中川剛『町内会 日本人の自治感覚』


 1980年に出た本で、今では新刊として手に入らない。
 ぼくも図書館で借りて、その後、古本として購入したものである。


 古本についていたオビが非常に要領よく本書の問題意識をまとめているので、そのまま紹介しよう。


 昭和二十二年訓令によって廃止された町内会は、三月後にはその八割が復活した。アメリカが自国の自治の理念を日本に移植しようとした試みは成功したといえるのだろうか。内務省と占領軍民政局との間の交渉過程は、そのまま日米両国の社会構造と人間関係の規範の原理的差異を浮かび上がらせた。戦後史を通じて日蔭の位置にあった日本伝来の隣保組織のなかに、借り物ではない自治の可能性を虚心に探り求めた犀利な日本社会論。

 占領軍が想定した地方自治を、英米型の地方分権モデルだとして独立した近代的個人が市町村レベルで地方政府を形成するというものだとしたうえで、「廃止」されてもなお残った町内会・部落会に良くも悪くも日本人の自治感覚が読み解けないだろうかと探りを入れているのである。
 こういう古典的な対立軸で問題をみていく作業をしている本、しかもそれを新書レベルで説いてくれている本は、なかなかない。


 この本では、「では英米型の自治感覚とはどのようなものか?」を解き明かした2〜3章こそが日本人的な自治感覚との対比を彫琢するうえでは重要なのだが、読んでいて一番ツラいところでもある。というのも、この表題に惹かれて読み始めた場合は、縁遠い話だからである。
 4章以降に書かれた、日本の町内会の分析は、1980年にしてすでにぼくらが肌感覚で知っている問題が顔を出していて、理論の筋道をたどる労苦をしたくないむきには、ここから読み始めることをお勧めしたい。


 ただ、ぼくとしては占領軍がどのように町内会を考えていたかという1章の攻防史が抜群に面白く、ここでの占領軍と、内務省市川房枝との対立こそ、今後の町内会を考える上では出発点になるだろうと思った。

自治会・町内会を全員加入制にすべきかどうか

 カンタンにいえば、「自治会・町内会を全員加入制にすべきかどうか」ということである。


 戦争によって町内会・隣保組織は、行政の末端組織と位置づけられ、全戸加入が義務付けられた。占領軍はこの行政の末端組織としての町内会を廃止し、任意団体に戻したのである。

町内会・部落会などは、昭和一五年九月一一日内務省訓令第一七号で、「隣保団結ノ精神ニ基キ市町村内住民ヲ組織結合シ万民翼賛ノ本旨ニ則リ地方共同ノ任務ヲ遂行セシムル」ため、国民の精神的団結、国策の周知徹底、地域的経済統制といった目的のもとに整備させられていた。町内会は、原則として町もしくは丁目または行政区の区域による全戸加入の市街地住民組織であった。機構や運営は相当ていど慣行によることが認められていたが、それまでは任意団体として存在していたものが、この時点ではっきり制度化されたのである。戦後における町内会などの廃止は、昭和二二年一月二二日の内務省訓令第四号で、この昭和一五年内務省訓令第一七号を廃止するという形で行なわれた。(本書p.22、強調は引用者、以下同じ)


 これにたいして、内務省は占領軍がその改革を打ち出す前には、公選制による改革、つまり選挙で町内会長を選ぶという改革案を想定していた。


占領軍の警戒を察知した内務省は、運営が自発的で民意にもとづくものとなるよう通牒を発し、その維持をはかっている。(本書p.23)

…町内会長・部落会長の追放が総司令部で検討されたが、けっきょく、現職の長は最初の一任期間は立候補できないことを条件とする公選制を指令した。(同前)

 選挙制を法制化すると、町内会・部落会そのものも当然法制度上の存在となるはずであるが……いずれにしてもこの結果、町内会・部落会またはその連合会の長は、成年者による普通選挙によって選ばれるとする勅令案が作成され、昭和二一年一月四日に公布施行された。これに先だって内務省では、総司令部の町内会・部落会への否定的評価をおそれて、住民の強制加入を再検討し、これらの組織の設置を、関係住民の自由意思にまかせることとする方針をまとめていたのである。(同前)


 「ん? こいつら草の根の軍国主義団体じゃねーの?」と占領軍が目をつけはじめ、内務省が激しい抵抗っつうか、あわてて気配りする様子が目に浮かぶ。「いやあのその、強制加入をやめますから。ええ。はい、もう。あっ、それから、えーっと、選挙。どうすか、選挙。みんなで選ぶ。民主主義っすよ。それをやったら、あの、いいんじゃないかなあって、えへへ」みたいな。

はだしのゲン』の町内会長のように

 占領軍側の町内会認識は厳しい。
 占領軍の報告書、Political Reorientation of Japan,Report of Government Section,S.C.A.P, 1948によれば、町内会・隣組などの隣保組織の起源は、中国の階層的スパイ組織であり、徳川時代におけるキリシタン告発の五人組となり、日本の植民地・占領地支配における弾圧機構として猛威をふるったというむねが書かれている。

戦争中、日本人は「隣組」という名の半官半民的で封建的な隣保組織の網を完成した。この隣組によって、日本国民の個人的生活、活動、さらに思想さえも一握りほどの中央政府の官吏によって有効かつ完全に支配されてしまった。この組織により、中央政府から各家庭、各個人にいたるまでの命令系統が設けられ、下部から中央政府にいたる情報網が設けられた。表面上はこの組織は、自発的結合にもとづいているが、非国民と呼ばれることによって受ける警察からの脅迫、生活必需品を絶たれるかも知れぬという陰然〔ママ〕たる脅威その他一般的な報復がおそろしいので、結成するしないの選択の自由は存在しなかった。戦争中、大政翼賛会が主としてこの組織の支配権を握り、国民に大政翼賛会の方針を宣伝するとともに国民を大政翼賛会の傘下に確保するためにこの組織を利用した。


 マンガの中では、たとえばこうの史代この世界の片隅に』には、共同体としての助け合いの側面も描かれている。
 しかし、他方で『はだしのゲン』に登場する「町内会長」および「町内会」はまさにこの占領軍報告書のイメージ通りである。
 後でもふれるが「地方的な暴君」と報告書は別にしるしており、ゲン一家をいじめ抜く町内会長はまさにそれであった。『ゲン』のような町内会観はすべてが真実でないにせよ、戦中を経験した日本人の中の心象風景の一つだったことは疑いようもないだろう。
http://www.pcf.city.hiroshima.jp/virtual/VirtualMuseum_j/exhibit/exh1102/exh110201.html


ボス支配のスパイ組織。これが民政局の結論だった。そういう面がなかったとはいえない。しかしそれですべてであると断定したところにかれらの認識の限度があった。(本書p.28)


 ここに書かれている行政の末端機構としての町内会の姿は、いま町内会を忌み嫌う人たちの古典的なイメージでもある。そして町内会長をやっているぼく自身が実感している、今現在の町内会・自治会の中に残るかなり大きな要素なのである。
 「今は戦争動員のようなことはないだろう」と言う人もいるかもしれない。
 しかし、住民の多くを把握し、行政から家庭、個人にまでのびていく「命令系統」は今もそれなりに生きている。たとえば福岡市では破綻している公共事業として人工島事業(海面を埋め立てて土地を造成し、それを売ることで採算をとり、街の活性化にもつなげるとしたが、全然土地が売れない)があるが、役所からの計画が何の批判的検証もなく無前提に回覧板で回され、自治会の集まりで説明されたりする。
 この12月議会で生活安全条例の一種が可決されたのだが、そこでは地域の防犯活動への参加が努力義務として市民に課せられている。ぼくは、効果的な防犯活動を、自主的に行ない行政がそれを支援することには積極機に賛成であるが、非科学的な「不審者」キャンペーンによって相互監視の網を作ってしまうような活動への参加に圧力をかけられることは到底堪えられない。

こ、これは今の話じゃねえの?

 そして報告書が描いている町内会のスケッチは、「これ、今の話じゃね?」と思うほどにヴィヴィッドである。


隣保組織は、市町村の執行機関の代行機関としてもっとも十分に利用された。この組織は、地方公共団体のために数百万の無料の人員を提供し、労務を提供する人々にたいして付加税を課したのと同じ結果になった。さらに、報酬もなく、仕事は時間を浪費する性質のものであったので、勤労階級の人々にとっては、責任ある地位を引き受けることができなかったか、多大の犠牲を覚悟で引き受けるかであった。(本書p.27)

 福岡市では「補助金を出してやる」といって自治会に「押しつけて」いる仕事がいくつかある。防犯とか交通安全とか衛生とかそういう活動だ。今度はこれに「高齢者の見守り」というのが入ってくる。*1
 高齢者の見守りそれ自体が悪いわけではない。
 いや、むしろ「福祉」の仕事として、心温まるものだろう。
 しかし、それが「地方公共団体のために数百万の無料の人員を提供し、労務を提供する人々にたいして付加税を課したのと同じ結果になった」という事態であることは疑いない。


 いい悪いは別にして、社会的サービスを義務的に支出させる力をもっているのである。


多くの場合、長にはボスがなった。ときには、時間に余裕があり、配給食糧や共同物資を自分の用に供する機会のあることを知っているのらくら者が長になった。このような長は、公共精神に欠けており、構成員の困窮には無関心であり、多くの場合において、その地位を利用して地方的な暴君になった。


 いるよ。こういうやつ。今でも。……と思う人は決して少なくないだろう。
 ぼくが住んでいる地域の自治会関係の組織でも、昔からこういう話がたえない。補助金の使途が不明瞭で「なんでこんなに人件費に出しているの…」みたいなことだ。

廃止か民主的改革か

 いずれにせよ、占領軍は、こうした町内会を問題視した。
 内務省が公選制による改革をうちだしたとき、「ふーん。でもそれなら隣組長も公選制にしないとね」と言い出したのである。つまり町内会を構成する班(10〜20戸くらいの単位)のようなもので、そのリーダーも公選制にしろよ、できなきゃもう町内会は廃止しろ、と言い出した。


 憲法93条2項には「地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する」とあるのだが、この規定を使って選ぶことができるだろう。
 これで選ばれた「地方公共団体の…法律の定めるその他の吏員」は、戦後、教育委員の公選しかない。数回だけ。
 まあ、これで町内会長や隣組長を「公選」することもできたわけだ。
 だが、想像してみるといい。町内会を公式の選挙のもとに置くのでさえ至難である。さらに、10〜20戸レベルで公正な選挙なんかできっこないだろ……。どうやるんだ。


これは管理上ほとんど不可能なことを要求するものだった。……隣組長の公選は、いわば無理難題であった。〔総司令部は――引用者注〕隣保組織の廃止が目標であって隣組に民主的活力を賦与するということには、さして熱意を持っていなかったのである。(本書p.24-25)

 本書の著者である中川は、こうした町内会の廃止をアメリカの民主主義観に由来するものとして、英米型の地方自治モデルをその後考察していく。だが、地方制度の問題以前に、近代的合理主義の個人観の限界として中川はごく簡潔にふれている。

アメリカン・デモクラシーの核には、自由で独立した個人という神話がある。……要するに軍国主義と封建的桎梏のための制度を一つ一つとり除いていけば、自由にして独立な人間が現れるにちがいないという単純な引き算であった。
 個人を普遍的観念的なものとしてとらえ、日本人に固有の生活様式を理解することがなかったために、町内会などの伝来的な住民組織は制度外に放置すれば自然消滅すると考え、かえって前近代性を温存する余地を残すことにもなったのである。(本書p.31-32)

…かれらは、人間存在を単純明快にとらえるかれら自身の立脚地、(レヴィ=ストロースの言い方を借りれば、)「わずか数世紀を溯るにすぎない近代的合理主義」にもとづく人間観を、あまりにも無邪気に持ちこもうとしたと言えるかもしれない。(本書p.29)

民主的改革を求めた市川房枝

 このような占領軍の改革に対して、市川房枝は批判する。もっとも占領軍は間接統治をしていたので、直接は内務省批判として表明されているのだが。

こんどの町会、部落会の廃止は、あとの方針もきまらないで、町会長、部落会長の資格審査がめんどうだから廃止するというのは、無責任な官僚の機構いじりだ。あとのやり方も決まらずに勝手に自治体でやれといえば、また顔役がのさばってくる。私は、今の町会、部落会を民主的に発展させるよう努力すべきだと思う。

 市川房枝も、廃止ではなく「民主的改革」を考えていたのである。中川はこの市川の見解を「当を得ていた」と評価している。

制度の外に放逐された町内会

 法律には今も町内会・自治会はどこにも位置づけられていない。*2結局、占領軍の見通した、「町内会・自治会を制度の外に放逐する」という道を、大まかにいえば今もぼくたちは歩んでいるのである。
 だから、町内会・自治会は長く「いない存在」として扱われ、ようやく国でもコミュニティのあり方として議論され始めるのは1960年代ごろからである。

講和後の町内会にたいする政府の態度は、放任静観で、これは、昭和四四年の国民生活審議会コミュニティ問題小委員会報告書「コミュニティ――生活の場における人間性の回復――」が出されるまで続いた。(本書p.158-159)

自治会の3つの機能

 以上の問題をぼくなりに総括してみる。
 町内会・自治会には主に三つの機能があるとぼくは思っている。
 一つは、親睦・交流である。これは自然発生というか、隣保組織の起源ともいうべきもので、近所でバーベキューをみんなでやるとか、そういう姿である。自然にあいさつをするとかいうあたりから始まって、夏祭りやもちつきをしたりする。
 二つ目は、地域の問題を解決するための社会サービスの提供である。環境衛生とか防災とか防犯とか高齢者や子育ての支援とかそういうことだ。道路をそうじしたり、パトロールして子どもたちに声をかけたり、年寄りが部屋で死んでないか見回りしたり、そういうやつ。
 三つ目は、地域の意思を代表する機能。たとえばそこに巨大な道路ができるときには、地域として賛成とか反対の意思を表明したりする。あるいは地域の代表としてその道路計画に条件をつける交渉に参加したりする。

 一つ目はまあここには関係しない。放っておいても、やるやつはやる。
 政府組織の末端に、義務的に全員加入をさせたいという衝動が出てくるのは、直接には三つ目だ。論理的には。全員がくくられていることによって、はじめてその地域を代表できる。ぼくが運営している団地自治会は、加入制度をとっていた頃には加入率がかろうじて過半数であって、そういう自治会は地域を代表できるのかいぶかるむきもあるだろう。
 戦後すぐの自治体は小さかった。
 たとえば、ぼくの田舎では、現在の中学校区が「村」として独立した。小さなコミュニティをつくることで民主主義の学校たる地方自治を根づかせようとしたわけだが、1949年に逆コースとともに大合併がおこなわれてしまう。
 まあ、仮に中学校区で「市町村」=全員加入の地方政府を形成したとしたら、地域代表性は担保できるかもしれない。


 もっとも難しいのは2つ目の機能だろう。
 3.11以後、コミュニティが再注目されているが、行政側はこれを奇貨として、自身の行政サービス提供の義務から撤退し、「地域のことは自分たちで」みたいな看板で、住民の労役(ただ働き)によって安上がりの社会サービスを提供させようとしている。「新しい公共」とか「自助・共助・公助」論は、だいたいそういう思惑と結びついている。行政の欲望というより、住民へのちまちました行政サービスに税金なんぞ使ってほしくないという新自由主義に根をもつ発想であることは容易に想像がつく。


 自治会の組織が十分にできないところはどうなるか。
 たとえば高齢者の見守りサービスなんかとても無理という加入率や活動率の低い自治体では、そのサービスは行なわれないか、ひどく質の低いものになる。「子どもの預かり」なんかも隣近所でやるといえば聞こえはいいけど、下手をすれば低質な保育への置き換えとなり、まあ子どもがポンポン死んだり、そうならなくても専門性のないジイさんバアさんの俗流の教育が忍び込むことになる。


 前にも論じたように、憲法に保障された「健康で文化的な最低限度の生活」を保障するナショナルミニマムのためのサービスは、税金みたいな強制拠出によって行政がやる必要がある。そのラインがどこまでなのかは、国や自治体で議論されて、きっかりと引かれなければならない。
 自治会の仕事は、その上にたつボランティアであり、プラスアルファにすぎない。そういう区分で考えておけば、全員加入を強制する必要はなくなる。


 3つ目の機能については、全員加入制をふだんとっていなくてお、やりようはいくらでもある。
 これは別の機会に論じたいが、カンタンにいえば、「ふだんは委任、必要性があれば非加入者をふくめた全員参加のしくみを、必要性を感じた人のコストで実現できるように残しておく」ということだ。総会開催の制度的しくみを残しておいて、やりたいやつが委任状とか出席要請をせっせとできるようにするのである。
 そして最終的には簡単に住民投票(もしくは住民意向調査)ができるようなしくみを自治会とは別につくっておいてもよい。

  
 ぼくはあくまで「全員加入型」の自治会復活には反対である。
 自治会はあくまでボランティアでなければならない。
 そういう意味ではぼくは占領軍と同じ問題認識に立っていることになるだろう。

*1:福岡市は「いえ、メニューから自主的に選べるようになっております」と言っているのだが、もちろん現場でそんな運営はされていない。市側は前から議会では「全部の事業をやらないと補助金がでないわけではない」といいながら、実際には「必須」項目という扱いをされており、議会に報告された文書にもそれが現れた。今回の改定でも同じ扱いをされることは容易に想像がつく。

*2:わずかに地方自治法に「地縁団体」が法人格を取得するための規定があるだけだ。