今の時代はマツコ・デラックスの方

「レベルが高いものだけを愛してるようでは修行が足りない」の感想や、それを受けての記事を読みました。

『センス至上主義』みたいなのは通過点としてはあってもいいと思う - 語るのかよ。匿名のくせに

まあ「センス至上主義」については、ナンシー関も煽った中の一人程度のことではありますけどね、松本人志に関しては、ナンシー関もそうだけど、坂本龍一とか、麻生香太郎とか、あの時期に持ち上げてすり寄ってきた人達に、巧いこと乗っかって「センス至上主義」みたいなものを、巧く打ち出したけれども、すぐにそれが自らを縛る鎖であり、足枷になってしまいました。
ナンシー関さんの孫フォロワーについては、ほっとけばいいとは思う気持ちもあるんだけど、お笑いファンで一番いま声がデカイのが、この層なんですよねえ。特にリンク先のことが注釈で書かれている。「成人してもそんな感じ」という人達が、この方も書いてるように声がでかくてタチ悪いんだ(笑)。また芸人とかにそういうのが多いのが、一番お笑いに関してはややこしいんだよね。

はてなブックマーク - レベルが高いものだけを愛してるようでは修行が足りない - 昨日の風はどんなのだっけ?

korohiti 当時それなりナンシーは追っかけてたけど、死んでからは別にそうでもないな。だってナンシーって面白いけど時事者じゃん。ただ彼女をもっと今的というかフィーリング的にしたのがマツコかなーって思ってるんだけど。

マツコ・デラックスが出始めたときに、ナンシー関と比較する人がいて、それに対してヒステリックに「マツコ程度をナンシーと比べること自体が失礼だ」と怒ってる人が結構いて、マツコ本人もそういう話をしていたけれど、そもそも才能とかに関しては比較しても仕方ないけど、ナンシー関がまず時事者だったということを考えると、現代に通用することを沢山いってるのは、マツコの方というのは間違いないでしょう。これはどっちが才能あるかの問題ではない。
それとは別にナンシー関は、時事者としてはあまりにもあの時代にマッチしすぎたと思う、僕はもし同じ今の時代に、ナンシーとマツコが出てきたら、おそらく世間はマツコの方を選ぶと思う、それはどちらが才能あるかではない。

ナンシーって、皆が浮かれてた時期にシビアに独自の観察眼で「こういう見方もできるんだよ」ってのをかなり乱暴に言う芸風が受けたんだよな。だからそういう「視点の逆転」でそれっぽいことをいえば即毒舌的辛口批評ってのはどうかと思うんだよ。それだけの情報の蓄積と分析があって言ってるのかなと。
Twitter / @コロヒト: ナンシーって、皆が浮かれてた時期にシビアに独自の観察 ...

同意。彼女が語ってたのは時事ネタというよりそれに対する彼女なりの分析結果で、それが面白かったんだと思います。→http://bit.ly/aecVxp あとマツコが面白いのは彼が人が好きだからかなあ
Twitter / @コロヒト: 同意。彼女が語ってたのは時事ネタというよりそれに対す ...

まずナンシー関は時事者ではあるけど、時事ネタではないという視点は重要ですよね、だからナンシー関の言ってたことって、色んな人が普遍性のある時事として引いてきてるけど、そういうものではないというか、時代が少し変われば、語る人が違えば意味がなさないことが多いと思う。
あとマツコと決定的な違いとして、マツコは「人が好き」という分析をされていますが、これでいうとナンシーは多分「人が嫌い」ですよね、もっというと「世間が嫌い」というのが、松本人志への偏愛になっているし、丸くなってからのビートたけしとんねるずに対して、急に辛辣になっていった。
ナンシー関の世間に対して斜に構えて、否定的にぶった切っていくスタイルは、やっぱりあの時代だから受けたんであって、世間がここまで暗くなって不景気になったら、世評に厳しく当たっていき、この世の真実を見せてやるという姿勢よりも、世の中を全肯定する姿勢の方が、世間に受けるんだと思います。
だからナンシー関は時代的普遍性のあることを言ってた訳ではないし、そのことで彼女の価値は落ちないんだけど、ただ何時の時代にも通じる普遍性として、彼女の言説をパクッたり、孫引きを無自覚にしている連中は、やっぱり恥ずかしいぞという風に思います。そしてナンシー関的な世の切り方は、いまの時代に求められているものでもない。時代はマツコのほうを求めている。
もうちょっとだけナンシー関の話を引っ張ると、最初に引用したbotのつぶやきにしても、この時代の中山秀征とかに対する言説も、結構酷い事を言ってるんだけど、女性だから許されていた部分は大分ありますけど、女性的なミーハー気質というのもあるんですよね、それが自分の期待していなかった方向に進んだビートたけしとんねるずを、晩年かなり厳しく否定的になったりしたのも、好きな人に裏切られたという女性的なミーハーさですよね。松本人志に対する最後の盲目的な崇拝とかも。
ここからナンシーに限らない話になりますが、女の人が総じてそうだとは言いませんが、カルチャー的なモノに対して、ダメな子ほど可愛いという感覚が薄いんですけど、でも人を導くような立場には向かないんですよ。ナンシー関は人を導く立場ではなかったけど、フォロワーはやたらと導きたがる奴が多いんだ。
しかしダメな子ほど可愛いという人の方がいいですよね。なにか人を導く立場の人って、ただどんなジャンルにおいても、声がデカイ奴というのが男も女もそっちじゃないんですよね。で、なんというか巧い言い方ができないのですが、セクシャルマイノリティにある人たちって、その辺優しいんですよね。だからメディアのご意見番って、いつの間にか性的ギャップがある人ばかりになってきてる。
なんか結構前にbaseのバトルライブ見に行ったら、その時のお客さん投票に不満持ってた、そこそこ良いお歳の元お嬢さんが、「マラドーナが一位になったのは、ノンスタのMC目当ての子供ばっかりだったからや」って大きな声でロビーで言っていたけど、ナンシー関はもう少し論理的で知的だったけど、似たような方々というのは、みんなこれに近いことを理論武装で言ってるだけなんですよね。

あの冷凍チキン投げ付け話に小田嶋隆氏や深町秋生氏が噛み付いていましたが、両氏が強く意識しているであろうナンシー関が持ち上げてきた松本人志の周囲からの流れが行き着いた先があの件だったことへの反省が見られなかったのは残念でした。
Twitter / @カエサル: .@toronei あの冷凍チキン投げ付け話に小田嶋 ...

これは階段を数段飛ばしで話しているから、理解できない人も多いようだけど、ナンシー関的な価値観が持ち上げた結果の、現在の松本人志の場で、松本人志チルドレンの芸人による発言とエピソードを批判する際に、この背景として本来遡るべき所まで、この二人を持ってしても遡れなかったことは、もっと言及されて良いでしょうね。
まだなんか言い足りないことはあるけども、だらだらと長くなってしまったので、今日はこの辺にしておきます。

4575302538世迷いごと
マツコ・デラックス
双葉社 2010-10-13

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