「複眼時評」より 本文へジャンプ
ネット上で中途半端に実名をさらすと

永井 和 

とあるブログにこう書かれている。

現代史のプロ、京都大学教授(現代史)が語るビルマの歴史
「いいえ、ちがいます。日本軍はビルマを防衛しようとするイギリス・インド軍と戦ったのです。あと、当時のビルマ自治政府も日本と交戦関係にあるとみてよいでしょう。そうでなきゃ、戦後ビルマが戦勝国として日本に対して賠償を要求できないでしょう。」 http://ianhu.g.hatena.ne.jp/bbs/11/141より一部抜粋
数学の常識に挑戦する京都大学教授
「M=2.6/9Mとなり、9=2.6 となります。」http://ianhu.g.hatena.ne.jp/bbs/14/91より一部抜粋
教授のすばらしい英語力
「私にとって答えにくい質問ですけど、おっしゃる通り私の話はまったくJapan rocal な話」http://ijs.snu.ac.kr/kor/kor_activities/kor_activities_lecture/20040917NAGAI-jp.pdf 23ページより一部抜粋

 ここでやり玉にあげられている「京都大学教授(現代史)」とはほかならぬ私、永井和のことである。いつのまにやら「民主主義を完全否定する「従軍慰安婦問題を論じる」掲示板」に巣くう「カルト集団」の親玉という「栄誉」が、私に与えられた。

 広大なインターネット空間。その片隅で自分に向けて中傷発言がはなたれても、こういう職業であるかぎり、ある程度はしかたのないことで、いちいち目くじらを立てていては身がもたない。しかしIT社会では、ある国際的な事件が、思わぬかたちで自分の周辺にまで小さな波紋をおよぼしてくることがあることの実例として、なぜこのようなことになったのか報告しておきたい。

 そもそもの発端は、アメリカ下院の慰安婦決議案であり、今年3月初めに安倍首相がおこなった「当初定義されていた強制性を裏付ける証拠がなかったのは事実だ」発言だ。これがきっかけで、私が自分のWebサイトで公開している論文がネット上で思いもかけない注目を浴びることになってしまったのである。

 私は日本現代史を教えているが、従軍慰安婦問題の専門家ではない。たまたま10年ほど前に演習テーマに「自由主義史観論争を読む」を選らんだのがきっかけで論文を1本書き、数年前にWebに掲載した。一部の論者が主張する「慰安所は本質的に民間の売春施設であり、日本軍が関与していたとしても、それはもっぱら悪質業者の不法行為を取り締まるための「良い関与」にすぎない」とする説が根拠薄弱であることを、新発見の警察資料によって明らかにしたものである。しかしこの3月になるまでは、ほとんど注目されることがなかった。

 安倍発言があってしばらくして、いろいろなブログで私の論文に言及されるようになった。ついに他人のブログのコメント欄に私の論文の一部を延々とコピーした上、批判する人まであらわれた。根がおっちょこちょいの私は、よせばいいのに、つい実名でそのコメント欄に書き込んでしまい、「従軍慰安婦の実態は強制売春か自由売春か」「軍慰安所は軍の施設なのかあるいは民間の施設なのか」をめぐって、ネット上で議論するはめになった。細かい経緯は略すが、話の流れで「はてな」に「従軍慰安婦問題を論じる」グループまでできてしまった。私自身は、このグループでたいしたことはしていないのだが、たいへん熱心な方がおられて、慰安婦問題に関するネット上のリソースをできるかぎり多く利用できるようにと、精力的に活動されているので、及ばずながらお手伝いしている。

 この「はてな」のグループが冒頭であげた「民主主義を完全否定する「従軍慰安婦問題を論じる」掲示板」と攻撃されているものである。くだんのブログの著者は、2ちゃんねるの東亜ニュース板のようなところに出入りしていて、そこで仕入れた嫌韓、嫌朝、嫌中情報を自分のブログに転載している若者である。それがわれわれのグループに議論を仕掛けてきて一騒動もちあがった。その騒動の副産物が冒頭に紹介した私に対する中傷記事なのである。

 この騒動において私が感じたことは、ネット上で実名をさらすことのメリットとデメリットであった。もちろんこの騒動の関係者で、実名を名乗りさらに職業と勤務先を明らかにしているのは私一人である。私が実名を名乗って議論に参加しなければ、たぶん「はてな」のグループは成立しなかったであろう。そういう点ではメリットがあったとはいえる。しかし、実名をさらすと冒頭のような中傷の対象になりやすいのもまた事実である。それは私のみならず、他のグループのメンバーに大きなプレッシャーとなった。結局、私は途中から攻撃を避けるために、発言するのをやめざるをえなかった。ネット上で実名をさらすというのは、なかなかに覚悟のいることだと、痛感させられた次第である。

『京都大学新聞』2007年7月16日付欄掲載