プロダクションノーツ

image宮崎駿から宮崎吾朗へのリレー
今回、宮崎駿が作った<シナリオ>を宮崎吾朗監督が<絵コンテ>に起こしていった。出来上がった<絵コンテ>と<シナリオ>を比較すると変化があった。鈴木プロデューサーは「宮さんの作ったシナリオを、吾朗くんが"現実的なもの"にした」と言う。
大きな変化があったのは、海と俊の雨の帰宅シーン。「嫌いになったのならはっきりそう言って」「澤村雄一郎 俺の本当の親父」「えっ?」「まるで安っぽいメロドラマだ」「どういうこと……?」「俺たちは兄妹ってことだ……」「……どうすればいいの?」。この一連、脚本では「……」が書かれ、ふたりの会話に「間」「余韻」があった。しかし、吾朗監督は、余韻をカット。会話をテンポアップさせ、ふたりの気持ちをストレートにぶつけ合わせた。そのことにより、観客にふたりの会話がよりリアルなものとして届けられることになった。
ヒロイン・海のキャラクターについても宮崎駿と宮崎吾朗では、捉え方が少し違った。今回、宣伝ポスターを描いたのは宮崎駿。本編では出てこないストライプのエプロン姿の海をファンタジックに描いている。一方、吾朗監督は、「普通にいそうな女の子」として海を映画の中で演技づけしている。
さらに、絵コンテの段階で吾朗監督が追加したセリフがいくつかある。中でも印象的なのが、古い歴史ある校内の建物を壊すか保存するかについて生徒たちが討論するシーンの俊のセリフ。「古いものを壊すことは過去の記憶を捨てることと同じじゃないのか!?」「人が生きて死んでいった記憶をないがしろにするということじゃないのか!?」「新しいものばかりに飛びついて歴史を顧みない君たちに未来などあるか!!」。吾朗監督がこの映画を作るにあたって「過去の中から、未来が生まれる」という思いを強くしたことが、このセリフに表れている。宮崎駿から宮崎吾朗へ受け渡された「コクリコ坂から」は、新たなジブリ作品の誕生といえる。
親子二世代にわたる青春を描く
image「コクリコ坂から」は、青春映画であり、歴史ドラマでもある重層的な作品である。太平洋戦争が終わって18年、日本は焼け跡から奇跡の復活を遂げた。そして、高度経済成長の只中、復活の象徴として、日本は東京オリンピックの開催を目前に控えていた。人々は古いものはすべて壊し、新しいものだけが素晴らしいと信じていた。煙突から吐き出される煤煙。道路にひしめく車の土埃。人々でごった返す街。工事や建物の解体作業の騒音。しかし、それでも海は青く、緑は輝き、空は広く、世界は希望に満ちてキラキラと輝いていた。貧しいけれど、みんなが上を向いて歩こうとしていた時代を生きた海と俊たちの青春。そして、主人公たちの出生の秘密に焦点を当てていくことで、両親たちの戦争や戦後の青春まで遡ってゆく。混乱の中で、親を亡くした子を自分の子として育てる。そんなことが当たり前だった時代。自分と他人の境界線が曖昧で、いろんなことに寛容だった時代の青春—。<高度成長期>と<戦争と戦後の混乱期>、親子二世代の青春を描くことで、自分たちの歴史がこうやって続いてきたというテーマが浮き彫りになってくる。観客に「自分たちがどういう時代に生きているのか—。」を問う映画になっている。
image設定は“海の見える坂道”と“歴史ある古い建物”
主人公の海が暮らす家、そして海と俊が通う高校、ともに海の見える坂の上に建つ。坂を上る時、その目の前には青い空が、振り返れば海が見える。坂の向こう、そして広がる海の向こうに「希望」や「未来」を感じることができ、想像するだけで心が沸き立つ設定である。
そして物語の重要な舞台となる古いけれど思い出のつまった歴史ある2つ建物の設定は宮崎駿が作り上げた。1つは、海の自宅である「コクリコ荘」。もともとは病院だったところを自宅兼下宿屋として、海が切り盛りしている。1階には食堂があり、そこで海の家族と下宿人たちで食卓を囲む。離れがあり、そこに海の祖母が暮らしている。古いけれど、手入れが行き届いている。そして庭にはたくさんのコクリコ(ひなげし)の花が咲いている。海が祈りを込めて揚げる信号旗のための旗竿もある。もう1つは、高校にある壊すか保存するかの議論の対象となる文化部部室が集まる擬洋風の建物、通称「カルチェラタン」。埃まみれだけれど、使っている男子学生たちの愛情が詰まった、素敵な魔窟。海と妹の空が初めてカルチェラタンに足を踏み入れるシーンは、まるで不思議の国に迷い込んだアリスのように見える。
そして面白いのが、「コクリコ荘」は女性の巣で、「カルチェラタン」は男の巣として描かれている点である。「コクリコ荘」は海の弟・陸を除いて全員が女性。女性の下宿人たちは、研修医に画家の卵、ビジネスガール(当時のOL)。きちんと家事をこなす海も含め、自立する女性たちが生き生きと描かれる。対して「カルチェラタン」に登場するのは、考古学研究会、天文部、哲学研究会、化学研究会、無線部、現代詩研究会、弁論部、新聞部、数学部の男子学生たち。好きなことに熱中する愛すべき変人たち。「コクリコ荘」「カルチェラタン」どちらも、魅力的な住人で溢れている。
ちなみに舞台となる港が見える町とは、横浜。コクリコ荘があるのは、神奈川近代文学館のあたりのイメージ。さらに山下公園、ホテルニューグランド、マリンタワー、氷川丸、桜木町駅などが出てくるのも、見どころである。
参考にしたのは日活の青春映画
image1963年は宮崎吾朗監督が生まれる前の時代。ということで吾朗監督は、その時代に制作された日活の青春映画を参考にしたという。 その中でも特に参考にしたのが、吉永小百合主演で世に送り出された「赤い蕾と白い花」(1962)、「青い山脈」(1963)、「雨の中に消えて」(1963)、「美しい暦」(1963)。主人公たちの言葉には裏がない。そして話すテンポが速い。自分の思いを躊躇なく伝える。そういった当時の日本人の話し方、コミュニケーションの仕方が「コクリコ坂から」に反映された。海や俊、そして他の登場人物たちもみんな、自分の気持ちをストレートに伝え、ストレートに相手の言葉を解釈する。自分の気持ちからも、相手の辛い言葉からも決して逃げない。自分の本当の気持ちをごまかさず伝える力、相手の気持ちをそのまま受け止める強さ、これは本来日本人が持っていたものなのではないだろうか。「コクリコ坂から」の登場人物たちは、そんな正直なコミュニケーション方法を忘れてしまおうとしている私たちに勇気を与え、人と人がつながることの素晴らしさを再認識させてくれるはずだ。
image新ヒロイン長澤まさみとジブリ2作目の岡田准一
主人公の16才の少女・海を演じるのは、長澤まさみ。過去にゲーム「ニノ国 漆黒の魔導士」(2010)でのアフレコ経験はあるが、アニメーション長編映画でのアフレコは初挑戦。17才の少年・俊を演じるのは、岡田准一。「ゲド戦記」に続き再び、宮崎吾朗監督とタッグを組む。長澤・岡田のふたりは、今回が初共演となる。アフレコに際して、鈴木プロデューサーがふたりに贈った言葉がある。長澤には「無愛想」、岡田には「無器用」。その言葉を受け取った長澤は人に媚びない凛とした強い女の子として海を演じ、岡田は硬派で無鉄砲だけれども優しい男の子として俊を作り上げていった。
ふたりの脇を固めるキャスト陣として、竹下景子、石田ゆり子、柊瑠美、風吹ジュン、内藤剛志、香川照之、といったスタジオジブリ作品常連組から、ジブリ作品初参加となる風間俊介や大森南朋まで実力派が顔を揃えた。
そして、今回主題歌を歌う手嶌葵が海のクラスメートの悠子、「崖の上のポニョ」の主題歌を歌った藤岡藤巻の藤巻氏が徳丸ビル受付の男性、宮崎吾朗監督自らが世界史の先生の声で参加し、さらに作品を盛り上げている。
歌と音楽に溢れた映画
image「コクリコ坂から」は、主題歌「さよならの夏〜コクリコ坂から〜」の他に、挿入歌の「上を向いて歩こう」、「朝ごはんの歌」、「初恋の頃」、「白い花の咲く頃」、「紺色のうねりが」、「赤い河の谷間」、そして武部聡志のジャジーでポップな音楽と、歌と音楽に溢れた映画である。
宮崎駿は主題歌に森山良子の「さよならの夏」を推薦した。吾朗監督のアイデアでこの曲を手嶌葵が歌うと映画のイメージにぴたりとはまった。さらに、作詞家・万里村ゆき子に依頼し、新たに2番の歌詞を書き下ろしてもらい、より映画とリンクした主題歌「さよならの夏〜コクリコ坂から〜」が誕生した。
挿入歌は映画が描く時代に、世界的に大ヒットした坂本九の「上を向いて歩こう」。1961年に誕生したこの曲は、1963年にアメリカで「SUKIYAKI」として発売され、ビルボード誌で1位を獲得するという快挙を成し遂げ、これまでのセールスは全世界で1000万枚以上という驚異的な数字を達成している。映画本編の中で、テレビから"歌"が流れてくるシーンがあり、1963年当時青春時代を過ごした鈴木敏夫プロデューサーの推薦でこの曲を使うことに。今回、オリジナルの「上を向いて歩こう」は本編中で2回使用されるが、既成曲を本編中に2回使用するのは、ジブリ作品では異例のこと。伝説の曲「上を向いて歩こう」誕生50年目という節目の年に、ジブリ映画の中で"歌う九ちゃん"が蘇ることになった。
朝ごはんのシーンに流れる「朝ごはんの歌」と海と俊の心が近づくシーンに流れる「初恋の頃」は、作詞が宮崎吾朗と谷山浩子、作曲が谷山浩子、編曲が武部聡志、そして手嶌葵が歌う。手嶌のピュアな歌声が本編を美しく彩る。手嶌も参加している合唱曲「紺色のうねりが」は宮沢賢治の詩「生徒諸君に寄せる」に触発を受けて1番の歌詞を宮崎駿、2番の歌詞を宮崎吾朗が作詞。「赤い河の谷間」は宮崎駿が高校の頃、合唱で歌った曲で、吾朗監督が新たに訳詞をあてた。「白い花の咲く頃」の冒頭は、水沼役の風間俊介が独唱している。
武部聡志の軽快な音楽も重要な役割を果たしている。作品全体を明るくし、希望に満ちた雰囲気を作っている。そして、吾朗監督のアイデアで深刻なシーンに軽妙な曲をつけることに。観る人が、客観的にそのシーンを見ることが出来るので、言いたいことがストレートに伝わるようになったと、鈴木プロデューサーは語る。