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 石井紘基衆議院議員が刺殺された10月25日から8年が経過した。
昨夜、テレビ朝日『ドキュメンタリ宣言』で大野記者が長期間にわたって独自に取材を進めてきたことが放送された。内容的には、必ずしも「新事実」が明らかにされたわけではないが、「動機は個人的怨恨」との供述で法廷の場も通した伊藤白水受刑者が、「頼まれた」「デタラメを言ったのは、依頼した人の顔を潰すことになるから」と面会で明らかにしたということは衝撃的な証言だった。

 この事件には、あまりにも謎が多い。昨夜の番組も多面的に取材を重ねてきたので、ほとんどについて言及している。(「再.放送は、BS朝日11/1の27時(11/2の午前3時だそうなので、是非見ていただきたい) だが、番組でカバンに入ったいた資料の行方を何度も話題にしていたが、石井さんの背広の内ポケットに入っていた「衆議院手帳」も消えているのである。この手帳があれば、本人しか知らない面会・行動予定が明らかになるはずだ。

 警察の捜査は、「こうあってはならない」という見本のような捜査だった。現場保存、指紋採取さえ十分に行なっていない。どうやら、警視庁捜査1課ではなくて公安部が捜査したようだ。国松長官狙撃事件が暗礁に乗り上げたように、公安部が捜査に乗りだすとロクなことはない。警察の捜査が公安部だとすると、東京地検公安部の責任も大きい。死後、8年。なぜ、石井さんの死の真相は「闇」のままに封印されているのか。

 警察・検察は、「犯人の個人的怨恨で社会的・組織的背景なし」という枠を自らつくり、現場から消えていた「翌週の国会質問の資料」「衆議院手帳」などの捜査をまともにした形跡がないからだ。従って、裁判所も「怨恨という供述を到底信用することは出来ない」として判決に納得しがたい遺族の気持ちをおもんばかった。「司法」に大きな期待を寄せていた遺族にはむごい話なのだが、警察・検察の捜査に「社会的・組織的背景なし」という前提条件が付されている以上は、法廷で新事実が出でくる可能性はほとんどない。

 石井紘基さんは衆議院東京6区(世田谷区)で旧日本新党から当選し、自由連合、新党さきがけを経て、民主党に移り当選(3期)を重ねていた。石井さんは元は、社会党書記局につとめていて『社会新報』の記者だった。その後に、社民連に参加し長らく事務局長をしていたと聞いている。私は、石井さんより遅れて当選し、98年から同じ選挙区(東京6区)を舞台に活動してきた。だから、地元の行事など土日は一日に何度も顔を合わせて、新年会シーズンなどは深夜まで地元の商店街の会合でカラオケを歌ったこともある。国会でも、石井さんの活躍した決算行政監視委員会で一緒だったから、共に過ごす時間は相当にあった。

 事件後、民主党は「党を挙げて徹底して真相解明する」と内外に宣言した。当然のことで、どんな調査結果が出るのかに注目していたが、残念なことに「党を挙げて調査したかった」という気持ちの表明以上のものはなされなかったようだ。調査の対象になるはずだった石井さんの議員会館にあったダンボールは、ほとんど手つかずのままに遺族の下に返ってきた。その様子を見て、私は2003年衆議院法務委員会で事件について質問をしている。

 この質問の中には、私自身の記憶の中にわだかまっている「謎」がこめられている。石井さんが暴漢に襲われたのは、2002年10月25日午前10時半に自宅前である。10時36分には、110番通報がされている。衆議院の運転者が犯行の一部始終を見ていた。凶行を終えた犯人は、悠然と現場を立ち去ったと言われている。

 私はその日、翌日に訪米して平和集会でスピーチをするために、議員会館で苦手な英語のレッスンを受けていた。そこに、テレビで「石井議員刺される」のスーパーが緊急ニュースとして出てきたから驚愕した。その衝撃もさめやらない頃に、私の携帯電話が鳴った。

「保坂さん、伊藤白水という男を知っていますか」

 石井議員が救急搬送されて「絶命」したかしないうちに、永田町の新聞記者の間では、翌日に出頭逮捕される人物の名前が流れていたのである。これが、昨夜のテレビ朝日が取り上げることのなかった大きな謎のひとつだ。国会議員が襲撃されて殺されるという異常事態の上に、翌日に犯人として出頭してくる人物の名前が、事件直後に政治記者の間に拡がったとしたら、どんな事実が推測出来るだろうか。

「襲撃殺害計画を事前から知る立場」「襲撃殺害するならこの人物しかいないという確実な情報を持っている立場」「襲撃殺害したと関係者からの電話などで報告を受けた立場」などが考えられる。自首してきた被疑者の名前は報道されるから誰でもわかる。でも、この事件では事件直後で犯人逃走中の早い段階から「名前」が流れていたのである。

 この点を私は国会で指摘した。誰からどのようにして「名前」が流れたのかも「捜査対象」だと考えたからだ。8年前に国会内にいた記者なら誰でも知っていることだが、この件が新聞・テレビで報道されたことはない。議事録の関連部分を添付することにする。民主主義が日本にあるなら、先の選挙で、大量に当選した民主党所属議員の誰かが、真相究明の作業に乗り出すはずである。その誰かに期待したい。

〔引用開始〕

〔2003年10月13日衆議院法務委員会〕 

保坂(展)委員 民主党の石井紘基議員が亡くなってから、やがて一年になろうとしております。私の議員としては先輩に当たりますけれども、同じ委員会に属して石井議員の質問をお聞きしたり、あるいは超党派で、これは公共事業チェック議員の会というのをやっておりまして、ダムに行ったり、静岡空港あるいは神戸空港、そういう現場にともに行動をしたという間柄でもございました。また、地元でさまざまな会合あるいは行事などで席を同じくするときも大変長かったんですね。
 そういう意味で、私は自分の議員会館の部屋であのニュース速報を見ましたが、全く血の凍る思いで受けとめました。何ということが起きたんだろうということで、心から追悼の気持ちを込めながら、やがて一年ですから、この事件について幾つかお尋ねをしたいと思います。(略)
 そして、この事件のニュースは、大変衝撃を持って、私ども同僚議員あるいは国民幅広く衝撃を与えたわけですよね。石井議員は、さまざまな特殊法人問題であるとか利権の問題だとか、いろいろ追及をし、また調査をされる、そういうことをやりました。
 背後関係は一体どうなんだろうかということが大変話題になりましたけれども、捜査本部には公安三課も入って解明に当たったという新聞報道などもありましたけれども、背後関係についてはどうだったんでしょうか。

○栗本政府参考人 この事件につきましては、先ほど委員御指摘のように、本当に許しがたい重大かつ凶悪な事件と認識をいたしまして、警視庁においては、即日、特別捜査本部を置いて捜査を行ったわけでございます。
 その中におきましては、事案の全容解明という観点から、当然、組織性なり、その背景、動機、これについても徹底した捜査を行ったわけでありますが、その結果、この事案については、個人的な問題に起因いたします逆恨みによる犯行であったという報告を受けているところでございます。

○保坂(展)委員 その後の新聞報道などで、かなり長いこと石井議員はねらわれていたという報道がございました。つまり、十月に事件が起こりましたけれども、それ以前からと。例えば、そういった情報は事前に得られて、身辺警護などを検討したというようなことはなかったんでしょうか。

○栗本政府参考人 今の、具体的な情報に基づいて身辺警護等を行ったということにつきましては、ちょっと主管をいたしておりませんで、私の立場で現時点で責任を持ったお答えをできないことを御了解いただきたいと思います。

○保坂(展)委員 きのうの午後からいろいろ準備をしてみて、ちょっと思い当たったことがあるんですが、私は、この事件は、先ほど言ったように、テレビのニュース速報で知りました。そして、お昼ぐらいだったかと思いますが、大変な騒ぎになりましたもので、新聞記者から電話がありました。そして、被疑者の名前を記者は言って、この名前の人物を知っているかという問い合わせがあったんですね。これは事実です。そのほかの方に聞いてみても、早い場合には十一時過ぎには国会周辺でその被疑者の名前が挙がっていた、実行犯は彼ではないかと。これはどういうことでしょうか。
 つまり、単独の怨恨ということで、みずから単独で、他に知り得る者がいなくて行われたとするならば、どうしてそんなに早くその情報が駆けめぐったのかということについて何が考えられるでしょうか。

○栗本政府参考人 ただいま御指摘の委員の周辺においてどのような情報が寄せられたかと。大変、私、確認いたしておりませんのでそれについてはわかりませんが、先ほど申し上げましたように、本件捜査については、先ほど申し上げた、背景、動機等、あるいは組織性がないのか否かという観点からも徹底した捜査を行っているところでございます。その結果、先ほど申し上げたような動機において送致をし、既に起訴され、また、その内容については、現在公判の中でその辺が大変重要なポイントとして大きな重きを持っていると思っておりますので、答弁を差し控えさせていただきたいと思います。

○保坂(展)委員 刑事局長、私がお聞きしたいのは、名前を聞いたんです、直後に。びっくりしましたね。こういった事件の場合、なかなか、もう逃走した後ですから、捜査が難航したりとかいうこともあり得るというふうに思っていましたので。その名前がわかったと。しかし、その名前がわかった時間が余りにも早い。
 一般論でも構わないですから答えていただきたいと思うんですが、もし、こういった事件が起きた直後に名前が出るということは、事件そのものかあるいは事件につながる危険性、可能性について事前にだれかが知っていたという可能性はないですか、そういうことは考えられませんか。余りにも早く名前が出たということについて非常に不可思議に思っているんですが、その点は、例えばそういうことも含めてお調べになったということはありますか。

○栗本政府参考人 御指摘の委員の情報そのものにつきましては、先ほど来御説明しておりますように、掌握しておりませんが、当然、警察の捜査の中では、被害者の方に関する周辺の捜査を徹底いたしますし、先ほど申し上げたように、動機の観点からの捜査も進めます。その意味において、結果的には、現在の被告人である当時の被疑者については、被害者の方との関係において面識があるという関係でございますから、そのような中で何かそのような情報が駆けめぐったか否かについては、あくまでも推測でありますが、そういうことがあるとすれば、それはそうなんだろうと思っております。

○保坂(展)委員 もう一点。これはもう法務大臣に直接、今のやりとりを踏まえて聞きますけれども、公判において真実が明らかになるということを期待するところですけれども、国会議員の議員活動あるいは調査あるいは発言、こういうことに伴って生命が奪われるような暴力が襲いかかってくるとしたら、これはまさに暗黒時代ということになります。
 なお、幾つかの点について、この事件の真相を、本当に公訴事実以外にしっかり徹底した捜査が行われたのか点検をして、さらに全容解明に尽くしていただきたいと思うのですが、いかがでしょうか。

○野沢国務大臣 石井紘基議員の遭難につきましては、私も大変ショックを受けた一人でございます。
 日ロ友好議員連盟の行事で一緒にモスクワへ御同道をしたこともございまして、日ごろから石井議員の社会正義、社会の公正公明な進め方につきまして大変御熱意を持って取り組んでおりますことに、かねてから敬意を持っていたものでございますが、このような事件が起こりますと、私ども、同じ道を歩む政治家として、大変これは厳しい状況がある、命をかけても行うべきことがあるんだということで、改めて私どもの覚悟を思い起こした次第でございますが、御指摘のとおり、とにかく、政治の仕事を進めるに当たって、このような危険が、危害が二度とあってはならないと、改めて思いを新たにしているところでございます。また、ともども、ひとつ考え、御相談をしながら、問題の再発防止に努めたい、かように思っております。

○保坂(展)委員 ですから、この石井議員の事件の真相究明ももちろん徹底してやっていただきたいし、また、事前に何かおかしな動きなどがあった場合には、しっかり安全を確保するということを法務大臣としてしっかりやっていただきたい。今後の問題も含めて、決意を伺いたいと思います。

○野沢国務大臣 御指摘のとおりと考えております。

衆議院会議録から引用終了〕



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