火星の月の下で

日記がわり。

○魔法少女はいつから戦うようになったのか、を読んで

魔法少女はいつから戦う存在になったのか・・・という面白い文章があったので、読ませてもらった。右のアンテナの駄文ニュースさんとこ経由。
なかなか面白い観点で、1963年の『鉄腕アトム』第1話からリアルタイムで見ていた世代としては、このあたりのことを「単なる世相の変化」みたいな感覚で通過させていたので、指摘されてみると、なるほどなぁ、と思うこと、しきりである。
それをふまえた上で書くけど、魔法少女の中にあったバトルモティーフみたいなエピソードを拾ってくると面白そうだし、80年代以前の、正統派魔法少女シリーズ以外にあった類似モティーフの中にいろいろとその淵源を探してみるのも面白いかもしれない。
ロボットアニメなんかでヒロインがコスチュームチェンジするのも、間接的にではあるけど、下地の一つたりえたのかも、という気もする。
1976年の『マグネロボ ガ・キーン』の花月舞なんか、変身する魔法少女の一歩手前だし。
ただ、ここで触れられていないのが、バトルアクションを、格闘系以外から拾ってくることで、たとえば1975年の『ラ・セーヌの星』などは、
1.主人公が市井の女の子。
2.身元を隠してコスチュームチェンジする。(変身する)
3.拳ではないが、剣で戦う。
4.出生に秘密がある。(隠された能力)
5.馬に乗る。(高速の移動手段)
・・・と、かなり後生の戦う魔法少女に影響を与えたんじゃないか、と思える要素がつまっている。まぁ、最近の「戦う魔法少女」はあんまり正体とか身元とかを隠さないケースもふえてきているようだけど。
もうひとつ、スポーツ少女ものの影響。
あれもゆるやかな変身(スポーツウェアの着用)を経て、「勝ち、負け」を決する、あるルールの中で、肉体を使って戦うもので、直接的な影響とまではいかないかもしれないけど、精神風土として「戦う魔法少女」が受け入れられる下地を作っていったんじゃないかな、と思うのだ。
統計をとってないので、印象論になってしまい甚だ申し訳ないが、1970年代にそこそこいた、鮎原こずえの妹達が、80年代後半の戦う魔法少女登場以降、とってかわられたかのように減っている、というのも、同じ精神風土、というのを反映していたように感ずる。
ともかく面白いモティーフですな。
魔法少女が戦う、というのが、今日ではあたりまえになってしまったかのようではあるけど、これを歴史的な流れの中で考えてみると、いろいろ面白い発見ができそうであるな。