andymori / 宇宙の果てはこの目の前に

宇宙の果てはこの目の前に

宇宙の果てはこの目の前に

 

もう三十路も半ばを過ぎた大学時代の先輩は、作っては壊し作っては壊し、それでも、今もなおバンドを組んでいる。

会社を辞めた若い友人と大学を休学している若い友人は、最近組んだバンドの話を、とても楽しそうにしていた。

端的に言えば、バンドとは夢なんだろう。ポップミュージックに触れたことのある人間であれば、誰でも一度は見たことのある夢。音楽で飯を食うことを夢見る人間にとっては語義通りの夢であり、音楽で飯を食うことなど考えたこともない人間にとっても、それは突然目の前に現れる夢。もう人生の半分以上の時期を音楽を聴いて過ごしてきたことになるけれど、特別なバンドが放つ輝きはやっぱり特別で、それは特別なバンドでさえも特別な時期にしか放つことのない輝きだからだってことも、人生の半分以上の時期を音楽を聴いて過ごしてこれば、そりゃあ嫌でもわかる。

 

最高の夢が瓦解していく姿をこれでもかとばかりに見せつけてくるような、最低で最高なドキュメンタリーをラストアルバムとして発表した、間違いなくあの時期の英国で最高だったバンドをとかく引き合いに出されて語られてきた、この今の日本で最高のバンド、andymori

彼らのラストアルバムとなる今作、最高の夢は少しも瓦解していない。だがしかし今作は、臨場感に満ちたドキュメンタリーでもない。長い長い最高の夢から目が醒めた後に、それを出来る限り克明に語り直した作品、僕はそんな印象を受けた。

 

今作のリリースの1か月ほど前に、彼らは解散を発表した。つまり今作は、リリースされた時点で「ラストアルバム」になることが確定していた。解散を織り込み済みで作られるそれと、結果的にそうなったそれとでは、同じラストアルバムとはいっても、意味合いは違ってくる。メンバーは雑誌インタヴューで「このアルバムの完成で解散を決めた」と言っていたけれど、僕には、今作を何度聴き返してみても、どうしてもそうは思えない。

たとえば「最高のアルバムが出来たので、俺達は解散します」と言って解散していったやっぱり最高のバンド。あれが彼らにとっての「最高のアルバム」かどうかはさておき、その言葉自体には、間違いなく一点の曇りもない。最高の夢を体現し続けながら、最高のままで夢を終わらせたバンド。andymoriが、彼らと同じ終わり方をしたとは、どうしても思えない。

 

このとても美しいアルバムを、僕は何度も何度も聴いているけれど、最高の夢を体現し続けるバンドとしてのandymoriは、前作「光」までで終わっていたんだと、僕にはどうしてもそうとしか思えない。僕にとっても最高の夢だったandymoriは、メンバーにとっては僕なんか比較にならないほどに最高の夢だったんだろうし、そんな最高の夢を終わらせることにした人間が、最高の夢を、最高の夢のままで封じ込めるため、それだけのために全力を出し尽くしたとしかどうしても思えないそんな今作を、僕は何度も何度も聴いて、何度も何度も涙を流す。

ネバーランドはどこにもない もはや誰も覚えてない

今日も明日が来るから 夢に夢見るだけさ

こんなにも美しく克明に夢に夢見ることができる人間が、果たしてどれだけいるのだろうと思ってしまうし、こんなにも美しく克明に夢に夢見ることができる人間が、現実の中で生きていくことを、果たして幸せだと思えるのだろうかと思ってしまうよ。

いつかその時がきたら この歌を思い出してくれ

同じポイントで笑えた時 うまくやれてる気分になったよ

「君の喜びを僕が 君の怒りを僕が 君の悲しみを僕が 僕が歌うから」と、強く強く二人称を歌い上げた青年の声を、こんな風に歌われたら、どうしたって思い出してしまうよ。うまくやれてたよ。気分じゃないよ。うまくやれてたよ。ホントだよ。

 

今、こんなにも美しく、こんなにも無邪気で、こんなにもまっすぐで、こんなにもリリカルで、こんなにもヴァルネラブルな人を、今の僕は他に知らないし、そしてこの人が作る音楽ほどに今の僕の心を揺さぶってくるものも、今の僕は他に知らない。

だから願う。できれば、歌い続けてほしい。とにかく、とにかく生き続けてほしい。

いつかその時が来るかもしれない。いつか思い出す時が来るかもしれない。いつか忘れて、思い出す時が来るかもしれない。今は抉られるような痛みとともにしか聴けないこの音楽を、いつかやわらかい旋律に耳を傾けながら聴くことができる日が来て、いつか忘れる日が来て、いつか思い出したように聴く、そんな日が来てほしい。だから、とにかく生き続けてほしい。この音楽がずっと忘れられない音楽になってしまうとすれば、それはきっととても悲しいことだって気がしてしまうから。一度忘れて、そして生き続けて、そしてまた思い出して、この音楽を聴きたい。

 

最高の夢が醒めた後の悲しさも、何もないようでいろんなことがある日常を過ごしながら、いつか忘れていく。そして、最高の夢の内容でさえ、いつか忘れていく。それでも、最高の夢を見たことは、なんとなく忘れない。最高の夢を見たことを思い出しながら、なんとなく思い出し笑いなんかを浮かべながら過ごす。そんな時が、小山田壮平くん、いつか君にも来てくれますように。あの日にはうまく祈ることすらできなかった僕の、少し遅れた七夕の願い。