広島原爆で空襲警報が鳴らなかったわけ 8月6日の広島原爆の日、 B-29がきたのにもかかわらず空襲警報が鳴らなかったわけを知っている人はいませんか?

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一度、警報がなったらしいが、 その後、原爆搭載機は、広島市民を油断させるために、広島上空を離れたらしい。 そのために、防空壕に避難していた人も、警報が解除されて地上に現れたところに、原爆を落とされたという。 以下引用。 昭和20年(1945年)8月6日、月曜日の朝は快晴で、 真夏の太陽がのぼると、気温はぐんぐん上昇しました。 深夜零時25分に出された空襲警報が午前2時10分に解除され、ようやくまどろみかけていた人々は、午前7時9分、警戒警報のサイレンでたたき起こされました。 この時はアメリカ軍機1機が高々度を通過していっただけだったため、警報は午前7時31分に解除されました。 一息ついた人々は、防空壕や避難場所から帰宅して遅い朝食をとったり、仕事に出かけたりと、それぞれの1日を始めようとしていました。 この時、広島中央放送局では、情報連絡室から突如、警報発令合図のベルが鳴りました。 古田アナウンサーは、警報事務室に駆け込んで原稿を受け取り、スタジオに入るなりブザーを押しました。 「中国軍管区情報! 敵大型3機、西条上空を・・・」と、ここまで読み上げた瞬間、メリメリというすさまじい音と同時に、鉄筋の建物が傾くのを感じ、体が宙に浮き上がりました。 昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分。 人類史上最初の原子爆弾が、広島に投下されました。homepage1.nifty.com/zpe60314/genbaku1.htm

極少数で飛来したので、偵察機だと市民は勘違いしてしまったらしいです。

極、少ない侵入機だったから、軍も見落としたか、偵察機だろう程度に考えていたのだろうと思います。その当時も怠慢というものがあったのでしょう。 それから、各地(都市部への夜間空襲)への攻撃に弾薬が落とされ始めても空襲警報が鳴らないということはよく聞きます。住民の犠牲も多かったのです。自主避難しかなかった。そこまで軍部もへばってきていたのです。