「フクシマ以降」の時代

多くの人がいうように、日本の社会は3月11日を境にそれ以前とは異なるものになるでしょう。どのような点で変わると思うのか、ちきりんの意見をまとめておきます。


1.ジャパンブランドの深刻な毀損

311の前、日本は世界が憧れる国でした。綺麗な空気、清潔な街、多彩で一流のグルメ、安心で安全な国、ポップでユニークな文化・・・海外旅行をする余裕のできた多くのアジア人が日本を訪れ始めていたし、日本食は世界で大ブームになっていました。

この“日本ブランド”の価値は今回の原発事故で(地震でも津波でもなく原発事故により)深く傷つきました。今や「中国産野菜や中国産ウナギ、中国の牛乳は日本の野菜や魚介類、牛乳より安全だ」と思う人もいます。

それが事実かどうかは問題ではありません。ブランドの価値は高まる時も減じられる時も風評により変化するのです。ハウステンボスを経営するHIS会長の澤田秀雄会長は、「地震以来2週間、海外からは誰も日本に来ていない状況」とおっしゃっていました。東北から遠く離れた長崎でさえそうなのです。

消費人口の減る日本にとって、世界に売れる「ジャパンブランド」は大きな財産でした。実際に、日本人客の減少分を外人で埋め合わせていた分野もたくさんあります。銀座やお台場、表参道、秋葉原などのショッピングエリア、北海道のスキー場や九州の温泉地、テーマパークなどの観光地、各地の私立大学、中国人が買いあさっていた東京のマンションなど。

一斉にいなくなってしまった海外顧客を呼び戻すには、相当の努力を前提として、最低でも数年単位の期間が必要となるでしょう。

また、「日本支社」を「アジア支社」に統合し、本社・本拠地をトーキョーからシンガポールや香港に移す外資系企業もでてくるし、日本で働きたいと考えていたアジアの人も他の地を目指すようになるでしょう。日本の受けた傷は本当に大きいです。



2.東京一極集中から分散立地へ

電力不足と水や野菜の汚染可能性は、東京の価値も大きく減じました。さらに日本にはあちこちに稼働中の原発があり、また、地震も津波もどこでも起りうる国です。こうなると大事なことは「一極集中を避け、複数の都市に機能を分散すること」です。

この動きはすべてのレベルで起こり始めるでしょうが、特に行動・決断が早いのは企業でしょう。彼らは夏の電力不足とその結果としての計画停電に備え、夏までに東京電力管外への生産設備の移動、分散ができないか、既に真剣に考えはじめているはずです。

個人でも、一カ所に不動産を所有し、根を張って暮らすことのリスクを感じた人も多いのではないでしょうか。今後、高層マンション、埋め立て地、海のそばに不動産を購入しようとする人は、相当の勇気と財力のある人に限られることでしょう。

さらに小さな子供や乳児のいる家では、田舎の実家に身を寄せた家庭も少なくありません。一種の「疎開状態」です。夫の実家は関西にあり、妻の実家は北海道にある。そして自分達は東京に住んでいる、という家庭なら、どこで何があってもお互いに助けられます。

これは政府も同じです。今回は東京は電力問題と放射能汚染問題に直面しているだけですが、直下型の地震に襲われれば東京のライフラインが止まることもありえます。そういう時、枝野官房長官が指揮を執る場所は、東京以外でも確保しておくべきだし、官僚機能だって、すぐにでも移転できる場所を確保しておくべきではないでしょうか。

大阪や中京圏はもちろん、福岡や北海道も、さらには四国や日本海側の地域も、「日本全体のポートフォリオの中での自分達の地域の意味」を考えることができる好機とも言えます。

ちきりんは、道州制や首都機能分散も含め、日本の新しい国の姿として「多極化時代」の到来を強く感じます。



3.「フクシマ」以降のエネルギー

1974〜79年のオイルショックから35年、私たちは「エネルギー」を社会運営の制約条件と考えなくなりつつありましたが、今回の事故はその安逸を根底から覆しました。

オイルショックの時、先進国は驚愕しました。いつまでもタダのような値段で買えると思っていた石油の価格決定権をいきなり奪われたからです。このことは世界を大きく変えました。

たとえば、あの時を機に欧米先進国の人は、初めて“燃費”という概念を理解しました。そのおかげで日本の自動車が売れ始め、日本は一流工業大国に飛躍するきっかけをつかんだのです。また、それまでは“原子爆弾”と結びついていた、原子力の死のイメージは、無理矢理“明るい将来の、夢のエネルギー源”に変換されました。


しかしその後、スリーマイル事故とチェルノブイリ事故が起ります。チェルノブイリから漂ってくる放射能物質を含む雲におびえたドイツは「原子力発電の全廃」という驚くべき決断をしました。あのアメリカでさえスリーマイル事故以降は原発の新設ができなくなり、(それでも“エネルギーリッチ”な生活を変えたくない彼らは)相次いで中東に爆弾を落とし、石油ヘゲモニーを握るために戦争をしまくらなくてはならなくなりました。

そして今回、「フクシマ」は世界のエネルギー史の教科書に衝撃的な新章を加えました。日本はもちろん、世界の先進国はもう原子力を主要エネルギーとして考えることはできなくなるでしょう。(中国、インド、東南アジアなどの発展途上国は別です。)

そうなると、先進国にとって重要性を増すのは再び「中東」です。奇しくも中東では、前回の世界大戦以来の民族独立・民主化運動が勃興し、それに抵抗する独裁者と、国連軍の名の下に空爆に踏み切った欧米先進国が三つ巴で戦っています。


そして「フクシマ以降」、欧米諸国はその空爆の意味が異なり始めたことを意識しているはずです。

エコな生活を受け入れ、高コストでも自然エネルギーを志向するドイツ、原子力と心中するフランスにとってさえ「フクシマ」は大きな転換点です。まして放漫なエネルギー消費を抑えるつもりなどこれっぽっちもないアメリカにとって(彼らにとって“エコ”はセレブのファッションに過ぎません)、ようやくスリーマイルの悪夢を乗り越えて原発再開を目論んだ矢先の「フクシマ」は、国の経済全体を揺さぶる一大事です。

アメリカは(どちらかといえば)イヤイヤ参加したリビアへの空爆について、今、何を考えているでしょう。彼らはもはや石油を「アラブの一般民衆」の手に戻すことなど、できなくなりつつあると感じているのではないでしょうか。


これまで原子力の世界では、日本といえばオイロシマ(広島)とナガサキでした。これからは日本で原子力と言えば、「フクシマ」です。世界は「フクシマ以降」の時代を迎えます。


そんじゃーね。