AT&Tが60年間封印していた未来

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  • author 福田ミホ
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AT&Tが60年間封印していた未来

当たり前だと思っている「自由」だけど、実は流れに逆らってでも守らなきゃいけないもの、なのかもと考えさせられます。

コロンビア大学教授のティム・ウー氏が、書籍『The Master Switch: The Rise and Fall of Information Empires』を発表しました。その中でウー氏は、20世紀に生まれたさまざまな情報技術には、ある共通の「サイクル」が見られると主張しています。

彼によれば、革新的な情報技術は、誕生当初は誰もが自由に使えるのに、ある段階から市場をコントロールしようとする企業が現れます。やがて技術は中央集権化され、一部の企業が「マスタースイッチ」を握るような状態になってしまうのです。ウー氏は、オープンなプラットフォームと言われるインターネットも、実際はそんなサイクルの上にあるのではないかと問題提起しています。

ウー氏の指摘した「サイクル」は、たとえばアメリカにおける電話の世界で見られました。電話の黎明期には電話会社が数多く誕生したのですが、その後AT&Tが「one system, one policy, universal service(ひとつのシステム、ひとつの政策、ユニバーサル・サービス)」を掲げて、政府から規制されながらも市場独占を認められました。その後数十年続いたAT&Tの独占状態には、正負の両面がありました。

では実際、どんなことが起きていたのでしょうか? 以下は『The Master Switch: The Rise and Fall of Information Empires』からの引用(強調は訳者)です。

1934年初頭、ベル研究所のエンジニア、クラレンス・ヒックマン氏のオフィスには、高さ6フィート(約1.8メートル)ほどの秘密の機械がありました。それは世界に類のない機械で、時代を何十年も先取りしていました。その機械を電話機につなげておけば、電話がかかってきたときに応答できなくても、機械がピーっという発信音のあとにメッセージを記録...つまり、留守番電話です。

ヒックマン氏が開発したこの機械のすごいところは留守番電話機能ではなく、それを実現した磁気記録テープでした。磁気記録は、結果的には世界を変貌させる発明でした。

磁気記録装置ができるまでは、音声を記録するためにはレコードをプレスするか、自動ピアノ用の穴開きロールを作るかしかありませんでした。が、磁気テープによって、オーディオカセットビデオテープが実現され、さらにシリコンチップと一緒に使われることでコンピューター用記憶装置となったのです。そして1980年代以降現在にいたるまで、マイクロソフトやグーグルといった会社にとって、というか全世界にとって、磁気ストレージ、別名ハードドライブが、なくてはならない存在になったのです。

1930年代初頭以前、先進的記録技術を開発する組織と言えば、AT&Tとそのグループ企業の技術者を集めて作られたベル研究所でした。1925年に電話方式の改良を目的に設立され、そのミッションを遂げてきました(たとえば電話線のプラスチック絶縁材のようなシンプルな発明によっても、AT&Tの数十億ドルのコスト削減に貢献したりしました)。

そして1920年代までには研究所として独自の活動を始め、電話の改良を超えて基礎研究を手がけるようになり、企業による研究機関としては世界でも飛び抜けた存在、科学のヴァルハラ宮殿となりました。そこでは、探し出せる最も優秀な男たち(後には女性たちも)が雇われ、多かれ少なかれ研究者が興味対象を自由に追究できたのです。

科学者はそのような自由を与えられると、驚異的なことも実現できてしまうものです。間もなくベル研究所は、量子物理学から情報理論にいたるまで多様な分野において最先端の研究を手がけるようになりました。

1937年、ベル研究所の従業員クリントン・デイヴィソン氏は、物質波の性質を確認したことでノーベル賞を受賞しました。それは電話会社の一社員というより、アインシュタインの仕事といった方がよさそうな業績です。ベル研究所の従業員はノーベル賞を計7回受賞しており、企業の研究機関としては最多となっています。中でも有名なのは、1956年、コンピューターを可能にしたトランジスタの発明による受賞でした。他にももうちょっと無名なもの、といってもギークにはよく知られている、UNIXC言語といった発明があります。

言わばベル研究所とは、偉大なる善意でした。そういう意味では、独占を実現したAT&Tの社長セオドア・ヴェイル氏も善意の人でした。AT&Tは、ベル研究所を研究機関として運営することを正式に要求されてはいませんでした。それでも、ヴェイル氏がそれをノブレス・オブリージュ(訳注:恵まれた身分だからこそ負う義務)だと考えたために、研究機関の務めを果たしていたのでした。

つまりAT&Tは、ベル研究所を営利目的だけで運営していたのではなく、より大きな善をも志向していたのです。これは営利を無視するということではありません。ベル研究所は、電話線の絶縁材よりはるかに多くAT&Tの利益に貢献してきています。それでも、量子物理学の研究に投資することで目先の利益につながるかというと、難しいです。もっと言えば、今どき電話会社が量子物理学者を雇い、ルールも上司もなしで働かせるということ自体、考えにくいことです。

AT&Tは、政府の決めた料金で、政府公認の独占の利益を享受していました。でも、それは基礎科学研究に貢献することで相殺される、と一部では理解されていました。多くの国では、基礎科学研究とは政府が直接投資するものだからです。つまりアメリカにおいては、独占のために割高となった電話料金には、基礎研究のための税金が含まれている、とも言える状態でした。AT&Tは、アメリカの科学振興という目標によって政府とつながり、成長するにつれほとんど政府の一部門となって、国益のためのトップシークレットの仕事も行うようになりました。

ベル研究所の栄光の中で、公共の利益に貢献するという錦の御旗が汚されるような事態はほとんどありませんでした。でも、画期的な発見が数多くなされる中で、ベル研究所が大学のような研究機関と異なる点がひとつありました。AT&Tの利益と知識の追究とが天秤にかけられたときには、有無をいわさず会社の利益が優先されたのです。そのため、公表された成功の陰には、公表されなかった発見があり、AT&Tという王宮の秘密になってしまったのです。

ここで、ヒックマン氏の磁気テープと留守番電話の話に戻りましょう。興味深いことに、1930年代のヒックマン氏の発明は、1990年代まで「発見されなかった」のです。ヒックマン氏がその発明をした後、AT&Tは研究所に対し磁気記録関連の研究を全て中止するよう命じ、ヒックマン氏の研究は60年以上も隠ぺいされていたのです。歴史家のマーク・クラーク氏がベル研究所保管文書からヒックマン氏の研究ノートを発見したことで、ようやく日の目を見たのです。

クラーク氏いわく、「ベル研究所の科学者やエンジニアたちの素晴らしい技術的成果が、ベル研究所とAT&Tの上層部によって隠されていました。」AT&Tは「消費者向けの磁気記録装置の開発を拒み、その開発および他者による利用を積極的に妨げたのです」。結果的に磁気テープは、外国、主にドイツからの輸入技術としてアメリカにやって来ることになりました。

でも、なぜ上層部はこのように重要で商業的にも価値がある発見を封印したのでしょうか? 彼らは何を恐れていたのでしょうか? その答えはほとんどシュールと言っていいものです。クラーク氏が発掘した企業メモによると、AT&Tは、留守番電話や磁気テープがあると、電話が使われなくなると考えていたのです。

より正確に言うと、ベル研究所の考えたことはこうでした。人々が会話を記録できることを知ると、「電話の利用が大幅に制限され」、AT&Tの事業にとって破壊的な結果を招くというのです。たとえばビジネスマンは、録音された会話が文書契約を取り消すために利用されることを恐れるかもしれません。また、わいせつな内容や倫理的に微妙な用件を電話で話すことも敬遠されると考えられました。まとめると、磁気記録の可能性は、「電話での会話の本質全体を変化させ」、「電話が使われるほとんどのケースにおいて、満足度・利便性を損ねる」ものと恐れられたのです。

こう振り返ると、どんなにエリートの集まる独占企業でも、極端な被害妄想にとらわれてしまうことがあることがわかります。確かに、磁気記録がアメリカにやって来て以来、ニクソン大統領からモニカ・ルインスキー女史にいたるまで、その秘密がテープによって暴露される事件はありました。それでも、電話はいまだに使われています。

こういう事態が、たとえどんなに高尚な企業であっても、一企業の思惑に依存することのデメリットでしょう。会社の運命がかかっているかもしれないという思いが、たとえ妄想であっても、重大な結果を引き起こしてしまうのです。リスクを取るより、研究を停止してしまう方が安全なのです。

これが、イノベーションに対する中央集権的なアプローチの弱みです。イノベーションは、計画してシステマティックに進めることが可能であり、中央の情報組織みたいなものに管理されていればなお良し、という考え方です。イノベーションは、単に優秀な人を集めて協働させればできあがるという思考です。もしそうだったら、未来は科学的に計画され、実行できるものになってしまうでしょう。

たしかに、ベル研究所は偉大でした。でもAT&Tは、イノベーションの担い手としては、生来の欠陥を持っていました。すなわち、同社とそのグループ、ベル・システムにとってほんの少しでも脅威となる可能性のある技術を作り出すことはできなかったのです。イノベーション理論の言葉で言うと、ベル研究所のアウトプットは持続的イノベーションに限られていたのです。ビジネスモデルに不確実性の影を落とすような破壊的技術は、論外だったのです。

留守番電話はほんの一例で、AT&Tは他にも、同様の恐怖から何年も研究を止めたり、技術を市場に出し損ねたりしています。たとえば光ファイバー携帯電話DSLFAX機スピーカーフォン...枚挙にいとまがありません。こうした技術は、新奇なものから革命的なものまでありますが、いずれも単にベルにとっては大胆すぎて不安だっただけなのです。それぞれの技術がベル・システムにどう影響するか、きちんとした判断もありませんでした。AT&Tは、新しい技術を世に出したとしても、恐る恐るゆっくりと進めたのです。

AT&Tの対応は、クロノス効果(訳注:息子を恐れるあまり飲み込んでしまった巨人クロノスのように、大企業がより小規模な企業の活動を制限しようとすること)の根深さを考えると、神経質すぎるとは言えないのかもしれません。ベル・システムは、企業史でも最も強固な独占を、ただで享受できたわけではありません。新しい技術にどんな機会が内包されていようと、そこにはつねに脅威があり、その技術が生まれた時から慎重さが必要とされていたのです。

ベル自身の由来が、その教訓を表しています。1876年、アレキサンダー・ベルがある機械の特許を取ったことで、当時国内最大企業だったウェスタン・ユニオン社が撤退に追い込まれたのです。

新しい技術にどんな魅力があれば、自衛本能に匹敵するでしょうか? おそらく、プラスチック・カップでは足りないでしょう。

競争がないと、世界を変えるようなすごい発見をしていても、それを「どう生かすか」を考える前に「世界が変わったら困る」という発想になってしまうということですね。もちろん、競争下にある企業なら新しい技術の価値を見誤らないというわけでもないですが、少なくとも意図的に進化を遅らせるようなことは起こりにくいはずですね。

『The Master Switch: The Rise and Fall of Information Empires』では、電話の他にラジオTV映画といった分野で見られた「サイクル」もまとめています。インターネットも、従来の技術と同様クローズドに収まってしまうのでしょうか? それを防ぐにはどうすればよいのでしょうか? または、適度にクローズドな状態があるのでしょうか? 考えるうえで、過去を振り返ってみることには大きな意味がありそうです。

ティム・ウー氏はコロンビア大学ロースクールの教授であり、メディア改革団体のFree Pressのチェアマンです。ウー氏は2006年、雑誌Scientific Americanにおいて科学・技術のリーダー50人の一人とされ、2007年にはWebマガジンの02138 magazineでハーバード卒業生のうち最も影響力ある100人に選ばれました。ティム・ウー氏の最も著名な仕事はネットワーク中立性の理論ですが、著作権や国際取引、違法行為研究に関する著作もあります。彼は以前シリコンバレーの通信企業Riverstone Networksで働き、リチャード・ポスナー判事とステファン・ブレイヤー裁判官の事務所職員を務めたことがあります。彼はマギル大学(学士)およびハーバードロースクールを卒業しています。

Tim Wu(原文/miho)