産経記者の感受性、読解力、そして創作能力

応仁の乱に喩えるココロは?の追加情報として、まず京都の小児科医様から、

Upされたのは3日前のようです。
http://www.youtube.com/user/jnpc?feature=mhee#p/u/0/GlFjYO00lb0

ついで医学生様から、

暇人なのでざっと見てみました。
1:23あたりに「歴史家として今回の震災を何になぞらえたらいいのか」という質問があり、
日本の革新期として「白村江の戦い」を第一に挙げ、
1:26過ぎに次の革新期として応仁の乱を挙げ、
誰も止められない、責任を取れない程、国が乱れた、という意で
「今の首相がバカかどうかという問題のレベルではなかった」と述べています。
他に戦争などを挙げたうえで日本は過去に何度も蘇っている、蘇らせたい、と1:31程で結んでいます。

こりゃなんとか文字起こしするべきだと覚悟を決めていたら、tadno-ry様から、

とりあえず文字起こし完成。最近の音声認識ソフトは凄いですね。20分でできました。

こんなに音声認識ソフトが優れものなら私も欲しいと物欲がわきましたが、それはともかく産経が記事にした記者会見の部分が確認できました。どうでも良い事ですが、記者の質問部分だけは、私の手作業です。

記者

     具体的に後2点だけです。あのぉ、歴史家である五百旗頭真さんにお聞きしたいんですけどね、まぁ今回の自体を何になぞらえたら良いと言う事なんですけども、色々お読みしますと、白村江の戦いの後のですねぇ、戦いの後の当時学んだ日本の姿、それから敗戦の後の米国に学んだ姿。今回誰に学んで、どういう方向に行けば良いのか、非常に心許ない部分があると思うんですが、逆境を克服する日本人の歴史的な我々の位置と言うのは、五百旗頭さんが歴史家として10年先で見たら、どんな局面になるでしょうか。そして五百旗頭真さんとしては、歴史家を越えてですね、別の仕事をされようとしているんですけどね、その場合は後藤新平的な仕事をされようとしているのか、それとも下河辺淳さん的な仕事をされるのか、他の仕事をされるのか、それについて。
五百旗頭氏
     前半部で仰ったことは、私強く思っているところで、日本の歴史というのについて、躍進期があると思うんですよね。日本の歴史的躍進期。私、決定的なのを一つ挙げろといったら663年の白村江の戦いで、大和の2万7千の大軍が朝鮮半島に繰り出したんですね。そして唐・新羅の連合軍に迎え撃ちにあって一日で壊滅したんです。惨敗した。その後必ず唐・新羅の連合軍が大和に攻め込んでくるという風に思って、全国動員隊、防人を東北からも動員して、そして、ノロシの通信網をダーッと作って、そして九州太宰府には、大野城・基肄(きい)城という城、そして堀ですね水城を作り、そして最近明らかになったのでは62キロ南の熊本県に入った鞠智(きくち)城まで作って、もし太宰府が落ちた場合にはそこを新しい首都、拠点にして、頑張るという体制まで取ってたんですね。それほど真剣に安全保障を考えながら、しかしそれ以上の努力をしたのは、敗戦によって唐という国の強さと、唐文明の凄みを知ったんですね。当時は、ローマ帝国が衰退した後、世界で一番強力な文明は唐だったんですね。この唐文明にやられるかも知れない中で、大和の人たちはw)唐の文明、律令国家の制度を懸命に学んだんですね。狂ったように一生懸命学んで、50年後に平城京、710年に平城京を作ったんです。これは唐の都のミニチュアです。ほぼ唐文明の水準を、つまり当時の世界水準をこなした、ということの証だったんですね。

    これはすごいことで、日本の文明水準というのはこの瞬間に世界水準に達したんですね。

    そのあと平安時代は割と落ち着いて、漢字にカナを交えて、独自の文化的展開、源氏物語という素晴らしい作品が1000年前に生まれた。

     戦国時代、応仁の乱から戦国時代、国が乱れに乱れて、もうこの国はおしまいだ、どうしようもない、誰も止められない、今の総理がバカかどうかとかそういう問題のレベルじゃないんですね。もう国中、血で血を洗う争乱を繰り返して、誰も責任持てないのか、というほどの悲惨さだったんですね。しかし、その中でも種子島、銃がやってくると、50年の内に世界一の保有国、生産国になっちゃうという水準があるんですね。ひどい争乱、いい加減に、という思いが、徳川の今度は逆に300年近い平和な時代というのを作ると。

     その江戸の文化水準、文明水準、公衆衛生の水準、あるいは識字率、藩校で武士が習うだけじゃなくて寺子屋で庶民も習う、その識字率というのは当時のヨーロッパの水準に劣らないんですね。と言う風な高い水準を白村江の後50年で達したものというのは決してバカにならない。

     しかし、近代の産業革命がイギリスを中心に起こっている間に鎖国していたので日本は逆にギャップができた、数十年のギャップができた。で、ペリーの黒船に日本は国を開かされた訳ですね。これで大きな落差を思い知らされて、今度は懸命に西洋文明を学習した。ペリーが来てから50年で、西洋の軍事大国ロシアに勝利したですね。これは、西洋文明をそれなりにこなしたと、並び立つ存在になり得たと。やはり大きな国禁を破られた衝撃の後50年で近代西洋文明をこなす、という能力を示したんですね。

     唐文明をこなし、今度は西洋文明をこなし、折角そうしたものを、愚かな、世界を敵とする戦争によって、ひとたびはスリましたけれども。敗戦の中で、アメリカの力と、戦争する前は陸軍の人なんかは、アメリカなんていうのは昼間から婦人とダンスをしていちゃついとるような軟弱の徒だから、総力戦には耐えられないから、大和魂さえあれば負けない、てな事をいっておりましたが、どうしてどうして大変なたくましさを持ってると、すばらしい力強い文明だ、科学技術でも大変なものだと。ということを認識して、アメリカから学習しながら、技術、経済というのをやったわけですね。

     その際に非常に興味深いと思いますのは、ジョージ有吉さんという、ハワイ州知事を後にやったという人が、廃墟の昭和20年の東京に来て、暮れに有楽町の高架下から街角を歩いてたら坊やが靴磨きしてるので、随分いい子そうだから磨いてもらおう、ので磨いてもらったら、心を込めて一生懸命やってくれる。それで大変感心して、アメリカでは靴磨きの少年というのはチンピラやくざの登竜門みたいな位置にあるのに、日本の靴磨きの坊やはいい子だな、と。

     で、兵舎に帰って白いパンを二つに割って、そこにバターとジャムをいっぱい塗り込んで、あの子にプレゼントしてやろうと思って持ってきた、って言うんですね。これ君にあげる、といったら、いやいやさっき頂きました、って遠慮するけれども、君のためにわざわざ持ってきたんだからもらってよ、って言ったら、大変恐縮しながら受け取って、きっと腹ぺこだからかぶりつくと思ったら、そのまま袋に入れちゃった。どうして食べないの、って聞いたら、「家に妹がいるんです」「へー妹さんいくつ?」「3歳」「名前は?」「マリコです」「君は?」と言ったら「7歳」だと。7歳の腕白盛りであるはずの子供が、自分が腹ぺこなのに、妹のためにこれを持って帰ろうと。彼はその瞬間に思ったって言うんですね、モノとしての日本は完全に壊滅した。しかし、日本人の心は失われていない。そうである限り必ず日本民族はまたよみがえると。その瞬間に確信したと彼は仰るんですね。やっぱり、そういう勿論色々と大変なこと、不祥事がありますけれども、この大震災は第2次大戦の310万の犠牲を出したものほどではないですけれども、落ちきってから跳ね上がる日本でkuヘなくて、この大変な国難の中で、もう一度心をしっかりと持って、再建に赴く日本というのは歴史の中で何度もあったし、これを何とかよみがえらせたい、というのが私の歴史家としての夢でしょうかね。

こうやって読んでみると堂々たる歴史認識です。昨日は失礼な事を書いたのを深く陳謝させて頂きます。さてこれだけの事を力説されて、産経が編集権でまとめられた記事を再掲しておきます。

五百旗頭氏「首相がバカかどうかではない」

 政府の東日本大震災復興構想会議の五百旗頭真議長(防衛大学校長)は13日、日本記者クラブで記者会見し、歴史家の視点を持って被災地復興に取り組む考えを強調した。

 その上で、応仁の乱(1467年)や戦国時代を振り返り、「国中が、血で血を洗う争乱で乱れに乱れた。今の首相がバカかどうかという問題のレベルではなかった」と述べ、菅直人首相の資質を問うべきではないとの認識を示した。

ここも断っておきますが、1時間48分の記者会見の記者の質問部分を合わせても8分程度の部分です。非常に短い記事ですが、見出しを除く記事内容を前半段落と後半段落に分けて検証してみます。


前半段落

とりあえず

    歴史家の視点を持って被災地復興に取り組む考えを強調した
これは誤解を招く表現だと感じます。これだけ読むと、五百旗頭氏が記者会見でこれをとくに強調した様に読めてしまいますが、あくまでも記者の質問で
    歴史家である五百旗頭真さんにお聞きしたいんですけどね
これを受けてのものであり、質問がなければ歴史家としてのコメントはなかったかも知れない程度のものです。質問がある程度ツボに嵌っていたので、力説はされていますが、記者会見で歴史家の視点を五百旗頭氏が振り回したわけではありません。記者の主観としてこの部分が強く印象に残ったのかもしれませんが、1時間48分の会見のうち5分程度の発言部分ですから、やや書きすぎと感じます。

それでも、ここはあくまでも記者はそう受け取ったぐらいに解釈することにします。


後半段落

ここは見出し部分にも通じるところですが、どうしても刺激的な部分として、

    今の首相がバカかどうかという問題のレベルではなかった
ここの前後の文章がどうなっているかを確認しないといけません。五百旗頭氏発言の該当部分は、

 戦国時代、応仁の乱から戦国時代、国が乱れに乱れて、もうこの国はおしまいだ、どうしようもない、誰も止められない、今の総理がバカかどうかとかそういう問題のレベルじゃないんですね。もう国中、血で血を洗う争乱を繰り返して、誰も責任持てないのか、というほどの悲惨さだったんですね。しかし、その中でも種子島、銃がやってくると、50年の内に世界一の保有国、生産国になっちゃうという水準があるんですね。ひどい争乱、いい加減に、という思いが、徳川の今度は逆に300年近い平和な時代というのを作ると。

ここなんですが、五百旗頭氏が戦国時代を持ち出しているのは、日本史の中で戦乱に明け暮れ、最も混沌とし殺伐であり混乱した時代の例示です。説明するまでも無いですが、中央政府である室町幕府は衰微を重ね、本来の全国統治者である将軍は無力でした。ここで首相の話が出てきたのは、戦国期の室町将軍を首相に喩え、どんなバカが将軍であっても(逆に資質が優秀であろうとも)「そういう問題のレベルじゃない」ないぐらい酷い時代であったとしているだけです。

中央政府室町幕府)が完全に無力化し、本来なら中央政府の主催者である首相(将軍)の存在さえ問題にならないぐらい悲惨な時代であったの喩えです。五百旗頭氏が発言の中で挙げている日本の苦境期、混乱期の一つとしての喩えであり、そういう時代さえも日本と日本人は乗り越え、逆にその後の躍進期につなげた歴史があると結ばれるものです。

素直に読めばわかるように、現首相をバカとしたり、記事にあるように、

    菅直人首相の資質を問うべきではないとの認識を示した
これにどうやって結びつけるのか疑問です。私は疑問に思っても取材した記者には「そう聞こえ」「そう理解」し、「これこそ五百旗頭氏の真意その物である」と確信して記事にし全国に発信したわけです。


まあ無理やり解釈すれば、現在のような政治状況で「首相はバカ」発言があれば、これに注目したくなるのは心情としては理解できます。何か意図があるんじゃないかの勘ぐりです。五百旗頭氏の方もかなり言葉を選ばれていましたから、わざわざ刺激的な「首相はバカ」発言の真意の底の底の方で首相擁護の意志があった可能性までは否定できません。

ただこれはかなりの深読みです。また深読みは「そういう寓意も込められているかもしれない」の憶測部分であり、あからさまな意思表明とは別物です。もうちょっと言えば誰が聞いてもそう聞こえるものではありません。あくまでも状況からそういう意図もあるかもしれない程度です。

産経記事の内容は、あくまでもかなり捻って考えれば、そういう観測も成立するかもしれない程度のもので、記者会見で五百旗頭氏がそう発言したとして、報道するのは勇み足と言うより、高度の創作能力と言われても仕方が無い内容です。そもそもなんですが、五百旗頭氏の立場として首相を擁護することが果たしてニュース価値があるのかも疑問です。

国民は復興会議議長として、五百旗頭氏がどういう構想、どういう姿勢で震災からの復旧・復興に取り組もうとしているかが関心事であって、首相に任命された五百旗頭氏が首相を擁護するかどうかを焦点としていないとしても良いかと思います。百歩譲って、五百旗頭氏が痛烈な首相批判を展開した時のみがニュース価値があると感じます。



これは例外的な事象でしょうが、それとも日常茶飯事なんでしょうか。元の記者会見の様子を私も聞きましたが、五百旗頭氏の語り口は柔らかいですが明瞭です。言い回しもかなりはっきりしており、録音して聞きなおしても誤解が生じる余地は少なそうに感じました。tadano-ry様が文字起こしされたので、五百旗頭氏の発言部分の文字起こしは1/3程度しかしていませんが、非常に起こしやすい発言でした。

それでも記事になれば「こうなる」実例が一つ示されたと感じています。これがジャーナリストの通弊であるのか、産経のこの記者だけの能力だけの事なのかは、じっくり考えてみたいと思います。なんとなく「下手な考え休むに似たり」と言われそうな気がしています。