…偶有性、たまたまそれが私ではなかったが、私であってもおかしくはなかった、という事象に遭遇し、想像力がそれを補う事で、個を離れた公の論理、私であったかも知れない震災被災者に、仮に自分が被災者であった場合を前提に差し伸べられる手はなにか、など、民主主義の「自生」を育む「何か」が、今回の震災を契機にこの社会に生まれる可能性があるようにも感じます。勿論それは現在存在する「公的なもの」を無批判に受け入れるという話ではなく、もっと根本的なレベルでの話 ですが。
shungo.arai
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