2010.09.22

証拠改竄で主任検事が逮捕! 「村木裁判」で露呈した特捜部捜査「終わりの始まり」

郷原信郎が緊急寄稿!

 この問題を個人の犯罪に矮小化してはいけない。堕落した検察組織には、徹底的にメスをいれるしかない。

 郵便割引制度を悪用した偽の証明書発行事件で、押収したフロッピーディスク(FD)のデータを改竄したとして、最高検は9月21日夜、この事件の主任を務めた大阪地検特捜部検事の前田恒彦容疑者(43)を証拠隠滅の疑いで逮捕した。

 報道によれば、改竄されたのは、厚生労働省元局長の村木厚子氏の元部下の上村勉被告の自宅から昨年5月に押収したFDだ。前田検事は昨年7月中旬、FDの最終更新日時が「04年6月1日」だったのを「04年6月8日」に改ざんした。

 特捜部は、虚偽有印公文書作成・同行使の疑いで逮捕した村木氏(一審で無罪判決)が、上村被告へ証明書発行の指示を出したのは6月上旬とみていた。だが、証明書のデータが入ったFD内の最終更新日時は6月1日未明であり、村木氏の指示が5月31日以前にあったことになる。そうなれば捜査の見立てが崩れてしまう。前田検事は特捜部の描いていた事件の構図に沿うよう証拠を改竄した疑いがある。

 この改竄をスクープしたのは21日の朝日新聞朝刊。その日のうちに最高検が前田検事を逮捕するという異例の判断だが、私はこの判断に疑問を持っている。もちろん実行行為者の身柄を速やかに確保する必要があったことは確かだろう。しかし最高検は、この郵便不正事件の決裁ラインにあった当事者である。はたして公正な捜査ができるのか。第三者が関与した捜査体制を構築することこそが先決ではないか。

 大阪地検特捜部が郵便法違反で強制捜査に着手し、厚生労働省の現職女性局長・村木厚子氏を逮捕・起訴したこの事件は、村木氏の共謀を裏付ける関係者の供述調書が検察官の強引な誘導によって作成されたものであったとの証言が相次ぎ、検察官が証拠請求した供述調書43通のうち34通が請求却下されるという異例の事態になっていたことから、無罪判決は確実視されていた。

 結局、10日に大阪地裁は村木氏に無罪の判決を下した。今回の証拠改竄事件に加え、この判決は単なる一事件の問題ではなく、これまでの検察捜査のあり方を根本的に見直す必要を迫ることになるだろう。

 そこで、あらためて判決文を読み解くことで、今回の事件が今後の検察捜査、とりわけ特捜部の捜査にどのような影響を与えるのか、などを考えてみたい。

 今回の無罪判決は、「判決要旨」として公表されたものだけでも200頁近くに上る膨大なものだ。しかし、その内容は、少なくとも私が事前に予想していたものとはかなり異なったものであった。

 誘導など検察官の取調べや調書作成の手法に関して厳しい指摘を行い、検察官請求の供述調書の大半を却下していたことから、裁判所はこの事件での検察捜査に強い疑念を持ち、捜査手法を問題視していているように思われた。そうであれば、無罪判決の中で、検察捜査に対して厳しい指摘が行われるであろうと誰しも思ったはずだ。

 ところが、実際の判決文には、検察捜査に対する批判めいた記述はまったくといっていいほどない。

 検察官の主張・立証と弁護人側の主張・立証に基づき、個々の争点について証拠関係を客観的に分析して、その結果、「村木氏の共謀は認められない」という結論を導き出しているだけだ。

 検察の「反則負け」のような厳しい判断を予想していた者にとっては、微妙な判定に持ち込まれた末の「判定負け」のような判決内容に「拍子抜け」したというのが率直なところである。

裁判所が検察批判をしなかった理由

 無罪判決を前に、世の中は、ろくな裏付け捜査もしないで村木氏関与の冤罪ストーリーを関係者に押し付ける無理な取調べを行った検察に対する批判で盛り上がっていた。それなのに、今回の判決には、検察批判はおろか捜査経過や捜査のやり方への言及すらほとんどなかった。それはなぜか。

 理由はとしては、(1)捜査批判によって検察を刺激し、裁判所と検察との関係を悪化させることを避けたいという配慮が働いたという見方と、(2)検察側から反論・批判される余地を最小限にとどめ、控訴断念に追い込むための戦略だという見方が可能だ。

 (1)だとすると、公判で検察捜査をめぐる多くの問題が露呈しているのに、そのこと自体への言及を殊更に回避し、被告人に対して無罪の結論を出すのに必要な範囲の最小限の認定のみ行ったということになる。

 それは、これまで、特捜検察が手掛けた事件について、検察が主張するストーリーの矛盾、供述調書の信用性をめぐる問題など公判で様々な問題が露呈しても被告・弁護側の訴えに耳を貸さず、検察官調書をベースに有罪判決を行ってきたという裁判所の姿勢の延長ととらえられることになる。

 裁判所と検察庁の一般的な関係から考えると、(1)のような配慮が働いていることも否定はできないであろう。しかし、検察を控訴断念に追い込むという(2)の観点から考えると、検察捜査批判などの「余事記載」がなく、証拠の評価だけを淡々と行った判決の方が問題の指摘や反論が難しいことは確かだ。

 検察にとっては、控訴断念して村木氏を早期に職場を復帰させるべきだとの声が高まる中で、この無罪判決に対して控訴の理由を見つけ出すのは容易ではない。

 しかし、特捜部が手掛けた事件で、中心的な被疑者の無罪判決に対して検察が控訴を断念した例というのはほとんど例がない。検察独自捜査では、検察が、立件、強制捜査、起訴についてすべての責任を負う。

 中央官庁の現職局長の逮捕によって社会的に重大な影響を与えた事件で、検察が事実上、誤りを認めることになる控訴断念というのは、検察として容易に決断できることではない。

 しかも、今回の村木氏の事件については、検察にとって控訴断念を行いにくい、もう一つの重要な事情がある。それは、共犯者の倉沢氏に対しても無罪判決が出され、すでに検察官が控訴しているということだ。

 倉沢に対する無罪判決も同一の裁判所(裁判官の構成も同じ)であり、「上村氏の単独犯行」という事実認定も共通する。もし、村木氏の無罪判決に対して控訴を断念するならば、検察としては、裁判所の「上村氏単独犯行」の事実認定を受け入れたということになる。そうなれば倉沢氏の事件について控訴を取り消さざるを得なくなる。

 しかし、「検察官控訴取消」というのは、特捜事件に限らず、刑事事件全体としても前代未聞であり、検察にとって、従来の常識からは取り得ない選択肢だ。

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