明大中野八王子(西東京)の大森雄貴外野手(3年)は、巨人の89年ドラフト1位大森剛氏(43=巨人育成部ディレクター)の長男。父をほうふつさせる長距離砲は、参加119校の激戦区から初の甲子園出場を狙う。

 181センチ、77キロの大森は、慶大時代に東京6大学の3冠王を獲得した父の遺伝子を感じさせる。山に囲まれた八王子市内のグラウンド。フリー打撃で、大森の打球は右へ左へと大きな放物線を描く。「そういうの、試合でも打てよ!」。仲間からの声に笑みを返し、快音を響かせ続けた。

 幼いころ、父との遊びは決まってキャッチボールだった。中学では父と巨人で一緒だった桑田真澄氏(43)が川崎市で設立した麻生ジャイアンツに入った。不動の4番だった。「打つ瞬間、腹に力を入れろ」という桑田氏の教えは、今も実践している。同氏長男真樹(現桜美林大)ともチームメートで「お互いの父親のことをよく話しました」。偉大な親を持つ者同士、苦悩を分かち合ってきた。

 現役時代の父は、打撃技術にこだわる職人かたぎな面を持っていた。その血を継いだのか、雄貴も研究熱心だ。「軸足を上げるタイミングの取り方は、巨人の高橋由伸選手を参考にしています」。体勢を崩しながら変化球に食らい付く姿は「『お父さんの現役時代に似ている』と言われることもある」という。

 最後の夏が近づき、打撃フォームに悩んで思うように力を発揮できなくなったこともある。だが、1、2年時はベンチ入りできなかった大森にとって、高松商(香川)で甲子園に出場した父に続くには最初で最後のチャンスだ。「昔から付けている野球ノートを見返してます。復活します」。背番号7。迷いを捨てた豪快なフルスイングが出たとき、道は開ける。【森本隆】

 ◆大森雄貴(おおもり・ゆうき)1994年(平6)3月14日生まれ、川崎市出身。小学4年のころ、白真少年野球部で野球を始める。中学時代の麻生ジャイアンツでは4番で、07年には横浜市旗争奪戦を制した。ポジションは外野手で、高2までは投手も経験した。趣味は音楽鑑賞で、銀杏BOYZなどのロックが好き。181センチ、77キロ。右投げ右打ち。