/ja あやつる YmrDhalmel

バレーボールを見た記録が多いです。主に北で、たまに南で。

イヤーブック'82-'83

このあたりで話に首をつっこんで以来、ちょっと気になっていた。

実家に表題の本があったので、ちょっと目次・構成含めて読み返してみた。自分が本格的にバレーを見始める前の本で、大きな書店でたまに行われていたバックナンバーフェアで入手したと記憶している。
まだ日本文化出版の本社が渋谷区にあった頃の月バレ増刊。B5(当時は月バレ本誌もそのサイズだった)208ページ、当時の価格で800円。「人気投票ベスト10」みたいな企画モノも交えられているが、基本的には、この本全体で1982年のバレーボール界を振り返るという内容になっている。業界に「文化」が無い、とさっき紹介したついーとでは言及されていたが、この当時はそうとも言い切れなかったということが見て取れる。
ちなみに、1982年というのは、世界選手権とアジア選手権が行われた年である。世界選手権は男女とも4位であった。
発行日は1983年5月20日とある。おそらく、このシーズンの日本リーグ終了後、黒鷲旗が始まる前に出版されたものと思われる。
以下、過去にこういう本があったんだなという資料としてまとめておく。

目次と概要

目次は4ページからのカラー見開きで、上段に時系列でのトピックとその写真&関連ページ数、下段に目次という配置である。

プレーヤー・オブ・ザ・イヤー(年間最優秀選手)

この項〜ルーキー…までは、JVA・松平康隆専務理事、山田重雄女子強化委員長、小山勉男子強化委員長(いずれも当時の役職)により選考されている。いずれの賞も、男女、小中高大学実業団ママさん…を通じて1名または1チームという基準での選出である。候補に挙がった選手とその選考過程が記されている。
年間最優秀選手は全日本男子・田中幹保選手(新日鐵)。

チーム・オブ・ザ・イヤー(年間最優秀チーム)

第15回日本リーグ女子で完全優勝を遂げた日立が選出された。ほか候補に挙がったのは、日本リーグ男子の新日鐵日本鋼管、小学生チームの天白クラブ。日立については年間全成績およびその写真が掲載されている。

ゲーム・オブ・ザ・イヤー(年間最高試合)

男子世界選手権(アルゼンチンにて開催)準決勝リーグ・日本がフルセットで中国を倒した試合が選ばれた。当時の中国のユニフォームが順大っぽい(ぇ)。ほか候補に挙がったのは日本リーグ男子の新日鐵3-1富士フイルムアジア大会男子の日本3-0中国、環太平洋選手権女子の日本3-2中国など。

ルーキー・オブ・ザ・イヤー(年間最優秀新人)

三橋栄三郎選手(日体大富士フイルム)が選ばれた。それぞれのカテゴリでの1年目の選手が選出基準とある。インターンなど無かった頃の話、ではある。

ショット・オブ・ザ・イヤー(年間最優秀写真)

男子世界選手権における地元アルゼンチン戦のショット。熱狂のあまりトイレットペーパーが乱舞する会場の様子が切り取られていた。当時の撮影データを紐解くと、キヤノンF-1、FD24mm、1/250秒F2.8、エクタクロームEL400(ASA1600に増感)とある。

ビッグニュース10/マンスリーレポート

10大ニュースと、各月ごとのダイジェストが並んで展開されていたコーナー。トップニュースはアジア大会男子優勝、続いて世界選手権男女とも4位、日本リーグ女子日立完全優勝など。

バレー選手人気投票ベスト10

読者参加型企画。ハガキ1枚に1選手を記載して応募する形式での人気投票で、有効投票数3000票あまり。ベスト10の中に男子8選手、女子2選手。男子選手には組織票もあり、それはそれで微笑ましかった。

杉本公雄365日/三屋裕子365日

上記人気投票の男女各トップ得票選手を追った企画。1年を振り返ってのトピックスや本人のコメントが掲載されている。

ハッピーウェディング/ハロー・ベイビー

今にして思うと当時は個人情報のコントロールが緩かったのかなんだったのか、という感はある。現在阪神選手の両親とか、のちVリーガーを経て海外でもプレイした選手の生まれた当時の写真とかがあった。

各界年間レポート

各カテゴリについて4〜6ページの総括、およびそこで印象に残った選手や関係者のコメント集。カテゴリは下記の通り。1982年は環太平洋ジュニア選手権が初めて日本で開催された年であり、順天堂大学が全日本インカレで初優勝した年でもある*1。カテゴリは下記の通り。

データ

各大会の記録、大会・遠征・合宿メンバー、各大会表彰選手、主要チーム住所一覧が掲載されている。この項目のみ横書きで書籍末尾から展開されている。

雑感

この頃あって、今無いものは何だろう。今あって、この頃無かったのは何だろう。両方の要素があるんだろうとはしみじみ思う。
ただ、ここ、乃至はそれよりも前から、現在にかけて、バレーボールの資料としてのデータを、いろいろな立場でバレーボールに携わっている人が参照できる形で蓄積できているのだろうか、ということについては、深く考えてしまう。おそらく何かを調べるたびにかき集めるところから始めないとならないんだろうなぁというのは感じる。
今同じようなことをやろうとするとどうなるのかな…ということを、常に考えながら、ページを読み進めたのであった。

*1:昨年が2回目