ボクサー・イン・ザ・ダーク『ザ・ファイター』

アカデミー賞ノミネート作品。クリスチャン・ベイルメリッサ・レオの二人がアカデミー賞助演男優/女優賞を獲得。出演人の過酷な役作りが話題となった一品です。

思えば主人公となるミッキー(asマーク・ウォールバーグ)以外の主要人物はみんな「過去の経験を活かした役」を演じている。クリスチャン・ベイルエイミー・アダムスメリッサ・レオの3人のことだが、『マシニスト』に匹敵する肉体改造を行なったクリスチャン・ベイル。『サンシャイン・クリーニング』のような”負け組”を演じたエイミー・アダムス。『フローズン・リバー』で獲得した女性像を軸にしたメリッサ・レオ。経験を活かせるという点では、それぞれの持つ役者としてのタイミングが奇跡的に合致した作品といえるだろう。

しかし、この映画の主人公はマーク・ウォールバーグ演ずるミッキーである。なにせ、ボクサーとして試合を行なうのは彼なのだ。いくら家族といえど他の登場人物はサポート役にすぎない。だが、マーク・ウォールバーグのフィルモグラフィを見るに、どうも最近の彼の出演作は芳しくない。劇場公開されたものといえば『ラブリーボーン』に『ハプニング』に『マックス・ペイン』である。どれも違った面白味こそあるものの「役者の演技」に目を見張る作品だっただろうか?そのあたりを考慮すると本作『ザ・ファイター』の劇中にある「これはオレの試合だ!!」という悲痛な叫びには、真に彼から発せられた言葉だったのだなとも思えてくる。

そもそも映画の始まりが「彼らの波乱万丈の人生を綴ったドキュメンタリー」を名目にしたテレビ番組の撮影風景で、見るとモキュメンタリーなのか?とも思えてしまうほど、あらすじを知らなければ唐突に感じる始まり方なのだが、物語が進むにつれてその「ドキュメンタリー番組」が彼ら一家にとりわけ影を落とすきっかけとなっていることがわかる。ノンフィクションほど残酷なものはないのである。

この映画の話題をさらっている過酷な減量やトレーニングは、「俳優/女優」という職業と劇中の役柄である「ボクサー」との設定に運命的ともいえる間柄をもたらしていて、物語の描く「それぞれが家族のために戦う=ザ・ファイター」であることの裏に「役者=ザ・ファイター」であるとの読み取り方をも許していて、しかしながらそれはすでに『レスラー』が描ききってしまったことである、との限界点に到達しているように思ってしまった。マーク・ウォールバーグによる「リアリティーを追求した試合映像」との真摯な取り組みが、ノンフィクションに影を落とされた一家の”Based on true story”という映画に翻って影を落としてしまっているように感じたのだ。うん、とても面白い映画だったけれど、もし、リアリティーを無視した描写をしていたとしても”ローウェルの誇り”として信頼を勝ち取っていたんじゃないか?ノンフィクションへのカウンターとしてフィクションらしい輝きを増していたんじゃないか?と。はい、そーゆー不満を感じましたね。親和性と神話性はまったく別物だと思うの。クワッカー!