yuhka-unoの日記

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主体性が足りないのは大学生だけなのか?

asahi.com朝日新聞社):「大学生は主体性が足りない」 経団連、企業アンケート - 就職・転職
http://www.asahi.com/job/news/TKY201102060293.html
 
 最近の大学生には主体性や創造力が足りない――産業界にこんな不満があることが、日本経団連のアンケートでわかった。最近の新卒採用で企業側は、募集人数に達しなくても求める人材がいなければ採用しない「厳選採用」を続ける。内定率の向上には、大学教育の内容を巡る企業と大学のミスマッチを解消する努力が求められている実情が改めて浮き彫りになった。

 大学生の採用で重視すること(複数回答)を企業に1〜5ポイントで評価してもらったところ、「主体性」が平均4.6ポイントで最多。「コミュニケーション能力」と「実行力」が4.5ポイントで続いた。

 一方、最近の大学生に不足している素質を尋ねる(同)と、一番多かったのが「主体性」で89.1%。能力・知識面で不足を尋ねた(同)ところ、既存の価値観にとらわれない発想ができる「創造力」が69.3%でトップだった。

 大学に取り組みを期待することの質問(同)では「教育方法の改善」が76.5%を占めた。具体的には、学生に体験活動をさせる授業などが挙がり、教員が一方的に講義する授業への不信を示した。

 企業側は大学教育にどう参加しているのか。27.3%が幹部や実務担当者を大学に派遣して講義をし、インターンシップを実施している企業も48.3%に達した。経団連は「今後も大学側との協力を進めたい」と話している。

 アンケートは昨年9〜11月、経団連会員企業1283社と非会員の地方中堅企業に尋ね、596社から回答を得た。(吉田博紀)

 
はたして、主体性が足りないのは「最近の大学生」だけなのだろうか。「最近の高校生」や「最近の中学生」も主体性が足りないのではないだろうか。そして、もしかすると、「最近の大人」も主体性が足りていないのではないだろうか。
そもそも、子供や若者に主体性が足りないとすれば、子供や若者を育てた大人に主体性が足りなかったのではないだろうか。私は、主体性のある子供は主体性のある大人の下で育ち、主体性の無い子供は主体性の無い大人の下で育つと思っている。なぜなら、主体性のある人間は、主体性を持つことが世の中を渡っていくコツだと考えていて、主体性の無い人間は、個を消して周囲に合わせることが世の中を渡っていくコツだと考えているからだ。人は、自分が習得してきた世の中を渡っていくコツを次世代に伝授する。そして、これまでの日本社会においては、個を消して周囲に合わせる人間が重宝されてきた歴史が長かった。
やっかいなのは、個を消して周囲に合わせるタイプの大人は、実のところ自分に主体性が無いという自覚が無いことだ。過剰適応した人間は、一見とても上手くいっていて、ともすれば自立的に見えてしまう。高度に発達した適応は自立と区別が付かない。本人はたまたまそれで上手くいっていても、その人に育てられた子供が世の中に出て行く時、上手くいかなくなるケースは多いと思う。
 
若者は、大学に進学する以前の段階で、既に家庭と学校において、親や先生の意向を汲むように、家庭や学校に順応するように仕向けられ、主体性の芽を摘まれているのではないだろうか。幼少期から、大人が子供に対して「いい子」であるように望んだ結果なのである。
大人たちは、意識上では子供に主体性を求めているつもりだが、無意識下では、やはり自分に合わせて欲しいという欲望を捨て切れていないように思う。「自分で判断して行動して欲しい」という言葉を、「こちらが何も言わなくても、こちらの望むとおりに動いて欲しい」という意味で使っている大人は多い。もしかしたら、これが「主体性」というやつか。
 
ところで、子供の主体性の芽を摘む教育の代表的なものといえば、読書感想文だ。私は、読書は大好きだが読書感想文は大嫌いだった。先生は「思ったことを書けば良いんだよ」と言うが、実際は思ったことを書いてはいけない。大人が気に入るような「反省や感動をする素直な良い子」的な文を書く、というのが暗黙の意向であり、そういった大人側の暗黙の意向を子供の側が自主的に読み取って文章を書く、という行為が求められる作業である。いっそ最初から「大人ウケするような文章を書きなさいよ」と言っていれば良いと思うのだが。読書感想文とは、個を消して順応する「いい子」を生み出す教育なのだ。
 
「大学生は主体性が足りない」と仰る企業のお偉いさん方は、家庭において、自分の子供を主体性のある子供に育てているのだろうか。
 
 
【続き】
企業の言う「主体性」と、大学が受け取る「主体性」のズレ
 
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