旧道沿いは自然災害に強いのか?
江戸時代の街道は浸水せず。すばらしい http://bit.ly/dNU4h1 http://plixi.com/p/95220214
2011-04-24 03:23:03@kidayasuo これ文献記録の言及ないし、眉唾で読んだんですけどねー。例えば津波被災地域が結果的に湿地帯になったり塩害で耕作不可になって街道から避けられた可能性とか。RT @kidayasuo: 江戸時代の街道は浸水せず。すばらしい http://bit.ly/dNU4h1
2011-04-24 03:27:34@kawabata 言われる通り、新聞記事って元情報を明確にしないんですよね。避けた理由は色々あると思いますが、結果的にそうなっている所がすばらしいと思いませんか?
2011-04-24 03:36:16@kidayasuo 震災からこっち、全ての情報は読んだ後、少しでも違和感を感じたら吟味する癖がついてしまって... ww。この手の話は、関連性が発見されたら、直接相関なのか疑似相関なのかを考察するべきなんですけど、話として面白いのでそのまま新聞記事にしたのかな。
2011-04-24 03:51:33@kawabata 情報の扱い、同意です。このケースは、災害域は他に影響されない変数だとすると、街道がそこを外れたと考えるのは合理的じゃないですかね。まあ、全く関係ない、たまたま、という可能性もありますが。
2011-04-24 04:20:16祖父や母から、家を建てるときにはむかーしから人の住んでいる所にするんだぞ、と言われてきた。こういう自然に対する謙虚さ、経験から来る知恵を、もっと生かせるといいね。
2011-04-24 04:43:51@bwv1043 そうなんですが、それだけでは住宅地が不足するかもしれませんね。自然を折り合いをつけてゆく必要があるのですが、そこにもう少し怖れる気持ちというか謙虚さが必要かと。
2011-04-24 05:25:40@kawabata @kidayasuo 阪神大震災の時、西国街道沿いの元町商店街は舗道の煉瓦一つずれていなかったのに1ブロック南の栄町は被害甚大だったというエピソードを中井久夫『災害がほんとうに襲った時」 http://j.mp/hBX7g1 で読んだのを思い出しました。
2011-04-24 07:32:16@KAN0U @kawabata 震災当時、両親が神戸に住んでいたのですが、私もこれを体験しました。地域が少しずれるだけで、建物の構造で、被害が天と地ほど違うんですよ。海沿いは見ていないのですが、やはり川沿いは弱いようでした。
2011-04-24 09:55:02江戸期の「あづま街道」がどの程度律令期の「東山道」と一致するか未詳のようですが、ご参考まで。 http://bit.ly/fkRhYD http://bit.ly/gom5qL http://bit.ly/h1dWCT @kawabata @kidayasuo
2011-04-24 07:51:34「東街道と活断層」というブログ記事も http://blogs.yahoo.co.jp/mas_k2513/9083615.html @kawabata @kidayasuo
2011-04-24 07:54:00@uakira2 @kawabata これは面白い。仙台は活断層で分けられた台の上に発達したという事ですね。ところで、このブログの名前の塩竈、この正月に行ったところだったんですよ。
2011-04-24 10:11:28をぉ、塩竃に見えられてたんですか。港の付近はひどいことになってしまってますが、4/13時点で塩竃神社の茶屋(だんご屋)さんは元気に営業中でした。 http://twilog.org/uakira2/date-110413 @kidayasuo
2011-04-24 11:11:26@uakira2 はい。初めて松島に行ったんですが、ここに来て一宮をお参りしない訳には行かないので塩竈神社にお参り。「うまくゆくお守り」をいただきました。
2011-04-24 12:22:59今朝車でFM仙台を流してたら、ちょうど東北大大学院津波工学研究室の今村教授が出てらして http://bit.ly/g41mRm に掲げてる津波浸水域マップ作成時に奥州街道の宿場も浜街道の宿場も被災してないって気づいたと仰ってました。 @kawabata @kidayasuo
2011-04-24 11:18:22阪神淡路での神戸市の被害といえば週刊プレイボーイ96年5号に「大被害の原因は活断層ではなかった!」という記事があって、埋め立てが始まる前の海岸線に沿って震度7の帯が観察され、また新幹線の高架橋が折れた地点と古い川筋が一致すると記されてますね。 @KAN0U @kidayasuo
2011-04-24 11:42:07週プレが取材した相手は、「環境考古学の立場から、神戸の街がどのようにできあがってきたのかをテーマとして研究してきた」立命館大学の高橋学助教授(96年当時)と、「日本に20人ほどしかいない活断層の専門家のひとり」通産省工業技術院地質調査研究所大阪地質センターの寒川旭研究官。
2011-04-24 11:49:43記事を読み返して気づいたけど、1995の399年前=1596年に慶長伏見大地震が近畿地方を襲い、2011年の400年前=1611年に慶長三陸地震が東北を襲ってる。大地震サイクルって律儀だなぁ。
2011-04-24 11:53:24おお、まとめられてた。「旧道沿いは自然災害に強いのか? 」http://bit.ly/ihOvbe 江戸時代よりさらに数世紀前の古代道路は直線状に建設されたんだけど、土地柄を考えなかったためか、数百年で消滅してしまった。 http://bit.ly/eMCgto
2011-04-26 00:47:54今は痕跡もほぼ喪われた日本の古代道路だが、その候補として有名なのが、栃木県野木市・小山市と茨城県総和町・三和町の境界。9kmにわたって不自然な直線状になっていて、おそらく古代道路がそのまま境界になった可能性が高いと指摘されている。 http://bit.ly/eZLw7m
2011-04-26 00:52:59福岡県小郡市と佐賀県鳥栖市境の間の直線状の境界も、古代道路「西海道」の痕跡。航空写真で見るとよく分かる。 http://bit.ly/fiJehK
2011-04-26 00:57:30航空写真で見えてくる古街道の姿といえば、中村太一『日本の古代道路を探す―律令国家のアウトバーン』 (平凡社新書) http://amzn.to/ghIrbU を読んで驚いた記憶が。 @kawabata
2011-04-26 06:40:07@masakomasako 古代道路がほとんど痕跡を残さず消滅したところを見ると、おそらくやはり「不自然」だったのだろうかと。秦の馳道や万里の長城なども。
2011-04-26 08:25:15