朝日新聞 10年10月24日付朝刊 おやじのせなか 富野由悠季さん

父を情けない、恥ずかしい人と思っていました。ずっと。
化学の技術者で、戦中は小田原の軍需工場にいた。陸軍のために防毒マスクや戦闘機の防水布を開発する仕事です。それだけじゃない。僕は中学の頃、父の当時のスケッチを見つけた。「これ何」と聞くと、「潜水用空気袋。試作を命じられた」。米軍上陸を想定し、波打ち際に少年兵を潜ませて捨て身の突撃をさせるためのものでした。僕にとって「特攻」は神風のことじゃなかった。
さらに。父が技術者を選んだのには理由があった。戦局悪化後に工場に入ったのは、軍の作戦に直結するという計算から。徴兵逃れです。戦争で身内を亡くした友だちには絶対に話せない父の過去だった。
戦後は中学の理科の教師になったけど、「教員に落ちぶれた」と平気で言う。教え子に失礼だと腹が立ったし、現実から常に半歩ひいた、この志のない人生への態度は何なんだろうと子どもながらに思いました。
父の生家は東京・大島の大資産家。兄8人姉8人の末っ子で、腹違いの兄に育てられたそうです。家族の情愛を知らない生い立ち、半端者としての自意識。今なら理解できる。でも肯定はできない。うまく言えないな……僕は父みたいにならないよう、夢中で働くだけだった。
96歳で逝きました。
感謝していることが二つだけあります。育英会に借りた大学の学費を卒業後、知らぬ間に全額返してくれた。実家から工面したようだけど。
もう一つ。父は焼却命令に反して2冊だけ設計ファイルを残した。その中に与圧服の写真があった。高高度の気圧からパイロットを守るもので、宇宙服の前身です。おかげでガガーリン登場前から、子どもの僕にとって宇宙旅行は夢ではなく「現実」だった。身近にあった科学、宇宙が僕のアニメの原点になったのは間違いない。でも影響はそれだけです。
ガンダムのヒーロー、アムロの父も軍の技術者。「父親の投影か」とよく聞かれる。違う。現実の戦争や人間は……もっとずっと救いがたいものです。(聞き手・石川智也)