最近の噂
風の噂ではございますが……
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2010/11
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デリーでイタメシを食べていたら(もう5日にわたりインド飯ばかりが続いて、さすがに飽きたんだよね)、店内でこてこてのアミターブ・バッチャンのインド映画をやっていて (写真は超お美しいアシュワリー・ライ様なり)、それで店員さんと少し話をするうちに、かのラジーニー「躍るマハラジャ」カントの話になって、かれはすっごい儲けていて出演料はシャルーク・カーンの優に倍、しかも地元では学校や病院や慈善事業を山ほどやっていて、もう神様的な存在だとか(比喩でなく、貧乏人はみんなラジーニー・カントに祈るんだって)。
これはある意味で、所得分配のジニ係数の非常な歪みの反映ではあるんだけれど、一方でラジーニー・カントの所得が平等に人々に分配されて、たとえば 2,000 人ほどが平均所得の上に達したとする。さて、その人たちはラジーニー・カントほどの慈善事業をするだろうか、というとそんなわけはない。世界的に、経験的にわかっていることなんだが、貧乏人は意外に寄付する。金持ちは寄付する。でも中流階級は寄付しないのだ。すると……インド全体の厚生を見たとき、あるいは貧乏人の救われ具合を見たとき、ある一人の金持ちを作ってその人が大量に寄付をするという非常に偏った所得分配と、その人の所得を 2,000 人ほどのばらまいて、でもその連中はまったく寄付も何もしないというずっと平等な所得分配と、どっちがいいんだろうか? 長期的には後者なんだが、短期的にはぼくは口ごもってしまう。
そういうレベルだけでない。タージマハールやピラミッド作りでもいい。どんな経済システムでも、ぼくはどっかで、インフラその他の大きな資金需要に対応するために、何らかの形でお金をどこかに集中させる仕組みが必要になると思う。それが経済に歪みを作りやすいのは事実なんだけど。それを考えたとき、ぼくは所得平等を重視する立場をどこまで擁護できるのか、ときどき疑問に思ってしまう。きちんと実証的に確認すべきことではあるんだけどね。でも経済がある発展段階に達するまで、お金を一か所に集めてそいつがインフラを相当水準まで発展させるような仕組みを作るほうがいいんじゃないかと思えてしまう。ちなみにブラウン「ギャンブルトレーダー」は、それがアメリカにおいてポーカーなどギャンブルが果たす役割の一つだったという、眉唾だがおもしろい部分もある本(でも全体としてはつまらんので読む必要なし)
いやもちろん、一方で金持ちが寄付して社会貢献するかと言えば必ずしもそうではないし、連中は一方で脱税に血道をあげたりするのも事実ではあるんだけれど。だからたぶん突出した金持ちが居ることが大規模投資を確約することにならないのはわかっているんだけれどね。
(2010/11/15, id)
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久しぶりに、本棚で目についた『草迷宮』を読んで、ああやっぱりいいなあ、そういやこの人のやつって、これ以外には一冊くらいしか読んでないなと思い、買おうと思ったら……えーっ!! 内田善美って、行方不明なのおぉぉぉぉっ??!! 知らなかった。こりゃまあなんと、と思ってヤフオクでいろいろまとめ買いする。なんか、やたらに走ってばかりいる陸上の選手かなんかの男の子が病死しかけた女の子と恋仲になって、でもその子にはなんだか年上の正体のよくわからない兄なのかボーイフレンドなのかがいて、最後あたりでふたりでだまってジョギングかなんかするとかそんな話だったけど。もう三十年前に(ああ、おれも歳なんだなあ)読んだっきりなのではっきり覚えてない。最初、モノローグのくどい青池保子みたいな感じだなあ、という罰当たりな印象を抱いたことはなんか覚えている、かな。それとも昔のことだから捏造記憶かもしれない。そういえば、イブの息子たちもまた読みたいような気もするけれど、昔ほど爆笑はできなくなっていると思うので、どうかな。思い出はそっとしておいたほうがよいかしら。
(2010/11/5, id)
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中国をほめてばかりで何やらチャイナロビーの手先みたいなので、悪口も。天安門広場のさらに南の前門/大柵蘭のあたりは、ごちゃごちゃした安売りお土産屋やワゴンセール屋や、中国人向け安宿や、そしてぼくの大好きな小籠包屋があったりして必ずいくところだったんだけれど、北京オリンピック直前に全面再開発に突入。そして、今回来てみたらむろんすでに完成して、歴史的町並みを再現した歩行者天国になったんだが……
いや町並みの再現というか古っぽいイメージづくりはとても上手。でも、入っている店はいまやすべて、スタバに ZARA に、セフォラに KFC に、もう普通の国際ブランドだけがひたすら続いている。小籠包屋も復活ならず。なんかつまんないんですけど。
ここだけじゃない。三里屯も大規模再開発で、隈研吾なんかも参加している巨大施設ができたんだが、これまた入っているブランド店はまったく同じ。つまらないことおびただしい。なんか、ジェイコブズの教えは正しかったという感じ。いっせいに大規模再開発すると、ビルの減価償却費もあってほぼ同じ経済条件のテナントしか入れなくなってしまうという。まさにその通りの現象となっている。人もそこそこいるがあまり店に入る人はいなくて、本当に商売なりたっているのか、人ごとながら心配になる。香港や上海にあったMがここにも出ていたが、次回くるまでちゃんとあるかなあ。
でも、それらの地区がつまらないかといえばそんなことはない。いずれのところも、表のブランド店はあまり人がいないんだけれど、一本裏に入ったところがどっちもすごい活気。ちょうど 10 月末のハロウィーンで、三里屯裏にあるたくさんのクラブやバーはものすごい混雑ぶり。カバーチャージ取るところだと 50 元で、そんなにひどく高いわけでもないか。とはいえ、この年で一人でクラブホッピングするのは(しかも超満員のところに押し込むのは)そろそろ気疲れする。それと、再開発の通りをはさんだ向かいのバー街も健在。こっちも、一人で入るとなんか物欲しげな感じであれだけど。前門のところも、一本裏のほうが圧倒的に人が多く活気もあり、安い飯屋と土産物屋が大繁盛。そんなわけで、地区としてはどちらも死んではいない感じではあるのだけれど。それでもねー。再開発うまくやるのはむずかしいねー。
(2010/11/4, id)
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北京でついでにもう一つ。国営工場周辺にアートギャラリーを集めた789 芸術地区というのが四元橋から少し空港方面にいったところにあって、どうやらある程度は国策なんだけれど、なかなかうまくできている。これまた上海と同じで、集まっている作品を見ると、あの笑う中国人の人の作品もどきとか、奈良美智もどきとか、これとこれとこれを足してみました、というようなものばかりだし、ふつうの絵と彫刻ばかりで隣に IT 街を開発しつつあるのに、ハイテク系のものがまったくないのは非常につまらないんだけれど、地区としてはうまく作ってある。他の地区は結構潰されたりもしているようで、 むろんアーティストが全面的に支援されているわけじゃないようだけど。
日本で芸術支援というと、こぎれいな美術館でも作るだけで運営にはろくに予算もつけず、しょぼい企画がさらにどんどんジリ貧になって、5 年たつと赤字垂れ流しとかいって議会で責められるのが定跡だが、こちらは施設整備にはほとんどまったくお金をかけず、昔の国営工場の土地建物をそのまま使わせて、ある程度放任することで(むろん手放しではないんだろうが)活気を作っているらしきやり方には感心。世界のアーティスト街(ベルリンならかつてのクロイツベルグやノイケルンとか今のフリードリッヒシャインとか)の成立と発展をよく勉強して移植している。文化政策と都市開発とをうまく結びつけていて、大したもんだ。これみよがしのでかい派手な施設を作って悦に入るだけの単細胞じゃないところもしっかり証明している。
ちなみに 10 月末はちょうど China Fashion Week 2010 をやっていて、そういうのとも関連してこの 789 地区の隣接地区をファッション街(その隣に映像関連の地区やデザイン系の地区)にして、というのをやろうとしているみたい。計算高いけれど、でもそういう計算ができるだけ立派だと思う。アーティストを入れて活気が出たあとのジェントリフィケーションまでちゃんと視野に入れている。
(2010/11/3, id)
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北京でもう一つ驚いたこと。空気が信じられないくらいきれいになっている。北京オリンピックのとき、近くの工場を無理矢理操業停止させたりして、付け焼き刃の空気改善を試みたという話はきいていて、すぐに元に戻ると思っていたんだがその気配がまったくない。
理由ははっきりしないんだが、一つはバイクがすべて電動車——つまり電動バイク——になっていることかもしれない。普通のバイクはほとんど見かけなかった。そこらに結構、露天のバイク修理やもあり、パンク修理とバッテリ交換なんかもやっていて、もう完全に普及している。いまググってみると、もう2000 年代前半からずっと積極的に電動バイク普及を進めていたんだね。日本では電気自動車云々と言いつつ、電動バイクの普及は警察がつまらない規制で潰してしまい、電動アシストバイクみたいな潰しのきかない無駄なテクノロジーにばかり血道をあげているし、今からではもう中国に追いつけないかも。この量産ノウハウが電気自動車にも影響しないわけがないし。スタイルもかなり改善されて、もう普通のバイクと遜色ないし,日本でも中国から輸入販売しているところもある。2ちゃんねるでは、中国はコピーだ技術泥棒だと言って慢心するのが流行りだが、こういうのを見ると中国は着々と実力をつけてきているのがわかる。Seeeduino の開発元の急激な技術成長を見たときにも思ったことだけれど。そして規制の方も、電動バイクの普及を後押しするようにちゃんと整備されて、まともな産業政策とは規制緩和であるというのを地でいくようになっているみたい。大したもんだ。(付記:必ずしもそうではないというコメントもいただいた。規制はまだ未整備なだけで、普及もすきま産業的に勝手にのびただけだとか。ここらへんはぼくもきちんと調べていないので、必要な人はちゃんと調査してください。ただ8年前からこれほどおおっぴらに生産普及しているのは、単にすきま商品にとどまるものとは思えないんだけれど。)
あと、胡同地区では昔はいっぱい炭を焚いていて、その燃焼のまずさが屋内外の空気の悪化の大きな原因だと聞いていたんだが、今回泊まった宿は胡同地区にあったのに、周辺であまり炭俵を見かけなかったし、炭のにおいもあまりしなかった。滞在中そんなに寒くなかったせいもあるんだろうけれど。そんなこんなもあるし、地下鉄がずいぶん発達して車の需要が少し減ったこともあるし、環状線もかなり強引に整備されたし、あとたぶん工場の郊外移転や改善を北京周辺だけでも、オリンピック以後も継続して続けているんだろう。
それに比べてウランバートルは、ゲルの焚く低質炭の煙と、かなり増えた車の大渋滞による排気ガスとで、空港からの道々わかるくらいスモッグが町の上にたれこめているし、歩いているだけでのどに刺激があるくらい空気が汚れている。 (2010/11/3, id)
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羽田空港の新国際線ターミナル、すばらしすぎる。成田空港のように、やたらに階段やエスカレータを使わせられる高低差もないし、着陸してから20分でモノレールに乗れている。家が上野近くだから、アクセスだけ考えれば京成スカイライナーの時間短縮で成田も羽田も同じくらいかな、と思ったけれど、やはり圧倒的に羽田のほうが近いなあ。さらに空港そのものの使い勝手を加えると、羽田をぐんぐんプッシュしたい感じ。あと、成田の自動出入国ゲートの登録は羽田でも有効だそうな。
しかしまあそれは小さいせいもあるのかもしれない。それに比べると北京空港の第3ターミナルは、巨大なのにやはり機能的にできていてすごいし、デザインも見事。拡張性はなさそうなんだけれど、何か考えてあるんだろうか。でも、いまもかなり余裕ありそうだし、真ん中の部分がまだ工事中だから、当分先まで保つでしょう。でも、ウランバートル行きの便はゲートがもらえずバス輸送だったけど。あとゲートの間を移動する LRT も、日本の成田空港のあの貧相な、ないほうがマシじゃないかと思えるほど短距離のケーブルカーもどきとは雲泥の差。さらにエアポート・エクスプレスはかなり小さくて狭いが、非常に便利。やはり中国の強権インフラ作りは、とうていかなわないと毎度思います。 (2010/11/3, id)
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ちょいと中国とモンゴルにでかけてきたんだが、中国ではツイッターが使えないことにびっくり。いや知ってはいたが、実際につなごうとして気がつくまでにちょっとかかった。ついでに Facebook もダメ。でも、Togetter は読める。あと、YouTube はダメだけれど、ニコニコ動画はオッケー。当然ながらこれはおそらく、客観的な基準があるわけではなく、メジャーなものははねるが、マイナーなのはどうでもいいか、あるいは捕捉しきれていないのでしょう。アラブ圏とか各種検閲ソフトでも、アダルトサイトでカリビアン・コムは確実にはねられるが、日本のサイトなんかは結構アクセスできるのと同じこと。
ネット自体は、町中あちこちで普通に使える。ベトナムほどではないけれど。あと、エスプレッソ系のコーヒーはいろんなところで普通に飲めるようになっていて嬉しい。が、食事が 15 元のときに、コーヒーで 25 元取られると複雑な気分。でもスタバがこの値段で、他もだいたいカプチーノはこの値段ということになっているみたい。
不思議なことに、北京ではカメラについていた GPS も機能せず、まさか中国は GPS までブロックしているのかと思ったが、iPhone や GPS レコーダなどは普通に機能していたので、ぼくのカメラだけの特異現象なのかもしれない。でもなぜだろう。 (2010/11/3, id)
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モンゴルでは当然のように、尖閣の話題から中国との関係の話になって、むろんモンゴル人は基本的に中国がきらいであれこれ、という話題になったときに、梶谷氏絶賛の楊海英『墓標なき草原』の話をしたら、彼女が非常に複雑な表情を浮かべた。モンゴル国民から見ると、内モンゴルの連中は極端に言うならすでに中国化した裏切り者だと思われていて、身内なのに、いや身内だからこそ、特になナショナリスティックな人々の間では反発が激しいんだって。文革時代のひどい話も聞いているけれど、同情する声もあれば一方では自業むにゃむにゃ、とか。
最近もモンゴルの人気歌手が内モンゴルのモンゴル系中国人(というべきか)と結婚したらすごいバッシングにあったんだって。モンゴルは270万人しかいないし、中国人の男がモンゴル人女性と結婚すると、なんだかモンゴルを乗っ取ろうとしているんだと言われて反発が大きいそうな。「でも中国人とはいってもモンゴル民族で先祖も同じだし、人数で言ったら内モンゴルにいるモンゴル民族のほうが倍以上いるんだけどねー。複雑なんだよね」と彼女。 (2010/11/2, id)
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モンゴルでビアホールに入って注文したら、首を横に振られて困惑。まだ四時過ぎだったので、日が暮れてからなのかな、と思ってスーパーに行ったら、そこに三年前に見た黄色の看板が復活していて、酒類販売禁止!
三年前にきたときにも、中国産毒入りウォッカ事件のために一切アルコール販売禁止になっていて愕然としたんだけれど、今回もなんと間が悪い! 友人にきいたら「なんかしばらく前から毎月一日はノーアルコールデーになってて、お酒は売ってないのよ」だと。なんでまた、ぼくがモンゴルにでかける時を狙ったみたいに酒をなくすね! なんか怨みでもあるのか。モンゴルはただでさえ娯楽がないし、酒が売れないとなれば夜遊び系は全部閉まっているので、早寝するしかない。
翌日、帰りの空港でいっぱいやろうかと思ったら、ジョッキ半分まで注いだところで泡しか出なくなり「あ、sold out. sorry」だと。なんだかモンゴル、是が非でも酒を飲ませないつもりか。上等じゃねえか。 (2010/11/2, id)
2010/07
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トマス・ピンチョン『メイスン&ディクスン』についての読売新聞書評について、2チャンネルでこんなコメントを見かけた。下衆の勘ぐり、と言えなくもないし、都甲幸治が意識的に利益誘導するような人物ではないと思いたい一方で、確かにそういう邪推をする余地が十分にあるのも事実。メイスン&ディクスンは、だれかが何らかの形で書評すべき本なのはまちがいないし、そのためには背景知識のある人にそれをやらせるのが妥当ではあるのだけれど、英文学業界は狭い貧しい世界なので、知識のある人といえばこうした同業者のお手盛りになりがちだ。そして今回の書評も、そういう立場に自覚的な、批判を跳ね返せるだけの厳しさやおもしろさを持っているかといえば、残念ながらそうは言えないと思う。かく言うぼくも、ピンチョンが少しは売れてほしいとは思うんだけれどね。でもメイスン&ディクスンはぼくですら原著50ページで挫折した本ではあるし、決して万人にお勧めできる本でないのもまちがいないところ。それを敢えてほめるなら、もっとポイントをしぼる戦略性がないと、内輪のお手盛りと言われても仕方ないと思う。それがむずかしいのはわかるんだが、でもそれで(朝日の水準とある程度は比肩するものなら)高い金もらってるんだし。本当は読売新聞の文化部がそうしたバランスを考えて、文句のないフェアな書評になるよう配慮しなくてはいけないんだが……
でも多くの書評委員は、敢えて火中の栗を拾うようなこともしたがらず、こんな分厚いめんどくさい本なんか読むのもアレだし、まして書評なんぞしたがらないというのもわかるだけに、むずかしいんだけどね。ぼくなら喜んで手を挙げるだろうが、たぶんそれがきわめて読者を選ぶ本だということをくどく書いてボツにされるだろうなあ。
(2010/7/4, id)
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YAMAGATA Hiroo<hiyori13@alum.mit.edu>