脱線事故の起きた岩泉線のサミット区間を越える定期客は何人いるのだろうか

katamachi2010-08-07

 7月末に岩泉線押角〜岩手大川間でおきた崩落土砂による脱線事故。スイスの氷河急行の事故の直後だからか、NHKのトップニュースでも何度か放送されていましたね。
 見通しは悪くなさそうなところなのになんで突っ込むの……と思っていたら、トンネルとトンネルの間にある落石シェルターに土砂が入り込んでいたのですか。時速50キロは遅いと思うけど、ちょっと見付けにくいかなあ。
 復旧の目処が立っていないというのが何とも言えませんが、負傷者だけで済んだのが何より良かったですよね。
 その報道で気になるのが4点ほど。

宇津野駅が新聞報道される日が来るとは……

全員が県外からの観光客で、横浜市港北区の男性(49)、三重県名張市の男性(63)、長野県山ノ内町の男性(48)の3人が負傷した

 テレビでインタビューに応えていた青年とか見ていても分かりましたが、やはり全員ヨソ者ですか。青春18きっぷのシーズンですからね。年配の方が多いですよね。
 何度かこの列車に乗りましたが、土曜日、宮古から茂市乗換の朝イチの列車だと地元の方は乗らないよなあ。

岩泉町役場や県警岩泉署によると、乗客は同10時45分ごろ、線路をつたって駆け付けた消防隊員らによって救助された。車両は前面のガラスが割れているといい、JRの輸送車によって宇津野駅に移動される。運輸安全委員会鉄道事故調査官2人を現地に派遣した。

 注目は、「車両は前面のガラスが割れているといい、JRの輸送車によって宇津野駅に移動される」の「宇津野駅」(うつの駅)。岩泉線−宇津野駅跡−というhpにあるように、終戦直後の1947年11月に岩泉線が小本線として部分開業したときの終着駅。1957年に浅内まで延伸したときに廃止されたのだが、その跡地は今も残るという。国道と比較的近いここまで列車を引き戻して、事故調査委員会の調査に入るのかな。「岩泉線救援列車 」というブログに救援列車だという列車の画像が掲載されていた。

 岩泉のホテル2軒8組のキャンセルがあったという話。「鉄道ファンの来町減少懸念」というのは分かる。ただ、「10年以上前から列車への乗車や写真撮影を目的とした個人客が全国から数多く宿泊しているという」というのはそうなんだけど、お目当てのキハ52が3年前に引退して、秘境駅への関心もそこそこになっている今、どれぐらいあるんだろうか。

JR岩泉線は今月17日から茂市―宮古間で一部運行を再開しますが、茂市・岩泉間については今後も、バスによる代行輸送を続けることにしています

 いや、茂市―宮古間は岩泉線じゃなくて山田線ですから……


などのニュースをGoogleで見たんですが、岩泉線がなくなって困っている地元の人はそんなにいないんですかね。岩手大川駅付近で30世帯、押角駅付近だと1軒のみ。「復旧いつ」住民不安 JR岩泉線脱線事故だと、月2回の宮古市内への通院を懸念する年配の方のコメントが載っていました。この列車の帰りの便がその列車になりますけど、う〜ん、どうなるんだろうか。
 僕がこの岩泉線に乗ったのは3年前の4月のことです。そろそろ引退するのではと報道されていたキハ52に乗っておきたかったのもあって現地に遠征したんです。

岩泉線の峠越え区間を使っていた定期客が数年前までいた

 岩泉線は茂市〜岩泉間38.4kmのローカル線。岩手県の辺境とも言える北上高地の東側、本州でも有数の人口稀な地域を抜けていく。途中、岩手和井内〜押角〜岩手大川間は15.8kmには人家はなく、その途中にある押角駅は"秘境駅"として知られている。事故列車には、そうした駅を訪問するマニアもいたのだろう*1

 で、3年前にクルマで岩泉線にアクセスしたときのこと。
4/25(水)上野発の「あけぼの」で - とれいん工房の汽車旅12ヵ月
 クルマで押角駅にやってきて、ここと陸中大川駅との間を往復したのですが、「朝イチに押角駅から乗ってくるとは……」と言っていた車掌さんとお話ししたときに聞いた話。

  • 僕「ところで、岩泉線って定期客はいるんですか」
  • 車掌「和井内から茂市だといるよ、朝の折り返しはそれなりにいる高校生がいるよ」
  • 僕「押角はさすがにいないですよね」
  • 車掌「クルマで来たのなら、押角の近くに家があったでしょう。そこの子供さんが使っていたよ」
  • 僕「????」
  • 車掌「宮古まで通っていたんだよ。でも、朝は和井内まで送ってもらっていたんだって」
  • 僕「ということは、今は岩泉町内から茂市方面へ向かう定期客っていないんですか……」

 つまり、こういうこと。
 岩泉町は他の拠点都市と距離的にかなり離れていて、高校生だと岩泉高校に通う子供がほとんど。町営バスを使ったり、あるいは高校の寮に入ったりするんだろう。

 じゃあ、宮古の高校に通おうとすると、どうなるか。その場合、宮古市内で下宿することになる。
 岩泉から宮古まで1時間ちょっと。通学できない距離でもない。
 ただねえ。このダイヤでは使えないのですよ。

 岩泉始発は朝8:01(2010年改正)。宮古は9:14。高校の通学には使えません。需要もないのかなあ。
 押角在住だった高校生も、朝は岩泉から高校の始業時間に間に合う列車がないから、家族に岩手和井内駅まで送ってもらって、岩手和井内6時半の列車で宮古に向かう。帰りは宮古18時の列車で押角に戻るという生活をしていたのだという。
 今は岩泉から岩手和井内方面への定期客っているんだろうか。宮古への通学の高校生が使うケースって、地理的条件を考えると押角駅付近の家しか考えにくい。で、その押角駅付近には家が1軒のみ……さて、どうなんだろう。
 僕が直近で乗った2007年には岩手和井内以東では定期客がいないと聞いた。今では……どうなんだろう。そうした路線が鉄道として残るのは適切なのか。いろいろ考えたいことはある。
 ちなみに、岩泉始発の列車は何度か乗ったんだけど、宮古に通院や所用で出かける感じの人たちが何人か乗っていました。ただ、ほんと、地元の方は十人前後だったと記憶しています。

地元の人もあまり使わない国道340号の未整備を岩泉線存続の理由とすること

 もちろん、岩泉と宮古の間の行き来はクルマがメインなんだけど、みんな三陸海岸の小本を経由して国道45号を南下するルートを作るんですよね。
 岩泉線沿いにも国道340号というのがある。
 この道路もかなり改修は進んでいるんだけど、押角駅の南側から押角峠を越えて大川の手前まではかなり狭い道路となっている。普通車の離合はなんとかいけるがトラックだと難しい。いわゆる「酷道」の1つだ。

大きな地図で見る

 まあ、この道路があまりにもダメダメなんで、80年代初頭の特定地方交通線廃止問題の時に、岩泉線は途中で廃止対象から免れた。並行道路が未整備という理由だからだ。この国道、ある意味、岩泉線としては救世主みたいな存在なんだけど、実際にはここを経由する自動車はかなり少ない。先にここを通ったとき、20kmの道のりで一台しかすれ違わなかった。
 岩泉の人が盛岡に向かうには国道455号を使うし、長距離バスも走っている。
 じゃあ、岩泉から川内とか陸中川井とか山田線沿いの集落に向かうときはどうするのか。
 実際、そのルートでも移動したことはあるんですが、地元の方から進められたのは林道八戸・川内線。正式には緑資源幹線林道八戸川内線です。一時期、林野庁系の特殊法人でいろんな意味で話題となった森林開発公団が敷設したスーパー林道なんです。カーナビではこの林道はヒットしないんですが、凄まじく立派な二車線道で、地元の人はこちらを使うらしい。あとはツーリング好きの人たちも。林道と言うけど、バイパス道として使われています。
 ということで、岩泉線沿いの国道340号、一部で隘路となっている区間はあるけど、実態としてはここが拡幅しようがしまいが地元の人たちにとってはあまり困るような状況ではない。もちろん岩泉から茂市や和井内に行く人がいれば、やはりここの道を通るんだろうけど、その数は1日どれくらいあるんだろうか。
 と考えると、「国道340号が未整備だから岩泉線は必要」とした30年前の論理は、今では通用しづらいというところがある。さて、どうするのか。

岩手県庁は岩泉線を経営面で「お手伝い」するつもりはあるのか

 90年代、岩泉線と山田線の廃止をJR東日本が地元に提示したという報道がありましたが、そのときは具体化しませんでした。
 でも、今だったらどうなんだろう。
 「JR東日本「グループ経営ビジョン2020−挑む−」を要約してみる。 - とれいん工房の汽車旅12ヵ月」で書いたように、JR東日本、2年前に

 「地方交通線」は、ご利用の増加と徹底した事業運営の効率化を推進する。その上で鉄道として維持することが極めて困難な路線・区間については、当社グループを事業主体とする鉄道以外の輸送モードの導入も含め、全体としてのサービス水準の維持・向上をめざす。

とした経営報告書を出しているんですね。
 岩手県知事は今回の事故を受けてこのような記者会見をしています。
平成22年8月2日知事会見記録岩手県HP

  • 記者  それから、あの辺りは車の便があまり良くないと聞いていて、今JR線が不通となり、代行バスが走っているのですが、地元の方と復旧作業を行うJRに対して一言お願いします。
  • 知事  過去に国鉄時代、赤字ローカル線廃止の議論があった時に、バスなどで代替できるところは廃止するというような原則がありました。あそこは並行して走る国道があるのですが、やはり狭隘でバス路線による代替ができないこともあって岩泉線が存続したという経緯があります。そういう意味では、あの鉄道がないと非常に地域の皆さんは不便をしますので、観光資源としての存在でもあるのですが、生活路線でもありますので、そういう地域振興的な観点から県としても地域の皆さんにそこはしっかりと対応していきたいと思っています。

 このまま復旧せずに廃止してしまうんじゃないか……という危惧があるんでしょう。実際、30年前に、岩泉線と同様、廃止対象線になりながらも並行路線未整備を理由に対象から外れてJRに引き継がれた名松線。ご存知のように、昨年秋の水害で路盤が寸断され、家城〜伊勢奥津間は休止されたまま放置。そのままバス代行→廃止という意向がJR東海から示されていろいろと問題になっている。
 同じような位置づけの三江線。ここも6年前に落石に列車が乗り上げる事故が発生し、以降、線内80ヶ所以上で20KM制限の徐行運転を繰り返している。「水害で不通になる前から悲惨な状況だった三江線で考えてみる。その2 - とれいん工房の汽車旅12ヵ月」で紹介しました。その後、JR西日本は社長自ら「JR西日本の社長が記者会見で赤字ローカル線の廃止を言及 - とれいん工房の汽車旅12ヵ月」で紹介したようにローカル線の廃止を示唆する発言をしています。美祢線もこの夏に水害にやられて運休したまま。
 岩泉線はどうなるのか。
 県知事は「非常に地域の皆さんは不便をします」というけど、地元の人は林道とか他の国道を使っている。「生活路線でもありますので」はいいけど、「岩手新報は「2009年度の岩泉駅の1日当たりの利用者は平均22人」と伝えている。


 「地元住民の足を確保しなければならない」という建前を主張する気持ちも分かるけど、本当に便利なのは、現実的なのはなんなのかという選択肢も視野に入れないといけない。
 実際、岩泉と茂市でバス代行を走らせて、それでも十分だとなると話はややこしいことになる。
 というか、岩泉から宮古へ向かうバスを小本経由で走らせた方がよっぽと地元住民のためになるのではないか(三陸鉄道をどうするという話もあるが)。

 県知事は「JR東日本の資産でありますので、何か高度な技術を要する復旧の作業については、いつでも相談に乗り、また必要であればお手伝いしたいと思っています。」と発言しながら、記者の「今の点で確認なのですが、お手伝いというのは技術面ということを指しているのでしょうか」という質問にはお茶を濁している。もちろん、技術面だけでなく、早晩、「経営面」での「お手伝い」も必要になっていることが分かっていて、そこで言質を取られたくなかったから誤魔化したんだろう。この御時世、そんな負担を被るのは役所としても困る話だ。
 岩泉線がなんとかやっていくためには、県庁や岩泉町は年間いくらぐらいの資金援助が必要になってくるのだろう。そのスキームは。メリットの小さい宮古市はどう考えるのか。山積みとなった土砂の撤去を行った後も、いろいろと課題は山積だと思うのだけど、それはまた別の話。

*1:気になるのは、この列車に乗っていながら押角駅で降りたマニアが1人ぐらいはいたのじゃないかなあという点。で、このキハ110が大川駅の手前で事故ると、折り返しの列車が来なくなる。クルマもあまり通らない、というか、事故したのかどうかも分からないポイントで、彼らはどうやって押角駅から抜け出したのだろう。