所(気仙沼中学校)から海の方へ下りていきますと、景色が一変し ます。家の瓦礫や、船や車の残骸が散乱しています。そこでは部隊がボートに乗って、 一生懸命水中の捜索をしていました。部隊が作業をしている間、崩れかけた港で待っ ていますと、警察官が近づいてきまして、「自衛隊さん、もうやめた方がいいですよ」と の忠告でした。遺体は、ごく当初は水に浮かび、すぐに水の中に沈む。その後、1週 間程度で炭酸ガスがたまって再度浮上するが、まもなく水中に沈み、後は浮かんで来 ない。時期的に、もう底に沈んで浮かんで来ないため、ボートに乗って棒でつついたと ころで、「全くの無駄ですよ」とのことです。
しばらくして部隊が戻って来まして、中隊長に警察官の話をしたところ、「分かって いるんです。分かってはいるんですが、どうしてもやめられないんです。合理的でない と言われれば反論はできません。でも、どうしてもやめられないんです。補佐官、私の 判断は間違っているでしょうか?」とのことでした。感情的な表現を、合理的に説明す るのは難しいことですが、現在、亡くなった家族の遺品を見つけようと、危険を顧みず、 倒壊した家の中に入っていく人が多数います。市役所の安否確認の掲示板の前で、 家族の情報はないかと1日中立ちながら待っている人もいます。海の中に入っていく ことはできないが、なんとか遺体が浮かんで来ないかと、毎日ずっと海を見つめてい る人たちもいます。相手が大切にしているものを、自分も大切にする。これは優しさの 基本だと思います。人間は食べて寝るだけの生き物ではありません。中隊長の問い かけに、この中隊を他の任務に振り分けたらどうだろう?とも迷いましたが、結局、自 分の心のままに、「中隊長の判断どおり、そのまま作業を続けてください。」と回答しました。

3月25日(金)
ここ数日、座って少し身体が温まってくると、すぐに寝てしまうので、昨日は大臣の 前で居眠りをしていなかったか、心配です。心配になって、昨日の光景を思い浮かべ ようとすると、また居眠りをしてしまいます。結果的に、前だけを向くことになりますの で、悪い話ではありませんが、私にもそろそろ「戦力回復」が必要になってきました。 目下の焦点は、ラーメン、ヨーグルト、納豆を、いつ食べることができるかにあります。
この3日間は、石巻市の北上地域(宮城県)、女川町(同)、南三陸町(同)、新地町 (福島県)、宮古市(岩手県)、釜石市(同)を視察して来ました。順不同で気づいた点 を。
まず石巻市の北上ですが、市町村合併で石巻市に編入した地域で、女川の北側 にあります。順路としては、石巻市の中心部→ 女川→ 北上となります。女川を出る と、雄勝(おがつ)という漁業の町があります(ました)が、すべて倒壊しており、瓦礫の 山となっていました。廃墟です。山道を通って、さらに進むと北上に着きます。北上川 が海に注ぐところです。こちらは、すべてが流されており、以前の状況を知らない私に は、海とも川とも判別しがたい水面が広がっている、ただの自然にしか見えません。
北上の支所長の話では、町のほとんどの人が流されており、まだ300人の行方が 分かっていないそうです。見慣れた光景になりましたが、14旅団の各部隊が、干潮で 水が引いたところを捜索していました。しかし、町の大部分が70cmほど地盤沈下し て水没しており、今後、まず簡単な土手を作り、次にポンプで水抜きをした後、ようやく 本格的な捜索が行えるそうです。気の遠くなるような話です。
自衛隊が捜索している集落から、橋を隔ててすぐのところに、現在、避難所となっ ている「にっこりサンパーク」という運動公園があります。橋が流されているために、大 きく迂回する必要があります。しかし、その迂回路も、以前の土手を応急的に使って いるため、単線の悪路で、車が激しく揺れる上に、対向車が来ると、通り過ぎるまで待 っていないといけません。私が行ったときは、タイミングが悪く、大型車が戻って来ると きでしたので、20分も道端で待たされました。結局、以前であれば2分で行けたところ を、1時間以上もかけて到着しました。
避難所は停電、断水、断ガスの悪条件が重なっていますが、大型車が多数来てい るように、物資は豊富なようです。いつものように食べ物をチェックすると、おにぎりや カップラーメン、水、ジュースがたくさん用意されていました。まずまずです。とはいえ、 支所長の顔色は冴えません。「政策」補佐官という名称のため、皆さん、いろいろなこ とを話してくれますが、支所長の話では、住民の多くを失った上に、残った人も高齢者
が多く、家を建て直そうという気持ちが起きないようです。若い人たちも、同じところに 家を建てる気にはならないようで、このまま町がなくなってしまうのではないかと心配 していました。町の復興のためには、まずは道路と橋のインフラを再整備する必要が ありますが、町に誰も残らないのであれば、橋をかけなおす必要もないだろうとのこと でした。大げさな表現ではなく、町(集落)は存亡の危機にあります。これは北上だけ に限った話ではありません。自衛隊が活動している地域は、どこも似たような状況に あります。
最近、総監がしきりに瓦礫の除去について話をしておりますが、このような文脈が 前提になっています。道路の上の瓦礫を脇によける。これは災対法の応急復旧で読 めます。民家の瓦礫を脇によける。これも同法の応急救助で読めます。総監も当然 知っています。問題は、瓦礫をただ脇によけるだけでは町(集落)の復興にはつなが りません。いずれ脇によけた瓦礫は、どこかへ集めて処分することになります。であれ ば、自衛隊は、瓦礫を脇によけるだけでなく、集積地まで運搬し、処分してあげれば いい。町や住民の負担が少しでも軽減されれば、復興への意欲や希望もまた湧いて くるのではないか、と期待しているわけです。
本日出されました瓦礫除去についての指針は、総監の意向(心配)に十分に応える ものとなっています。自治体に対して、現行法の枠組みで、かなり踏み込んだ対応が 可能であることが示されておりますので、自治体とうまく連携すれば、自衛隊も復興に つながる貢献ができます。実際、本日、総監と視察した宮古市と釜石市では、指針を 先取りする形で、市の方で既に住民説明会を開き、基本的には、1週間後には瓦礫を 廃棄物として処理する旨の通知をしたそうです。ちょうど我々が訪れたときには、部隊 がグラップルという「つまみ」のついた重機(マジックハンドや UFO キャッチャーのつま みを巨大にしたようなもの)で瓦礫を取り出し、それを市の指定した集積場へ搬送して いました。行方不明者の捜索が復興に結びついています。両市の被害は甚大ですが、 道幅も大きくなり、町が片付いてきた印象を受けました。総監も少し安心しておりまし た。
次に、遺体の搬送埋葬の件ですが、早速、効果が現れています。宮城県の南部に 山元町という小さな町がありますが、町から部隊に100体の遺体を東京へ搬送してく れないかと打診があったそうです。部隊 LO の話では、県から情報を聞いた厚労省が 霊柩車を手配してくれたそうです(細部の数字については間違いがあるかもしれませ ん。)。
この遺体の件については、「自衛隊は仕事を選り好みするのか」「こういう仕事はや りたくないのか」と指摘を受けることもありますが、全くの誤解です。廃墟になってしま った町に少しでも復興への希望を与えるため、また、家族を失って前向きになれない
遺族のため、むしろ遺体の搬送や埋葬をしてあげたいというのが隊員の心情です。実 際、岩手県の釜石市や山田町では、埋葬用の土地の整備を行っていますし、現在、 搬送を行っている東松島市の600体、石巻市の300体の他、仙台市300体、石巻 市100体(追加)、大鎚町400体、釜石市130体についても、調整を進めています。 各連隊長ともに、断れないと言っています。
他方、調べてみますと、自衛隊が遺体を搬送する場合、かなりの人手が必要になり ます。トラック1両に5~6体の遺体を乗せますが、遺体の状態が悪くなってきており、 また、自衛隊の車両は車高が高いため、車からおろすのに6人、間に2人、車の下で 受けるのが6人、計14人の作業員で対応します。5~6人の遺体にトラック1台、作業 員用に1~2台、ドライバーも2~3人となりますので、今後予想される依頼数を考え ると、相当程度の輸送力を振り向ける必要が出てきます。
私もそうですが、被災地を訪れて、まず感じるのが、自分の無力感です。廃墟にな った町、気力を失った住民を前に、自分はいったい何をすることができるのだろうか、 と立ち尽くしてしまいます。隊員も、早く遺体を捜してあげたい、遺体を搬送して埋葬し てあげたい、避難所にいる人たちに物資を届けたい、と強く感じながら、しかし、なか なか思うようにいかない現実に、悩んでいます。東北気質の心優しい隊員は、自責の 念にもかられています。
このような中で、厚労省が頑張ってくれるのは、本当に助かります。隊員は捜索活 動と物資の輸送に集中できるようになります。遺族も自衛隊のトラックより、霊柩車で 遺体を運んでもらう方が心安らかでしょう。きっと隊員もほっとしたはずです。今回の 震災で、東北の隊員の心優しさゆえ、住民の信頼と支持を得ることができています。 他方、同じくその心優しさが、逆の作用を起こさないかと心配していましたが、大臣以 下、皆さんの厚労省への強い働きかけのおかげで、一つ懸案が片付きそうです。
最後に、この3日間で各地をまわって感じたことは、自治体や地域にも「個人差」が あることです。たとえば、石巻市。ここは瓦礫の集積場を指定することもなく、ひっくり 返ってしまった車でさえ、ごくわずかしか移動させてはいけないと気難しい市です。な かなか町が片付きません。また、避難所への物資の流れも今ひとつです。一昨日の データでは、石巻総合運動公園に毎日400t の物資が搬入されるが、200tしか搬出 されず、倉庫に物があふれ、配送用に待機している自衛隊車両も渋滞している問題 児(市)です。同市を担当している44連隊の副連隊長が、「有事においては、時間を かけて満点をとるよりも、わずかな時間で30点を取るほうが勝つ」と力説していました が、いつ、どの避難所に、誰が、何を、何個(kg)配送するかを緻密に計算するあまり、 配送が滞ってしまっては本末転倒です。避難所の人数も毎日変化しますし、自宅から 避難所へ物資をもらいに来る人も多数いますから、この際、副連隊長のように、「荷物
を詰め込んで、まずは避難所に出向き、丼勘定で多めに配って、次の避難所へ行く。 余れば返品してもらうだけのこと」という割り切りも必要です。
この対極にあるのが、先ほど挙げた宮古市や釜石市となります。また、新地町も、 火力発電所がある関係で、町の財政に余裕があるため、頼もしい町です。自衛隊の ために町がグラップル8台を借りているため作業がはかどります。瓦礫の集積場も借 り上げていますし、自衛隊の宿営地として、町の体育館(総監曰く「バブリーな建物」) を、しかも電気代も無償(エアコンが使い放題)で貸してくれています。
南三陸町は漁師の町で住民の結束が強いので、自衛隊の炊事車ではなく、自分た ちで調理して配分できるよう、町に炊事用具(キャンプセットのようなもの)と食材を要 求しています。自衛隊には、炊事をできるスペースを確保するため、瓦礫の除去をお願いしています。釜石市では、市の要請で、各地の避難所から借り上げバスで通える 位置、つまり市のグラウンドに、自衛隊の入浴施設を配備しています。女川町も、女 川運動公園を拠点として、周辺の避難所をフォローするため、自衛隊に要請し、ここ に炊事車、入浴施設、医療車を配備しています。石巻市(北上支所)も悪いところばか りではありません。自衛隊の入浴施設は20個+α と限られていますので、近所の追 分温泉を使えるよう自衛隊に A 重油の提供を要請し、一昨日から温泉が使えるように なりました。この際、なぜ「天然温泉」を沸かすのか、というヤボな質問は不要です。
自治体や住民が前向きに企画し、それに自衛隊が協力するという形になりますと、 目に見えて住民の生活が良くなります。住民の意欲も上がって来ます。明日からも自 治体をまわりますので、各地での取組みなどを参考に、自治体や住民の前向きさを 引き出していければと考えています。

3月27日(日)
昨日、昼に缶詰のラーメンが支給されました。カップラーメンではなく、缶詰です。ど うして麺が伸びないのだろうかと不思議に思って調べてみると、麺はこんにゃくで作ら れていました。「いんちきラーメンだな、これは」と文句を言いつつも、自分でも驚くほ どの早さで、あっという間にスープまで飲み干していました。
本日は午前中、総監と牡鹿半島の先端、鮎川というところへ行って来ました。総監 の問題意識は、「僻地」の牡鹿半島に物資が届いているかという点にあり、物資の集 積場を中心に視察しました。ここで、まず目についたのは、目下私の戦力回復の3大 スローガンとなっているヨーグルトの山積みです。震災以降、初めて目にするヨーグ ルトです。その隣には、ヤクルトもありました。以前、大病したこともあり、私はヤクルト を宅配してもらっているのですが、その私のところへすら、震災以降は一度も届けら れていません。その他、米、ウィダーインゼリー、カップラーメン、栄養剤、下着、古着 の段ボール箱が山積みしてあり、相当に潤沢との印象を受けました。
そこを担任する4連隊長と牡鹿支所長に話を聞いたところ、自治体と自衛隊との連 携は緊密とのことです。牡鹿支所管内で85人が行方不明になっており、65人が未だ に不明とのことですが、支所長が誰が行方不明になったかを全て把握していることか ら、ピンポイントでここを捜索して欲しいと連隊に依頼するそうです。それ以外は生活 支援に集中して欲しいとのことで、連隊の方も、生活支援重視で対応しておりました。 連隊長の話では、石巻市のルールでは、朝、石巻総合グラウンドへ物資をとりに行く ことになっているそうですが、牡鹿は石巻中心部から離れていることもあり、前日の夕 方、一番物資が豊富なときに受領に行くそうです。デパートの人気商品の売り出し時 刻を狙う感じです。
これまで物資が届いていないといわれる避難所を複数回ってきましたが、実際には、 いずれもかなり恵まれた食生活を送っています(あくまでも私と比較しての話です が。)。震災直後は確かに物資が届かないこともあったのでしょうが、今はどこの避難 所も円滑に機能しているようです。なぜこういう「誤解」「デマ」が起こるのかと思いま すが、そこは避難所や自治体の「戦略」もあるようです。私は若いこともあり、皆さん、 心を許していろいろと話してくれますが、どこの避難所でも、物が不足することだけは 避けなければいけません。そこで、大げさに(もう飢え死にする!)、複数に保険をか けて(1自衛隊、2県、3ツイッターや掲示板等(一般向け)の3つのルート)、物資を 要求するそうです。結果的に、避難所に物が余ることになります。余談ながら、牡鹿半 島の4連隊は、缶メシだけの生活ですので、迷彩服を着ていませんと、こちらの方が 避難者だと勘違いされることになります。
これと対照的に心配なのが、自宅で頑張っている人です。避難所へ行かず、なんと か自力で頑張ろうと、スーパーに何時間も並んでわずかな食材を買い求めています が、閉店中のところも多く、物資はほとんど入手できていないようです。自衛隊として は踏み込みづらい領域ですが、避難所に余った物資を自宅にいる人にも配分できな いものか、考えずにはいられません。このままでは、自宅にいる人が「干上がる」おそ れもありますし、そこまでいかなくとも、不公平感を感じることは間違いありません。
これは本日、ガソリンスタンド構想についても同じです。これまでスタンドが閉店して いましたが、ここ数日、ようやくガソリンが入ってきまして、スタンドの前に長蛇の列が できています。ガソリンを入手しようと一生懸命になっている人が多くいる一方で、国 が無償でガソリンを提供する。全ての人にはガソリンを支給できませんので、当然、 不公平感が出てきます。陸前高田市でも、前日に整理券を配っていますが、「計画経 済」では恒例の、情報に近い人、つまり市役所職員の親戚縁者、避難所にいる人が 「特権」を享受することになります。自宅にいる人は、今までどおり、何時間も待ってお 金を払ってガソリンを入手します。避難所で給油を受けて喜ぶ人以上に、不平不満を 感じる人がいるはずです。
確かに、部隊は給油まで手が回らないというのも事実ですが、民間の物流が復活 してきている中で、自衛隊がどこまで手を貸すべきか、判断が難しいところです。総監 としては、ガソリンについて、自治体から依頼を受ければ、避難所まで物資を輸送す る。救急車などの緊急車両や自治体の避難所へ物資を配送する車両など、公的性 格のある車両には給油する。それ以上は、自衛隊は対応できないし、対応すべきで ないとのスタンスですが、私も賛成です。
話は変わりまして、最近、各連隊正面の行方不明者(遺体)の発見者数が減少し続 けています。1週間ほど前までは多いときで3桁、普通で2桁の行方不明者を発見し ておりましたが、最近では1桁、少ないときでは0人ということもあります。傍にいるマ スコミからは、「もう行方不明者は全て海にながされてしまったのではないか」、あるい は「2週間たって、現場の部隊が怠けて来たのではないか」と言われることもありま す。
どちらも誤解です。正確な数字はとれないようですが、3県で把握しているだけでも、 まだ1万7千人の行方不明者がいます。まだ、かなりの部分が瓦礫の下や水没地域 にいると考えられます。また、部隊も生活支援に重点シフトをしつつも、捜索活動も引 き続き力を入れています。
ここ3日間で、石巻、女川、気仙沼、名取、野蒜を回りましたが、最初の捜索活動 (生存者の確認)を終え、現在、部隊は多くの難所に直面しています。たとえば、30m
級の津波をダイレクトに受けた女川の4階建ての市民センターですが、骨組みと外壁 の少しが残された他、内装はほぼ全壊しておりますが、そこへ住宅や車が多数流さ れて、以前の建物とほぼ同じ高さと容積の瓦礫が複雑に絡みついています。複数の 隊員が遺体や貴重品の有無を目視しながら、グラップルという「つまみ」のついた重 機で瓦礫を除去していきますが、時間がかかります。作業中、釘などを踏んでしまい、 怪我をする隊員も少なくありません。
あるいは水没地域では、排水ポンプ等により、ようやく水が引いてきましたので、70cm程度の土砂が積みあがる中を、手作業で捜索していきます。辺り一面、ぬかる んだ砂場のようになっており、「手掛かり」がありませんので、一画一画をしらみつぶし に探していきます。根気強い作業となります。
昨夕、野蒜に到着しますと、小隊が一生懸命に沼地を掘り起こしていました。6歳 の男の子の母親から、自宅があった場所の下を捜して欲しいと依頼があったそうです。 もうすぐ4月を迎えますが、ここ数日は寒く、時折雪も降ってきます。水が抜けたばか りの、津波の後の生臭い潮の臭いが強烈に漂う中、30分ほどぬかるみを掘り返して も、なかなか見つけ出すことができません。結局、底まで掘り出しましたが、男の子を 見つけることはできませんでした。その代わりに、男の子が大事にしていたというウル トラマンの人形が出てきました。母親は、深々と頭を下げてそれを受け取ると、丁寧に 何度も何度も拭いて、大事にしまって帰っていきました。
夜に総監部へ戻り、無性に子どもに会いたくなったので、12歳の娘と6歳の息子に 着替えを持ってきてもらいました。忘れていましたが、昨日は2人の卒業式と卒園式 でした。娘については、入籍、入庁、出産がほぼ同時となったため、義父から「順番が 違う」と言われ、「いえ、順番は合っています。間隔は短いのですが・・」と答えたため に、以来、微妙な空気が流れていますが、このような事情を知ってか知らぬか、私に とっては自慢の娘となっています。成績も優秀でした。息子の方は相変わらず仮面ラ イダーが大好きで、迷彩服を着た私に、大興奮で何度も飛び蹴りをしてきました。帰り に洗濯物を渡そうとしたところ、パンツが落ちてしまいました。息子が親指と人差し指 で、さも汚い物のように(決して間違ってはいませんが)つまみ上げると、娘が「そうい う持ち方はダメ」と叱ってくれました。しかし、「指で持ったらダメ。爪で持たないと、指 が汚れる」とのことです。複雑な心境ですが、元気が湧いてきました。

- Hope is on the Way : (緊急更新)震災の最前線の模様(ある防衛省の方の報告その2) (via eveneko)