「リスク社会論」、「確率論的推論」、「リスクの社会学」の位置。

チェルノブイリの原発事故、1986年。 ウルリッヒ・ベック『危険社会』は1986年出版。 http://www.amazon.co.jp/dp/4588006096/datum-22 ニクラス・ルーマン『エコロジーのコミュニケーション』は1986年出版。 http://www.amazon.co.jp/dp/4787707086/datum-22 続きを読む
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琵琶湖マッサージ @statsbeginner

やべー社会科学系の人、地震で本棚から飛び出したU.ベックの『危険社会』第3部をパラパラめくってみたけど、今深読みしてみると激オモロ過ぎ。

2011-03-19 13:23:24
琵琶湖マッサージ @statsbeginner

サブ政治(としての科学技術)が発展すると、政治は、自分が計画もしなかったし形成することもできない発展の弁護人となり、どういうわけかそれの責任も持たなければならなくなる。一方、経済と科学は、いかなる正当な権限も持たず、匿名で決定を下す。(382ページ)

2011-03-19 14:06:31
琵琶湖マッサージ @statsbeginner

近代産業社会が複雑化してくれば、議会が機能を失うことは多くの場合避けられない結果である。……政治の機関は、専門家の勧告を実行するにすぎない(385ページ)

2011-03-19 14:08:45
琵琶湖マッサージ @statsbeginner

リスク社会では、政治は無力化しており、科学も合理性(説得力というぐらいの意味だが)を失っているので、メディアの情報とその受けてたる大衆が、「何が問題であるか」についての定義力を持つ(399-401ページ)

2011-03-19 14:13:44
琵琶湖マッサージ @statsbeginner

もちろんベックの議論には違和感もかなりある。ただし論点の切り出し方は未だに鋭さをもっている。

2011-03-19 14:22:28
琵琶湖マッサージ @statsbeginner

ベックのリスク社会論をざっくりまとめると、(1)科学と技術の領域で「進歩」に代って「リスク」が主題化する、(2)家族と職業の領域で「封建的共同体」(の残滓)が消えて「個人化」が進む、(3)政治の領域で「議会制民主主義」に代って「サブ政治」(技術者集団の決定)が台頭する。

2011-03-19 14:28:38
稲葉振一郎 @shinichiroinaba

リスク社会論がこれでまた大流行になるだろうが、本当はそんな寝ぼけた平和ボケをかましている場合ではない。天災であれ人災であれ「低頻度大規模災害」の深刻化はきちんと確率論的推論と整合する。「確率論的推論の限界を超える法外なリスク」なんてものはない。

2011-03-19 13:54:02
稲葉振一郎 @shinichiroinaba

逆に言うと、我々にはそれ以外に手持ちの道具がないので、「確率論的推論の限界を超える法外なリスク」におびえるだけ時間の無駄、ということでもある。

2011-03-19 13:55:48
稲葉振一郎 @shinichiroinaba

これってデイヴィドソン主義だな。「理解できない」という嘆きは、いま現に行われている不十分な理解を超える理想的な理解へのむなしい希望に裏付けられている。

2011-03-19 13:57:21
稲葉振一郎 @shinichiroinaba

「低頻度大規模災害」の深刻化の確率論的な説明については永松伸吾『減災政策論入門』http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4335501048/interactivedn-22/

2011-03-19 13:59:43
琵琶湖マッサージ @statsbeginner

今度の地震は「限界」のかなり手前な気がするので、ビックリするのすら時間の無駄かとw RT @shinichiroinaba: 逆に言うと、我々にはそれ以外に手持ちの道具がないので、「確率論的推論の限界を超える法外なリスク」におびえるだけ時間の無駄、ということでもある。

2011-03-19 15:17:11
KOMIYA Tomone @frroots

リスク社会論がまた流行ると思うけど、こういう時こそ責任帰属の可能性によってリスクと危険を区別したルーマンの議論が大事。天災が起こったこと自体は誰のせいにもできないけど、天災の被害を巡っては既に政府・東電・デマ流した人・「不謹慎」な人などに、様々な非難が行われている。

2011-03-19 19:39:37
KOMIYA Tomone @frroots

その分節化と規範的含意の整理は社会学者の仕事。

2011-03-19 19:40:25
KOMIYA Tomone @frroots

「危険/安全」という区別だけでは、どういう危険がどのくらいの確率で生じるか、という話しかできない。そういう話が大事でないとは言わないけど、そのとき主題となっているのが、すでに責任帰属を免れた事象(誰のせいでもないけど起こりうること)だということには注意が必要。

2011-03-19 20:35:51
KOMIYA Tomone @frroots

言いかえれば、確率論的な「危険/安全」の議論はすでに一定の責任帰属実践を前提にしている。

2011-03-19 20:35:59
KOMIYA Tomone @frroots

それに対して、その責任帰属実践自体に目を向けるのが「危険/リスク」の区別。「数百年に一度の天災(だから仕方ない)」は出来事を危険として捉える理解。「数百年に一度の天災であっても備えがないのが悪い」は出来事をリスクとして捉え、政府なり東電なりに責任を帰属する理解。

2011-03-19 20:36:24
KOMIYA Tomone @frroots

「災害時に性暴力が増えるのは本当か」だけに注目するのはそれを確率論的な危険として捉える理解。「性暴力が不可視化されないように」と呼びかけるのは、それを「天災の仕方なさ」に回収させないで責任が問われるべきリスクとして捉える理解。

2011-03-19 20:36:50
KOMIYA Tomone @frroots

そのほか、外国人の犯罪やデマや買い占めや様々なものに対して、いろいろなことが言われるときにいろいろな責任帰属が行われている。

2011-03-19 20:37:11
KOMIYA Tomone @frroots

「危険」と「リスク」の「どっちが正しい」というわけではなくて、両立する場合もあれば、対立する場合もある。丁寧に整理することは、それぞれの正当性と不当性を考えるための役に立つ。

2011-03-19 20:37:42
KOMIYA Tomone @frroots

「直接役に立ちませんね」と言われたら「ごめんなさい」と言うしかないけれど、でもそうした視点がなければ、「危険だよー」「安全だよー」と言ってるだけでは、情報の交通整理はできない。

2011-03-19 20:40:00
KOMIYA Tomone @frroots

いや危険の確率論はそれはそれで厳密にやっていただければ。社会学者の視点はもう少し別の所にあるでしょうということ。 QT @contractio: 厨せんせいと小宮くんのついーとが相互言及なしに鍔迫り合いなう。

2011-03-19 20:45:07
@baron__baron

全くどうでも良いことなのだけど、「法外なリスクなんてない」(実在?の問い)っていうのと「「法外なリスク」におびえるだけ時間の無駄」(有用性?関連性?の問い)の間では、微妙に跳躍がない?法外なリスクはある(というか、ないとは言えない)けど、それ考えても無駄じゃね?って話じゃないの?

2011-03-19 20:56:36
KOMIYA Tomone @frroots

これおかしいよね QT @baron__baron: /「理解できない」という嘆きは、いま現に行われている不十分な理解を超える理想的な理解へのむなしい希望に裏付けられている。 

2011-03-19 21:02:21
KOMIYA Tomone @frroots

「理解」が理想的なものでしかないなら、不十分な理解になげく必要などない。通常は十分に理解できるからこそ、理解が「不十分」だとわかってしまうときに人は嘆く。

2011-03-19 21:03:30
KOMIYA Tomone @frroots

@contractio でもデイヴィドソニアン的にはそうなのかも。 @baron__baron

2011-03-19 21:06:08
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