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地上波テレビの葬送曲となった「世界に一つだけの花」──『SMAP×SMAP』最終回が伝えたこと

松谷創一郎ジャーナリスト
SHIBUYA TSUTAYAの『SMAP 25 YEARS』特設コーナー(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

葬式のようだった最後

 12月26日に放送された『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)最終回は、1996年に始まったこの番組の20年間を5時間弱に渡って振り返る内容だった。

 開始直後の森且行の脱退(1996年5月)、稲垣吾郎・草なぎ剛の不祥事による一時離脱と復帰(2002年、2009年)、マイケル・ジャクソン出演(2006年6月)、東日本大震災の復興応援活動(2011年3月~)、5人旅(2013年4月)、ノンストップライブ(2013年9月)など、20年間にこの番組で彼らに生じたいくつかのポイントをピックアップしたものだった。また、その合間には「BISTRO SMAP」に登場した多くの大物ゲストも紹介された。それらは、なんとも豪華で楽しい総集編だった。

 しかし、ラストでその雰囲気は一変した。

 番組の冒頭で告知されていたとおり、エンディングは「世界に一つだけの花」だった。多くの花が飾られた白いスタジオのなかで、5人は歌を歌いきり、幕が降り、そしてメンバーたちのアフターショットとスタッフロールが流れるなかでの記念撮影が映された。それが終わると、5人は静かに去っていった。直接のメッセージはなかった。「世界に一つだけの花」が、彼らのメッセージということだろうか。

 明るくて楽しい総集編があったからこそ、その反動は大きかった。それはなんとも悲しいシーンだった。

 そして、多くのひとは思ったはずだ。まるで葬式のようだと──。

SMAPにとっての『スマスマ』とは

 『SMAP×SMAP』(以下『スマスマ』)は、ふたつの点で大きな意味を持つ番組だった。ひとつがSMAPの歴史にとって、もうひとつがテレビ放送の歴史にとってである。

 まずSMAPにとっては、『スマスマ』は大きな転換点になった冠番組だった。88年のグループを結成し、91年にCDデビューをしたものの、SMAPは当初伸び悩んだ。オリコン1位を獲得するのは、デビューから2年半後の94年3月のことだ。若さを売りにするアイドルにとっては、かなり遅咲きのブレイクだ。

筆者作成。
筆者作成。

 「ジャニーズの落ちこぼれ」とも呼ばれていたSMAPが活路を見出したのは、バラエティだった。『夢がMORIMORI』や『笑っていいとも』などに出演することで、彼らは生きる道を模索した。その一方で、木村拓哉の俳優としての大ブレイクなどもあった。

 96年から始まる『スマスマ』は、6人がそれまで芸能界で培ってきたキャリアが総動員された番組だ。ゲストを招いて料理対決をする「BISTRO SMAP」を中心に、女優と共演するショートドラマ、数多くのキャラクターを作り出したコント、そして歌手とコラボレーションをする「S-Live」と、盛りだくさんの内容だった。あらためて説明するまでもなく、『スマスマ』はSMAPのブレイクを確実にした番組だった。

 それは量的にもある程度は確認できる。雑誌の記事索引検索サービス「Web OYA-bunko」でSMAPと各メンバーが雑誌に登場した回数(連載は除く)を調べると、明らかに『スマスマ』開始時期からその数が増えている(グラフ参照)。メンバーが個人活動をしていようとも、SMAPの中心にあったのは間違いなく『スマスマ』だった。

テレビ史にも重要な『スマスマ』

 一方、テレビ放送史のなかにも『スマスマ』は大きな存在として位置づけられる。

 とくに26日の最終回で多くのひとが気づかされたのは、過去に多くの故人が出演していたことだ。「BISTRO SMAP」第1回のゲストは大原麗子であり、それから田中好子、坂口良子、高倉健、伊丹十三、中村勘三郎、立川談志、そしてマイケル・ジャクソンと、すでにこの世を去ったひとびとが多く登場した。その多くは昭和から平成にかけて一世を風靡したスターばかりだ。

 そこから強く感じられたのは、戦後日本のポピュラー文化の中心にあったテレビ放送の文脈が、『スマスマ』によって維持されていたということだ。他国に比べて多チャンネル化が遅れ、それと同時に地上波放送局が90年以降も強い勢力を維持してきた日本では、ポップカルチャーはテレビを中心として動いてきた。音楽や映画など、他メディアもテレビの強い恩恵にあずかってきた。

 『スマスマ』の放送が始まったのは、バブル崩壊から数年後、日本社会がいまだに抜け出せない長い低迷に突入した頃と重なる。そうした暗い時代の入り口から、『スマスマ』は従来のテレビの明るく楽しい魅力を強く発揮し続けていた。音楽、ドラマ、映画、お笑いと、隣接するさまざまなエンタテインメントの中心に『スマスマ』があったと言っても過言ではないだろう。

 ただし、それは2016年1月18日までだった──。

 「公開処刑」とも呼ばれた1月の“謝罪会見”を経て、『スマスマ』はまるで葬式のような雰囲気のなかで幕を閉じた。

 思うに、あれはテレビの葬式だったのだ。

 ゲストとして「BISTRO SMAP」に来店した多くの故人とともに、『スマスマ』も終わった。すなわちそれは、かろうじて『スマスマ』によって存続してきた地上波テレビ放送が中心だった時代の終わりを意味していたのではないか。

夢や希望を語ってきたSMAP

 『スマスマ』最終回は、なんとも悲壮なものだった。それまで楽しかった19年分の総集編を観せられていただけに、悲しくてやりきれないものがあった。もちろんその前提には、あの“謝罪会見”がある。あのことによって、『スマスマ』の最終回の葬式ムードはよりいっそう強いものになった。

 その悲しさと同時に湧いてくるのは、アイドル(あるいはエンターテナー)の終わりがこのような悲しさに満ちたものでいいのか、という強い疑問だ。

 ここでひとつ補助線を引こう。それは2015年4月にモーニング娘。’15が、東京・新宿駅の地下道に掲示した広告だ。そこには、彼女たちの以下のような「宣言」がある。

2015年4月、新宿駅地下道に掲示されたモーニング娘。'15の広告(筆者撮影)
2015年4月、新宿駅地下道に掲示されたモーニング娘。'15の広告(筆者撮影)

夢とか希望は、私たちアイドルの仕事だ。

アイドルってなんだ? 歌う、踊る、笑う、それだけの存在か? いや、きっと違う。私たちモーニング娘。は違うと信じている。アイドルとは、最後まで夢とか希望を語れる人のことだ。もし誰もそれを語らなくなっても、夢の大切さを、希望の在り処を、伝えつづけられる人のことだ。18年目の私たちは今、その信念を新たに歌う、踊る、笑う。18年目の新体制、モーニング娘。’15だ。

 この一文は、文化産業に携わるさまざまなひとの心に刺さるものだった。とくに「アイドルとは、最後まで夢とか希望を語れる人のことだ」という部分がそうだ。

 実際、震災直後に多くの芸能人が現地に入り、活動を続けた。それは被災者のひとたちに夢や希望を感じさせることに繋がったはずだ。そしてこの「アイドル」の部分には、ほかの言葉も代入可能だ。「エンタテインメント」でも「マンガ」でも「映画」でも「音楽」でも、もちろん「SMAP」でもいいだろう。

 しかしあの”謝罪会見”や、それによって生じた『スマスマ』の最終回は、SMAPがもう夢や希望を語れない存在になったことを白日のもとに晒した。それが、われわれの感じる悲しさの正体だ。

芸能界の悪しき商慣習

 SMAPの解散を「たかが芸能」と捉えるひともいるだろう。ただ、日本のエンタテインメントの中心にいたSMAPは、日本のドラマ、音楽、映画の象徴的な存在でもある。その存在を蔑ろにすることは、芸能界と関係する日本のドラマや音楽、映画を蔑ろにすることと同義だ。よって、「たかが芸能」と切って捨てられるのは、日本のドラマや音楽、映画などをいっさい享受しないひとだけだろう。

 そして、今後われわれが考えなければならないのは、2017年9月以降のことだ。

 今回の解散が生じた背景には、SMAPメンバーがチーフマネージャーとともにジャニーズ事務所からの独立を企図したことがある。結果的に全員ジャニーズ事務所に残留したものの、来年2017年9月の契約更新時になんらかのアクションを起こす可能性が囁かれている。実際、その可能性は決して小さくないだろう。

 ただ、あの”謝罪会見”が起きたように、芸能界ではタレントが事務所を離れて独立することに大きなリスクが生じる。独立すれば、旧事務所から圧力がかかったり、クライアントのテレビ局などの「忖度(そんたく)」が生じたりすることによって、活動しにくくなる状況に陥る可能性がある。

 実際、現在「のん」の芸名で活動する能年玲奈が、NHK以外の民放テレビ局にいっさい出演できなくなっている。それは、彼女が芸能プロダクションから独立したからだ。

 芸能界とその取引先であるテレビ局などは、古き悪しき商慣習にいまだに縛られている。SMAPの元メンバーが今後独立を考えたとき、そうした状況に陥る可能性はけっして低くない。

 もちろん同業者の仕事に圧力をかけることは、本来的には独占禁止法の「不当な取引妨害」に抵触する。しばしば囁かれる「共演NG」という言葉も、表立ってそれを明示すれば、違法行為である。ただ、それらの交渉の多くは、関係者同士の水面下で行われるために、「圧力」を証明することは簡単ではない。

国会議員も注視するSMAPメンバーの今後

井坂信彦衆議院議員(2016年8月/筆者撮影)
井坂信彦衆議院議員(2016年8月/筆者撮影)

 こうした芸能界の悪しき商慣習を疑問視する国会議員も存在する。そのひとりが、衆議院議員の井坂信彦議員(民進党所属)だ。井坂議員は、”謝罪会見”から間もない2月3日に、「SMAP騒動と放送法に関する質問主意書」を内閣に提出した。

 「質問主意書」とは、文書による内閣への質問のことだ。その内容は、韓国のJYJ法(詳細は「テレビで「公開処刑」を起こさないための“JYJ法”」)を踏まえたうえで、日本の放送法改正などについて質問したものである。

 これに対する安倍総理の答弁は、「お答えすることは困難である」と鈍いものだった。

 筆者は、来年1月に刊行する著書『SMAPはなぜ解散したのか』(SB新書)のために、解散発表後の8月に、井坂議員に直接会って今後考えられうることについて話を訊いた。厚生労働委員を務めてたきたこともあってこの一件を「働き方」の問題として捉え、また放送法にも明るい井坂議員は、以下のように話してくれた。

「現在は、まだなにも起こっていない状態だと言えます。法律を作るには、その根拠となる立法事実と呼ばれる事象が必要となりますが、それはまだ確認できません。今後も4人が不自由なく活動できる状態が続けば、法律を作る必要は生じません。韓国のJYJのケースでも、4~5年間ひどい状態が続いて、ようやく全会一致で法律が通りました。明らかに人気があるにもかかわらず音楽番組に出られないという、異常事態だったのです。逆に、出演回数が少し減った程度で予防的に法改正に動くと、それは政治の過剰介入にもなりかねません。ただ、もし極端に仕事を干されるようなことがあれば、やらなきゃいけないなと思っています。そのときは、私以外の議員もおそらく問題意識を持つでしょう」

出典:松谷創一郎『SMAPはなぜ解散したのか』(2017年/SB新書)

 井坂議員が話していることは、けっして大げさではない。芸能が社会のロールモデルとして機能する以上、それは看過されない社会問題だからだ。

松谷創一郎『SMAPはなぜ解散したのか』(SB新書/2017年)
松谷創一郎『SMAPはなぜ解散したのか』(SB新書/2017年)

 結局のところ、SMAPの解散が見せてしまったことは、28年間必死に仕事を続けて立派な結果を残しても、「公開処刑」のような”謝罪会見”をさせられた挙句に、古き悪しき「義理と人情」を振りかざす年寄りによって、悲壮な解散に追い込まれるという事態だ。あの一件が多くのひとの反感を買ったのは、規模は異なれど日本のいたるところでいまも起きている事態だからだ。

 もちろん国会議員のなかには、井坂議員とは対立する立場の者もいる。”謝罪会見”のときに文部科学大臣だった馳浩議員(自民党)は、「私の妻も芸能界にいて、芸能界のしきたりはわかっているので、それを踏まえても5人一緒で良かったと思っている」(NHK「かぶん」ブログ2016年1月19日)と答えた。それは実質的に、芸能界のあの商慣習を是認する発言と捉えられる。

 韓国では、法改正までして芸能界の状況を変えようとしている。日本の国会が、どれほどこの問題に真剣になれるかが今後は注目される。

地上波テレビ時代の終わり

 最後に、あらためてテレビ時代の終わりについて触れておこう。

 前述したように、『スマスマ』の最終回は、おそらくテレビ放送時代の終わりを意味している。ただし、それは決して“テレビの終わり”ではない。あくまでも“地上波テレビ放送の終わり”だ。

 もちろん、地上波テレビ放送は決してなくなることはない。ただ、テレビ放送がポップカルチャーの中心に位置することが、本格的に終わるのである。その背景には、ネット回線を使った動画配信サービスの存在があるからだ。

 2015年から日本でもサービスを開始したNetflixとAmazonプライムビデオは、Huluに続いて日本のオリジナルコンテンツを当初から配信している。フジテレビの『テラスハウス』、吉本興業の『火花』や『ドキュメンタル Documental』、アミューズの『深夜食堂』、NHKの『NHKスペシャル』などである。テレビ朝日がサイバーエージェントと組んで始めたAbemaTVや、スポーツ中継専門のDAZNもある。もちろんYouTubeやニコニコ動画はそれ以前から人気だ。

 地上波テレビ放送は、こうしたさまざまな動画配信サービスによって完全に相対化されつつある。地上波テレビの視聴率の低迷は、多くのひとが動画配信サービスで好きな番組を好きなタイミングで楽しんでいるからだ。若年者にそれはとくに顕著な傾向だ。地上波テレビ放送に強い期待をいまだに抱いているのは、動画配信サービスに疎い高齢者を中心とした層であることも明らかになりつつある。

 長く続いてきた業界のしがらみに囚われたままの地上波テレビ放送は、今後はニュース番組に特化する方向に舵を切ることを余儀なくされるだろう。

 動画配信サービスのプレイヤーに既存の放送局が多く含まれているように、テレビ局も地上波テレビが相対化されることにはある程度は自覚的だ。既得権を保持したまま、ビジネスモデルを徐々に変えていくことは重々承知している。ただ、そうした状況では、SMAPのような“国民的”といった形容をされる存在は、今後はもう現れないだろう。

 逆に考えれば、これまで続いてきた芸能界の悪しき慣習が動画配信サービスでは通用しないことを意味する。なぜならNetflixもAmazonも外資だからだ。そこでは、日本国内だけで通用する商慣習は機能しない。SMAPのメンバーがもしジャニーズ事務所を辞めて、地上波テレビでの活動を制限されたとしても、いまは十分に活躍の場はある。

 SMAPの終わりはたしかに地上波テレビ時代の終わりではある。だが、新しい時代の幕開けになる可能性が高い。古き時代が終わり、新しき時代が始まるのである。『スマスマ』最終回で歌われた「世界に一つだけの花」は、結果的に地上波テレビ時代の葬送曲だったのである。

ジャーナリスト

まつたにそういちろう/1974年生まれ、広島市出身。専門は文化社会学、社会情報学。映画、音楽、テレビ、ファッション、スポーツ、社会現象、ネットなど、文化やメディアについて執筆。著書に『ギャルと不思議ちゃん論:女の子たちの三十年戦争』(2012年)、『SMAPはなぜ解散したのか』(2017年)、共著に『ポスト〈カワイイ〉の文化社会学』(2017年)、『文化社会学の視座』(2008年)、『どこか〈問題化〉される若者たち』(2008年)など。現在、NHKラジオ第1『Nらじ』にレギュラー出演中。中央大学大学院文学研究科社会情報学専攻博士後期課程単位取得退学。 trickflesh@gmail.com

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