ツイートメモ。英語の音声教育など。

自分の整理用に。英語のアクセント母音って、これで全部なんだよね。基本の短母音字があって、それの長短とi/y, u/wの合字、R付加という項目だけで、システマティックに網羅できてしまう。 p.twipple.jp/wClSM

posted at 21:55:05 

母語の言語を学ぶときに、その単語というのは、あくまでもその言語の語彙体系の中の個別項目として学ばないといけないが、中学レベルだと「日本語の語彙体系の延長上に英単語を置いてしまっている」ってのが普通になってしまっている。

それはやっぱり、語の構成要素の最小単位のである音素を、日本語とは別のものとして認識出来ていないことがもっとも大きいとか思われるわけだ。

それゆえ音声教育というのは大事なのだけど、いきなりネイティブマテリアルを聞かせてハイドウゾとかやったって、幼児の底なしの可塑性の脳みそと注意力と同じものを中学生に要求したって無理なわけで。

大事なのは、音声そのものというよりそのカテゴリー化で、別にこれをあらかじめ意識させてから聴取に取り組ませても、なんも問題ない気がするわけで。

言語について何がはじめに難関かって、まさにその音声のカテゴリー化なわけで。切れ目のない音の連続を区切り弁別し分類し抽象化する。まっさらな幼児でもなく、よほど良い耳と言語学習のセンスでもなければ、これはとんでもなく困難なタスクだろう。

「音声重視」の英語教育とか別に間違ってはいないとは思うのだな。英文呼んでてすらすら読めない時ってのは、単語の知識が曖昧とうことばかりでなく、「頭の中で音にならなくて流れが止まる」というのが自分の経験上多々あったので、別に話し言葉に限らない重要性が音声教育にはあると思う。

しかし「音声重視」を「音声言語vs文字言語」なんて訳のわからない対立にまとめちゃう不毛さと言ったら、ね。英語の綴りの不規則性ばかりが強調されすぎて、規則性の部分か疎かにされすぎなのだ。

例外も多々あれど、表音文字というのは大体において、「音声そのもの」ではなくて音素つまり「カテゴリー化され観念化された言語音」を表すのだから、ある言語音のシステムをを学ぶ媒体として文字を用いることは、何の問題も無いどころか有益なはずなのだ。