国民負担はあたりまえ

福島の原発事故の補償費用をどこから捻出するかという議論において、「電力料金に転化するのはおかしい」とか「国民負担が発生するスキームはだめ」的な意見を聞くたびに、「なんでよ?」と思います。

どう考えても国民負担すべきでしょ。


東京電力が発電や送電に必要な設備を除き、保養施設や社員寮など業務に不可欠でない資産を手放すこと、役員、社員の給与をせめて“協力企業”である東芝程度に引き下げることは当然としても、徹底した東電のリストラで足りない分は電気料金の値上げと公費(税金)で補償するのが当然だと思えますけどね。

御用学者がどうの癒着がどうのというけれど、突き詰めれば「原発を利用しながら、豊富な電力を得て利便性の高い社会を作ろうとしていたのは、まさに日本の国民(有権者)の民主的な意思決定の結果だった」とちきりんは理解しています。

その意思決定に伴う損害を、今は福島県の人が一身に背負わされているのだから、その補償のために東電の資産で足りない分を国民全員で負担するのは当然だと思います。


★★★


電気料金を上げるのはおかしいという議論もよくわからない。電気が不足していて、電力を得るコストが上昇しているのだから、当然、電気料金は上げるべき。

個人宅なら電気料金が2割上がったら電気の使用量を2割減らせばいいだけです。つまり国民に求められているのは「節電」以外のなにものでもありません。もちろん「節電がイヤだ!」という人はその分のお金を(罰金的に)払うわけだからそれでいいじゃないですか。節電がヤなわけ?

ちなみに、今、地下鉄やJRやデパートなどは電気を一部消してるけど、あの分、それらの会社は電気代(経費)が安くなってます。今だとそのために増えた利益は、JRやデパートの株主に帰属してるんだよ。

これは、電気料金の値上げによって、節電努力で捻出したお金を(それらの会社の株主の利益ではなく)福島の人の補償に当てましょうって言う話なんです。

何に反対してるのか全然わからんす。



電気料金を値上げしたらコスト競争力が落ちて工場が海外移転するとか心配する人がいるけど、したらいーじゃん。どうせこの国は「製造コストの安さ」で勝てる国じゃないんだから。「コストが高くても、この会社に発注したい!」と思ってもらえるもの以外の工場は、海外移転すればいいよ。そして、「コストが高くてもやっていける商品を開発しなくちゃ!」ともっと迫られたほうが日本のためになるって。



大口債権者の銀行が責任を取らないと変だというのもよくわかんない。債権者は株主と違うんだから経営責任なんてないでしょ。倒産したら全額は戻ってこないし、担保があればそれを得るし、利子が払われなくなれば期限の利益を失ってデフォルトするだけです。普通に契約書通りやればいい。

日本の債券市場への影響まで云々する人がいるけど、そもそもそんなたいした市場じゃないんだからどうでもいいって。格付け機関はなんかひとことくらい言うことあるんじゃないの?とは思うけど。


一方で、株主の経営責任を問う意見はそれなりに理屈が通っているとは思うけど、今この時点で東電の株主責任を問うことにエネルギーを使うのが政府の優先事項なのか、ってのは疑問だよ。すでに株主は、株価下落と向こう10年単位での配当ストップ(予想)という形で、相応の責任は取らされてるはず。

まだまだ福島原発は収束に向かいつつあるなんてとても言えない状況なんです。まずは福島の現場を安定化させ(=工程表通りの解を実現し)、福島の人の生活や仕事を補償し、話はそれからでしょ。東電の経営者や政治家の多大な時間を割くことになる経営体制の変更を、今やるべきだとは全然思いません。



発電と送電の分離は(そもそも論でいえば)やればいいと思う。これをやれば自然エネルギーの開発も進むだろうし、原発反対だの賛成だのという二元論的な論争ではなく、「私は絶対原発はイヤだ」という人は風力発電会社から(たとえ割高でも)電気を買うという選択肢を得るわけで、極めて合理的だと思う。

だけど、発電、送電の分離に関してもやっぱり、「今」これをやるのが優先順位が高いのか?ということは考えるべき。私たちのリーダーの能力は残念ながら(私たち同様)そんなに高くない。だから一個ずつ、大事なことから集中してやってもらったほうがいいじゃん。それはまずは現地状況の収束と、福島の人の補償ですよ。


なお「東京電力は地域独占だから潰せないのだ。だから地域独占でなくすべきだ」という意見もたまに聞くけど、これも全く理解できません。潰れたって電気は供給されます。JALが潰れても飛行機は一日も止まってないでしょ。だから地域独占と潰せる潰せないの話は関係ないです。

ちきりんも電力会社(発電)に関して、地域独占より複数社競合の方が絶対にいいと思うけど、今のこのドタバタした状況の中でそんなことする必要性は全然感じません。



浜岡をとめたのは英断だと思います。止めても危険性は変わらないという人もいるけど、組織というのはミッションが変われば組織も人も動き方が大きく変わる。

動かしたままで対策をしようとすれば、浜岡原発のミッションは「電力の安定供給を確保しながら、最大限の安全を確保する」だけど、止めればミッションは「早期に安全対策を実施する」に変わる。この違いはとても大きい。


じゃあ、即刻、他の原発も全部止めるべきでは?って。そんなむちゃ言ってもしゃーないでしょ。ちょっと足りないだけで、計画停電だなんだと大騒ぎだったんだし。

それに「危ないモノを全部なくせ」とか言ってたら、タバコも車も飛行機もガスボンベも全部なくなっちゃう。「危ないからなくせ」は退化の思想なんです。それをどうにかするのが進化と進歩の思想のはず。

だから他の原発も早急に緊急時対策を整えるべきだし、それこそ御用学者も反原発学者も総動員して全国それぞれの原発に対して今後どういう対策が必要か、アクションプランを考えていけばいい。福島で事故が起こり、浜岡を停止させたことで、他の原発は「絶対安全呪縛」から逃れられた。今こそ、万が一を想定した対策が公に準備できるはず。



とか思います。


そんじゃーね。