【10月20日 AFP】英ミステリー作家アガサ・クリスティ(Agatha Christie)は人気ミステリーシリーズ『名探偵エルキュール・ポアロ (Hercule Poirot)』にうんざりしていたが、出版社からの圧力でシリーズを書き続けていた――。クリスティの孫のマシュー・プリチャード(Mathew Pritchard)さんが英誌ラジオ・タイムズ(Radio Times)に明かした。

 クリスティは、小柄のヒゲを生やした美食家のポアロを「生計の手段」ととらえていたが、次から次に書かなければならないことに不満をもらしていたという。

「祖母が物語のネタに困ることはなかったが、これらのアイデアはポアロ向きじゃなかった。だから、新しいキャラクターで新しいストーリーを書くことで、ポアロのことをいつも追い払おうとしていた」とプリチャードさんは語る。「でも、エージェントや出版社、資産管理者らはポアロを大好きだった」

 ギネス世界記録(Guinness Book of World Records)によると、クリスティは史上最高の20億冊以上が出版されたベストセラー作家。

 最も有名な作品には『オリエント急行の殺人(オリエント急行殺人事件、Murder on the Orient Express)』(1934年)、『ナイルに死す(Death on the Nile)』(1937年)、『鏡は横にひび割れて(The Mirror Crack'd from Side to Side)』(1962年)などがある。ほかにも戯曲『ねずみとり(The Mousetrap)』(1952年)なども執筆した。

 最も人気のキャラクターはシリーズ化されたポアロとミス・マープル(Miss Marple)だ。

 クリスティは、1976年に85歳で死去する前に、お気に入り作品の権利を娘と孫(プリチャードさん)に譲渡した。

 プリチャードさんは、「祖母はとても気前のいい人で、わたしが9歳のときに『ねずみとり』の権利を譲ってくれた」と語る。「幼すぎて当時は十分に価値を理解できなかったけれど、ずいぶんビジネスに活用させてもらったよ」

 プリチャードさんが初めてクリスティの本を読んだのは10歳のとき。イングランド南西部デボン(Devon)の崖の上にあるクリスティの家で、本棚にあったクリスティの本を手に取った。

「10歳のときに選ぶべき本ではなかったね。『そして誰もいなくなった(And Then There Were None)』には10件の殺人事件が起きて、中には結構陰惨な殺人もあるからね」

(c)AFP