SKiCCO REPORT

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東京女子流は全アイドルファンへの挑戦であり我々はそれを受けるべき

この動画には東京女子流の魅力があふれている。

TGS13=「Limited addiction」がカッコイイのはもちろんだが、それをこうしてステージで実現してるメンバーが素敵過ぎる。踊るたびに揺れる長い黒髪。最初のテッテレテッテレにあわせてふわふわ動くスカート、そっから物も言わずに(イントロだから当たり前だが)フォーメーション組むあたり実に。あるいはサビの終わりで全員で膝を曲げるあたりとかグっとくる。過剰なデコレーションを行わず、全てが必要最低限で構成されている美しさが、固定カメラでより際立っている。いわゆるダンスショットと違い斜め上からの撮影なので、フォーメーションも立体的に把握でき味わい深い。


東京女子流の魅力を言葉で語ろうとするといつも徒労感を味わう。あまりに圧倒的すぎて、言葉が追いつかないのだ。


例えば、歌が良い、踊りが良い、かわいらしい、衣装が、楽曲が、もろもろ、何か突出してればまだ話しやすい。だが、全てが圧倒的でそれゆえの唯一性だったら、何から話したらいいかさっぱりわからない。
そのくらい、東京女子流はすべての感性に訴えかけてくる。


だがそれは受け止めなければならない。もちろん、人間好みがあるからそれは超えられない。とはいえ、2011年の今、アイドルについて語ろうとするなら、特に人前でアイドルを語ることを生業とするものが、東京女子流を認められないというのは敗北である。愚鈍のそしりは免れまい。


我々は、試されているのだ。


東京女子流は、時代の針を自ら進めようとしている。それこそが、アイドルの存在意義だと私は断言しよう。いわゆる商業的成功するしないに関わらず、私を魅了してきたアイドルは時代を変革する存在だった。そういう彼女たちがいればこそ、アイドルという時代は進んできたのである。売れてる物の劣化コピーやセルフパロディだけが跋扈するアイデア自転車操業になったら、そのジャンルは終わる。そうはさせないというのが東京女子流であり、そのクオリティ、存在感で、アイドルであることに挑戦している。これだけ圧倒的な存在で挑まれて、逃げるわけにはいかないだろうが。


「売れてるものが良いものだったら 世界一うまいラーメンはカップラーメンだ」という言葉がある、らしい。別に俺もカップラーメン好きだし、カップラーメンだってうまいまずいはある。だがそれはあくまでカップラーメンという枠内ので話であり、やっぱりラーメン屋のラーメンのほうがうまいのはわかるし「でも俺カップラーメン好きなんだよね」という人がいるのもわかる。だがラーメン屋で「これカップラーメンのほうがうまいだろ」って真顔で言ったら、そこのラーメン屋がよほど下手か、でなければその人の味覚がおかしいという評価になるだろう。


毎日毎日カップラーメンばっかり食ってたら味オンチになるように、毎日毎日粗悪なアイドルばかり見てたら“アイドルオンチ”になってしまうわ。


アイドルなんかどうでもいいと思ってる人ならそれでもいいだろう。どうでもいいんだから。


だがそうでないならば、我々は東京女子流の挑戦を正面から受け止めなければならない。そこれこそが、このアイドルという世界が生き続けるただひとつの方法なのかもしれないのだから。


世の中のラーメンがすべてカップラーメンになってしまうがごとく、アイドルが全て粗悪なまがい物ばかりになって、誰も“本物”の味を知らない世界になってしまったら、私は絶望するだろう。