気仙沼に行きました3止 | 中島みゆき(記者)です。

中島みゆき(記者)です。

環境、エネルギー、メディア、建築、アート

駆け足の気仙沼でしたが、今回何より思ったのが自然の美しさです。これだけの地震と津波の威力を見せつけられてもなお、やはり美しい空や山々の姿が心に残りました。

気仙沼大橋近くの大川では、水鳥たちが羽を休めていました。カモメを追い背景のピントをぼかすと、一瞬のどかな夕刻の光景にも見えます。遠くの山々は青く、幾重にも連なっています。これはやはり三陸の資産だと思うのです。
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例えば、一関から気仙沼に向かう途中、道の両脇におそらく戦後造林され立派な資源となった杉林がたくさんありました。これらを合板とかではなく、付加価値の高い内装材として活かすことができれば…と思いました。消費地側の意識を変えなくてはなりませんが、それができれば相当の雇用を生むことができるのではないか、そんな感触を持ちました。

「復興」と言っても、いろいろな考え方があると思います。漁業・水産業の拠点をどう再建するのか、復旧でよいのか、よりよい形で未来につなげるにはどうすればいいのか…わずか4時間いただけの私にはまだ何も言えません。ただ思うのは、一日も早く住む場所や働ける場所が再建されてほしいということです。
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日が暮れた水没地区を歩いていると、内戦後のアンゴラを歩いているような気持ちになりました。久しぶりに闇が怖いとも思いました。そしてそれが東京からわずか数時間の場所なんだということに改めて驚きました。

気仙沼の鹿折地区には昨日やっと電気が回復したそうです。「原発問題と言われても。ここでは何で作った電気でもいいからちゃんと来てくれることが大事」。そんな言葉を聞いて、永田町がとても遠く感じられました。県庁のある仙台ですら遠い感じ。では誰が復興の担い手になるのか、どんなプロセスで意思決定がなされるべきなのか。新しい日本のカタチができればいいなと思います。
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夜になっても気仙沼大橋にはかなりの交通量がありました。テールライトを見送っていると、まだ傷だらけの橋だけれど、地元の人たちはそれぞれの思いで渡っていくんだ…と、胸が熱くなりました。