携帯電話の電波も十分には入らない和歌山県の山奥の限界集落。そこに引きこもり経験を持つ若者や会社を辞めて無職となった若者など、いわゆる「ニート」を集めて共同生活を営む団体がある。NPO法人「共生舎」(和歌山県田辺市)だ。

 廃校となった小学校に住みついたニートたちは、村の住民から農作業の手伝いを依頼されたり、近くの旅館やキャンプ場で働いたりして、各自月2万~3万円程度で生計を立てている。山奥の生活共同体でともに暮らすニートたちが目指すものはいったい何なのだろうか。自らも引きこもり経験を持ち、共生舎の理事をつとめる石井新(あらた)さんに話を聞いた。

(聞き手は、柳生譲治)

山にへばりつくように立つ共生舎(和歌山県田辺市)。廃校となった校舎を利用している。同じ敷地内にある離れ(家)を改造して暮らしている住人もいる。
山にへばりつくように立つ共生舎(和歌山県田辺市)。廃校となった校舎を利用している。同じ敷地内にある離れ(家)を改造して暮らしている住人もいる。

和歌山の“秘境”から、ニートの山奥暮らしを発信

到着が予定よりも遅くなりましてすみません。石井さんのブログ「山奥ニートの日記」に、最寄駅から1時間半ほどと記述されていたのを読んで、グーグルマップでざっと道路の「予習」はしていたのですが…ちょっと考えが甘かったです。文字通りのすごい山奥ですね。

石井:皆さんここに来られた方は口をそろえて、そうおっしゃいますね。口の悪い人の中には“秘境”と言う人も。道路も狭いので、確かに車の運転は慣れないと危ないです。近くで脱輪して動けなくなった車を道路に戻すために、僕たちニートが引上げ作業の手助けをさせてもらったこともあります。

少なくとも30分以上は、対向車が来た時にすれ違うのもままならない細い道で、片側はずっと深い谷…時には事故を起こす車もあるでしょう。最近降ったと思われる雪がアイスバーンになって残っている場所もあり、ひやりとしました。

ただでさえ道幅が狭いのに、工事のためにさらに狭くなっている場所も。通り抜けるにはギリギリの道幅だ。右側の谷底には川が流れている。
ただでさえ道幅が狭いのに、工事のためにさらに狭くなっている場所も。通り抜けるにはギリギリの道幅だ。右側の谷底には川が流れている。

石井:確かに不便なところですし、共生舎から車で30分ほどのところに近づくと携帯の電波も圏外になってしまうのですが、幸い有線のインターネットはつながります。食料や生活用品をアマゾンで注文すると届くまでわずか2日。配達の人には申し訳ないですけど。今の時代、ネットさえつながれば現代の生活を享受できるものです。ネットを通じて無料で手に入る楽しみはたくさんありますし、移住当初からブログやニコニコ生放送(編集部注:現在はユーチューブを使っている)、ツイッターなどを通じて山奥暮らしの情報発信もして反響を得てきました。

名古屋から和歌山の山奥へ、「すごいことが起こる」と期待

ここは廃校になった小学校の校舎ですよね。2010年頃から地域のNPO「共生舎」が、ニートや引きこもりを集め、この過疎地で共同生活をさせる計画を進めていて、それを知った当時は引きこもりの石井さんが応募。2014年の3月末、第1号の移住者兼管理人としてここにやって来られたと聞いています。約4年が過ぎたことになりますが、ここに移住する時に不安はなかったのですか?

石井:「不安だったでしょう?」とよく聞かれるのですが、むしろこれからすごいことが起こるのだという予感があり、興奮していました。会社勤めをして定年退職までやりたいことを我慢するなんて、僕にはできなかったですし。

 ここでは狭くとも畑を耕せば食料は自給できるし、水も電気ある。無料で住める空き家もある。何より、現代では山奥でもネットさえつながれば何でもできる。

田舎での新しい暮らしへの期待しかなかった?

石井:ただ1つ、移住当初にとても残念なことが起こりました。僕たちニートを呼んで下さった、山本利昭さんという方──元養護学校の校長先生でニートや引きこもりにとても理解のある当時のNPO共生舎の理事長さん──が、僕らがやってきた直後にお亡くなりになってしまって…。大変ショックを受けました。

 その後、理事長は山本さんの奥さんの山本佐知子さんに代わり、実質的には、僕ら居住者が自主運営を任されています。理事は僕と、初期からのメンバー2人の合計3人。山本さんが作った共生舎の理念に照らして、現代社会には居場所がなく生きづらさを感じている人たちを集め、共同生活をしているというわけです。

<span class="fontBold">NOP法人 共生舎 理事</span><br /><span class="fontBold">石井 新(いしい・あらた)氏</span><br />1988年9月生まれ、愛知県名古屋市出身。ブログやSNSなどインターネット上では「葉梨(ばなし)はじめ」を名乗る。子供の頃から映画「男はつらいよ」シリーズの車寅次郎(寅さん)のような自由な生き方に強い憧れを持つが、「世間の圧力に負けて」関東にある大学の教育学部に進学。教育実習での体験などから「引きこもり」となり、大学は中退、故郷の名古屋に戻る。2011年、東日本大震災が発生した時には被災地にかけつけボランティアを行う。その後、偶然、共生舎(和歌山県田辺市)が過疎となった集落へのニート・ひきこもりの移住を募っていることを知り、応募。2014年3月末から山奥で、ほかのニートたちと共同生活を行っている。自称「山奥ニート」。
NOP法人 共生舎 理事
石井 新(いしい・あらた)氏
1988年9月生まれ、愛知県名古屋市出身。ブログやSNSなどインターネット上では「葉梨(ばなし)はじめ」を名乗る。子供の頃から映画「男はつらいよ」シリーズの車寅次郎(寅さん)のような自由な生き方に強い憧れを持つが、「世間の圧力に負けて」関東にある大学の教育学部に進学。教育実習での体験などから「引きこもり」となり、大学は中退、故郷の名古屋に戻る。2011年、東日本大震災が発生した時には被災地にかけつけボランティアを行う。その後、偶然、共生舎(和歌山県田辺市)が過疎となった集落へのニート・ひきこもりの移住を募っていることを知り、応募。2014年3月末から山奥で、ほかのニートたちと共同生活を行っている。自称「山奥ニート」。

お互いに個性を認め合い、助け合って生きて行く

共生舎の理念というのは、ここに書いてあるような内容ですね。

特定非営利活動法人 共生舎の理念

公的制度によらずそれぞれの立場の人が、
お互いに個性を認め合い、助け合って生きて行く。

石井:亡くなられた山本利昭さんがお作りになった理念です。僕たちはその理念に則って運営をしています。だから、ここに来たいというニートの人はむげには拒否しません。ただ、やはり都会とは勝手が違いますし、我々、元からのメンバーたちと、合う・合わないはあると思いますので、「まず、見に来てください」とお伝えしています。この理念以外のルールは、食費や光熱費などの拠出のほかは特にありません。

畑を耕す共生舎の住人。(写真提供:石井新/共生舎)
畑を耕す共生舎の住人。(写真提供:石井新/共生舎)

そのルールについては、石井さんのブログにも記述がありますね。

【必要なもの】

食費:1日500円。買い物した時にいるなら、割り勘でもOK。

光熱費:初日1000円、2~30日目は500円。31日目~ は300円。

「ニートではない」と言われてしまうかも

石井:それは実は短期滞在の「お客さん」用で、実際に長くここに住んでいる人はもう少し安くなります。ここにいる僕ら住人は皆、全部ひっくるめて月2万~3万円くらいで暮らしています。住居費はかからないですしね。収入は地域の人たちから依頼される農作業などの短期アルバイトや、ブログのアフィリエイトなどから得ています。僕の場合、ネットから得られる収入が月数千円。わずか数千円ですが、分母が2万~3万円ですから、結構大きな割合です(笑)。

ニートだけれど、最低限には働くのですね。

石井:僕たちは、最低限は働いてわずかな収入があるため、厳密には「ニート」(NEET=Not in Employment, Education or Training=仕事も通学も求職もしていない人)という言葉の定義に当てはまらないのかもしれません。定義に厳密な「ニート原理主義」とでも呼べるような人達からすれば、一切働かず収入がないのが「ニート」であって、僕らは「ニートではない」と言われてしまうのかも(笑)。でも、ほかにうまく言い表す言葉がありませんので、僕たちは自分たちを便宜的に「ニート」と呼んでいます。現代社会とうまく折り合いをつけられずに、山奥に居場所を見出した「山奥ニート」ですね。

人が増えれば、できることも増える

現在は、10代から30代の合計15人の住人がいると聞きました。

石井:はい。ニコニコ生放送やブログで一緒に住む人を募集していたら、仲間を少しずつ増やすことができました。とくに増えたのは、おととしから昨年くらい。本日について言えば、住人の15人に加えて、2人の短期滞在のお客さんがいます。人数はもっと増えればいいと思いますね。

 人が増えれば、おのずとできることも増えていきます。そして、何よりここの生活は実際、とても楽しいんですから。多くの人とこの楽しさをシェアしたいと思っています。この校舎跡に住める人は限られますが、周囲には空き家も多いので、追加で借りることができれば住人を増やす余地はまだあります。

本やマンガの多くは共生舎の住人の間でシェアしている。
本やマンガの多くは共生舎の住人の間でシェアしている。
共生舎の住人は皆、居心地がよさそうだ。ゲームに興じる者もいれば、本を読む者もいる。
共生舎の住人は皆、居心地がよさそうだ。ゲームに興じる者もいれば、本を読む者もいる。

一緒に生活するのは難しい、変な人が来たりすることはないのですか。

石井さんが寝起きしている、同じ敷地内にある家。廃屋化していたが、改造して住んでいる。
石井さんが寝起きしている、同じ敷地内にある家。廃屋化していたが、改造して住んでいる。

石井:今のところはないですね。しばらくここで暮らした後、山を下りて「下界」に戻って行く人はいますが。とくに大きなトラブルはありません。

 ただ、アルバイトの仕事が立て込んで来たりすると、やはりニートは精神的余裕を失いがちな傾向があるため、少々のもめごとがあったりはします。でも、もめごとがあるのは共同生活を営む以上、自然なことですよね。

 僕らはイベントや遊びが好きで、皆で熱く盛り上がることも多いのですが、基本的に「人は人、自分は自分」と思っているところがあり、必要以上に深くは関わらないのも、トラブルがあまり起きない理由かもしれません。とりわけ、ヒマで精神的余裕がある時はトラブルは起きませんね。

山が「共生舎」を守ってくれている

共生舎への居住を申し込む人に対して、審査や選別のようなことはしていないのですか?

石井:共同生活なので、皆と仲良くなれることは大前提です。でも審査のような厳密なことは特別していません。とはいえ、ここに来る人にとっては、「山奥」という環境が一つの乗り越えるべき条件になっていると思います。それが実質的な「審査」なのかもしれませんね。

 このあたりは本当に林業しかない過疎の山奥で、現実として万人が住めるわけではありません。とりわけ都会の引きこもりであれば、ここまで来るにはかなりのエネルギーが必要です。それに、例えば台風が来て雨漏りしてしまった時などその対応作業は本当に悲惨ですし、仮に火事にでもなったら消防が来るまで1時間くらいは自分たちで消火しないとならない(編集部注:移住して1年経った頃、実際に地元住民の家が火事になり、消防団が来るまで消火作業を続けたことがあった)。

 この場所は、言い換えれば「行きづらい」「街から遠い」ということによって守られている場所だと言うことができます。逆に、山奥ではなく、東京や大阪などの便利な都会でニートの居住者を募ったら、あっという間にトラブルが起こっていたでしょう。

 「不便益」という言葉があって、平たく言えば「不便でよかった」という意味なのですが、まさに共生舎は不便なところにあってよかった、と思っています。

共生舎の周囲は昔からの林業地帯。野生の動物はいるが、人はほとんど住んでいない。
共生舎の周囲は昔からの林業地帯。野生の動物はいるが、人はほとんど住んでいない。

思想なきヒッピー、「功利主義」でつながる

石井さんたちの共同生活は、かつての「ヒッピー」の生活共同体のようだと指摘する人もいるのでは。日本でも、理想郷を目指した武者小路実篤さんの「新しき村」の運動などが昔からありますよね。新しき村は開村ちょうど100年の今もなお、埼玉県の毛呂山町の方で続いているといいますが、農業収入をベースにしていることで共生舎と似た部分もあるのではと思います。

石井:宗教的な信条や思想的なバックボーンを持った生活共同体は、日本の歴史上でも結構たくさんのものが知られています。また、米国にはもちろん、もっとたくさんある。映画になったような有名なものですと「アーミッシュ」(編集部注:米国への移民当時の生活様式を守り、農耕や牧畜によって自給自足生活をしている宗教集団。「刑事ジョン・ブック/目撃者」など多数の映画でその生活が描かれている)などがありますよね。

 似ている部分もあるのかもしれませんが、やはり僕らはそれらとはまったく違う。一番大きな違いは僕らには思想が一切ない。政治的信念や宗教を基礎としたものでもまったくありません。僕らはいわば「思想なきヒッピー」。山奥で一緒に暮らした方がコストが安いとか楽しいとか、単純に「得である」「効用がある」という功利主義でつながっている、ただそれだけなんです。

引きこもりだったから、守るものなんてない

とある著名ニートの方の言によると、ニートが乗り越えるべきポイントは2つあって、1つは「地域との交流」、2つ目は「おカネ」とのことですが──共生舎の住人の方々の場合はどうなっていますか。

共生舎には10羽のニワトリがいて、毎日、合計数個の玉子を生んでくれていたが、昨年末にイタチかテンに襲われて残ったのは2羽に。大きな痛手だ。
共生舎には10羽のニワトリがいて、毎日、合計数個の玉子を生んでくれていたが、昨年末にイタチかテンに襲われて残ったのは2羽に。大きな痛手だ。

石井:地域との交流についてはうまくいっていると思いますよ。先ほども申し上げましたが、僕たちはこの地域の人たちの呼びかけに応じてここにやって来ました。この地区には現在、5世帯8人しか元からの住民がいない。平均年齢は80歳以上です。「限界集落」を超えた「超限界集落」なんです。そういう背景もあり社会的弱者に理解の深かった山本さんが、現代社会に適応できないニートを呼んだわけですね。弱者を救済するという目的のほか、どんな形であっても若者たちが過疎の村に来てくれれば、頼りになるという思いもあったのだと思います。

 出発点がそういうところなので、地域との交流は濃いです。実際に労働力を提供して農作業の手伝いをしたり、街のイベントに参加したり、地域のアルバイトを請け負ったりしています。

 土地の猟師の人には「害獣」として駆除されたシカを頂いて、解体して食べたりということもよくあります。この地域の人はとても心が広い人ばかりで、僕らニートを冷たい偏見の目で見ることなく、温かく受け入れてくださいました。本当に様々な面で助けられていて感謝しかありません。地域とは「Win-Win」の関係です。

 2つ目のおカネという面では、1つ目の「地域との交流」と関係しますが、土地の人に労働力を提供して対価をもらったりしています。しかしそれも限度がありますから、生活費が不足すれば、この地域の外へ「出稼ぎアルバイト」に行くこともあります。そして必要なだけ稼いだら、またこの山奥に帰ってきます。

もし可能なら、石井さんが山奥に来るまでの経緯も少しお聞きしたいのですが…。ここに来るにあたって親御さんの反対はなかったのですか。

石井:もともと家の中に引きこもっていたので、ほとんどなかったですね。むしろ、引きこもりから脱出してくれたから、ありがたいという感じでした。

 僕自身、ネットさえあればどこにいても同じだろうという気持ちがありましたし。引きこもりだったから守るものなんてないですし。一時はバックパッカーもしていて海外移住も考えたことがあるんですよ。いわゆる「外こもり(海外の都市で引きこもる)」というやつですね。でも、山奥なら海外とほぼ同じだろうと(笑)。

 それに、もともと「自由気まま」「全国を旅して歩く」という、男はつらいよの「寅さん」のような、あくせく働かないライフスタイルに憧れていましたから。普通の会社員ではない生き方の方が自分には合っていると、かなり小さな頃から思っていました。

ニートになった理由をうまく言えたことは、一度もない

子供の頃から、自由気ままに生きていきたい、と。

石井:とはいえ、寅さんに強く憧れつつ、中学・高校まではどちらかというと優等生のフリをしてやり過ごしていたんですけれどもね。ただ、世間の圧力に負けて、その後、関東の大学に進みました。そして教育実習に行った学校で、学校内の先生方の中にも強い上下関係があるのを見て。ヒエラルキーの下の先生に対するパワハラ的指導も目の当たりにしました。それは当時の僕にはショックなできごとで。教育実習は最後まで完遂したものの、人間関係も煩わしくなって、その後引きこもりになり、実家のある名古屋に帰ってきました。

 大学は中退しました。アルバイトも多少やろうとしてみましたが、指示されたことをほかの人と同じようにうまく行うことができず、また人間関係もうまく築けずに続きませんでした。人生につまづいてしまったわけですが、一方で、さきほど申し上げたように、あまり働きたくないという希望も元々あったわけです。なるべく少なく働いて、楽しく自由に生きていく方法を模索していました。

 そんな風に名古屋で引きこもりをしていた折の2011年3月11日、22歳の時に東日本大震災が起きました。これは自分の中でも強烈な体験でした。時間だけはあったので、僕もボランティアにかけつけると驚いたことに、周りでボランティアをしている人がニートばっかりだったんですよね。でもよく考えると、それは当然なんです。毎日多忙な勤め人の方々は、大震災が起きたからといってすぐに会社を休んでボランティアはできないですから。動けるのはニートくらいで。

 そんな経験もあり、いざという時のために「労働力の余剰が、社会には必要なのではないか」「ニートのような人間も社会には必要なのではないか」という思いに至りました。アリの集団の中では、一定の割合のアリが必ず遊んでいるという話もありますよね。遊んでいるアリとニートは同類ではないか。震災でのボランティア体験は、そんなことを自分に考えさせました。そして、共生舎のニート募集に応募、今の生活につながっていきました。

 ただ──ですね。「なぜニートになったのか」と問われると、今申し上げたような経緯の説明をするのですが、理由をうまく言えたなと思うことは一度もありません。説明し切れない何かがどこかに残っている…。

共生舎の前を流れる清流。夏は共生舎の住人たちが水遊びに興じる。駆除されたシカを猟師にもらったときには、食べるまで川の水の中に一時沈めておくこともある。
共生舎の前を流れる清流。夏は共生舎の住人たちが水遊びに興じる。駆除されたシカを猟師にもらったときには、食べるまで川の水の中に一時沈めておくこともある。

意外にアクティブな一面を持つニートたち

なるほど…。ともかく…石井さんは引きこもりをやめて山奥に来て、そのかいあって、かなりアクティブなったのでは。ブログを拝見しても、ほかのニートのグループとも積極的に交流し、日本各地の様々なニート関連のイベントなどにも参加していますし、講演者としても活躍されている。一方、ほかのニートのグループの人たちも、案外、活発に色々活動していらっしゃるのを知って少し意外でした。

石井:僕は寅さんに憧れているくらいなので、様々な場所に出かけて行くのは元々、好きなんですよね。それに、ニートにも二通りあって、働き者のニートと、怠け者のニートがいるんですよ。いずれも、あくせく働きたくはないなというのは心の中にあるのですけど。

 ほかのニートの人たちやグループと積極的にコンタクトをとるのは、共生舎の運営上、非常に参考になるところがあるからですね。例えば、ネット上で「京大卒・日本一有名なニート」と呼ばれているphaさんが発起人となって作ったシェアハウス「ギークハウス」には主に、プログラマーやシステムエンジニアの方々などIT系スキルを持ったニートが集っています。ギークハウスを訪れて様子を見せてもらったり、お話を聞いたり、泊めてもらったりしました。

 また、新潟に低価格で住める「ギルドハウス十日町」というシェアハウスがあって──こちらはニートが集っているわけではないのですが──そこはアート系やクリエイティブ系の方々も来るのですね。ギルドハウスにも遊びに行かせていただき勉強させてもらいました。

 ここ共生舎の山奥ニートたちは、プログラマーでもなくアート系でもなく、とくに何か専門スキルを持っているわけではありません。「楽しく、自由に暮らしたい」という「ただのニート」なんですね…でも、ほかのグループやコミュニティも見ることで、共生舎の運営の参考にしたり、もし可能ならば、ほかのグループ・コミュニティとメンバー同士の交換留学みたいなこともできれば、面白いし相乗効果があるのかななんて思っています。

一生ここで暮らすのかと問われば、それは正直、分からない

「共生舎」の今後の展開は?

共生舎の住人の毎日の予定はホワイトボードでシェアしている。
共生舎の住人の毎日の予定はホワイトボードでシェアしている。

 もっと住人が増えればいいなと思いますね。都会にあって、この限界集落にないもの。一番は人口です。人が増えれば共生舎でできることの幅も広がります。この地域で採れたものを街の直売所で売るための、小さな食品加工場を最近、この共生舎の敷地内にこしらえました。他にもたくさん試してみたいことはあります。ただ、人が増えるとなれば、ここの他に近くの別の空き家も借りないとならないでしょうね。

 5年、10年という中長期で考えた時に、今のこの共同生活がどうなっていくかは、正直、僕には分かりません。この共同生活は「実験」だと僕は思っているので、失敗する可能性ももちろんたくさんあると思っています。僕も一生ここで暮らすのかと問われば、それは正直、まったく分かりません。

 でも個人的には、今、この限界集落の山奥で「山奥ニート」をしているのは本当に楽しいし、充足感があります。どこにいても、ずっとこんな感じで生活できればいいなと思います。その楽しさや充足感を世の中の多くの人に知ってもらいたい。それを本にして出版するのが当面の目標です。この場所の楽しさを紹介するとともに、ここに住みついた人たちの「群像劇」のようなものも含めて書いてみたい。

そういえば、石井さん、ニートなのに昨年11月に結婚されましたよね。

石井:妻はわりと価値観の似ている女性で、この共生舎で何カ月か生活していたこともあります。今は名古屋で会社員をしています。僕はこちらで生活して、時折、名古屋と相互に行ったり来たりするという生活を、妻は理解してくれています。ただ、仮に子供を持つとすればどうするのがベストなのか…妻もこちらで暮らすのか、別々に暮らし続けるかなど、ちょっとまだ考えが結論に至っていません。山奥で皆で子育てしたら面白いと思うんですけどね。

必死に頑張って働くことに対するリターンが、減ってきている

就職のご経験のないニートの石井さんに聞くことなのかどうか分かりませんが、今、企業社会では「働き方改革」が注目を集めています。また、人工知能(AI)の利用拡大により、多くの仕事が消滅していくとも言われています。石井さんは、どうお考えになりますか。

石井:必死に頑張って働くことに対するリターンが、どんどん減ってきていますよね。相対的にですけれど。言い換えれば、そんなに働かないという姿勢が、有利になってきたと言えるかもしれない。そうしたことも背景にあって、ほどほどに働くという人は増えるのでしょうね。個人的な感想ですが。

 しかし…ちょっと心配に思うのは…「東日本大震災」のような大災害が起こっても、この国の変化は表層的なもので、根本的にはあまり変わらなかったですよね。のど元過ぎれば、熱さを忘れる。あれほど大きな事件が起こったにもかかわらず、です。それを踏まえて言うと、「今回の『働き方改革』はホンモノだ」「今度こそ日本社会も大きく変わる」と断言する方もいますが、「そんなに変わるのかな?」「楽観できないのでは?」とも思ってしまいます。

もう一つ、人工知能の社会への影響についてはどう思いますか?

石井:人工知能の存在については、多くのビジネスパーソンの方々が、「今後、我々の仕事を奪うのではないか」「職につけない人間が増えていくのでは」などと不安に思っているそうですね。もしかしたら、AI時代に対応するため、仕事がない人のセーフティネットとして「ベーシックインカム(全ての国民に最低限の生活を保障するために、無条件でお金を配る制度)」が、導入されることになるのかもしれません。そうなれば、多くの人はその人が好むと好まざるとにかかわらず、「あまり仕事をしないまま生きていく」ことが現実となる。すると、「人生において何をすべきか分からない人」が、たくさん出てきてしまうでしょう。普通の人も、「ニート的生活」を余儀なくされるのです。

 だから、いつかそんな日が来ることに備え、「たとえ仕事をしなくたって、充実した人生を生きていく方法なんていくらでもあるんだ」ということを実証するのも、僕らの役割なのかもしれません。「どうやったら、働かなくても精神を安定させられるのか」「どうやったら、働かなくても自己肯定感を持てるのか」といったことの具体的な方法を提示することも。

 東日本大震災発生時のボランティア経験から、「ニートのような人間も社会に必要なのではないか」と思ったという話を先ほどしましたが、本当に必要とされる日がいつか来るのかも。それまでに、僕は心豊かに生きる方法をこの山奥で突き詰めたい、と思っています。「山奥ニート」という実験を続けるためには「何でもする」。僕はそう考えています。

最近都会でブームの「ジビエ(野生の鳥獣肉)料理」は、共生舎の食卓では珍しくない食事だ。(写真提供:石井新/共生舎)
最近都会でブームの「ジビエ(野生の鳥獣肉)料理」は、共生舎の食卓では珍しくない食事だ。(写真提供:石井新/共生舎)
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