はじめに:
本日のわさお通信はいつもと雰囲気が違うことを、あらかじめご了承くださいませ。


さてさて...。

昨日、わさおと一緒に、震災被害の地へ行ってきました。
岩手県陸前高田市と宮城県気仙沼市。
とてもとても大きな被害が出ている、県境を挟んで隣同士の地域です。

被災現場の様子を見て、飼い主母さんは一言だけ「悪夢(あぐゆめ)だ。」と言ってました。
「がんばれ」と言うは易いけれども...だけどだけど、これはがんばってなんとかなるレベルじゃない。そんなスケールの大災害に思えます。

高低差のある道路を進むと、大丈夫だった家と跡形もなくなった建物跡が交互に現れては消えていきます。

やがて海辺に近い開けた所にでると、惨状が360度どこを見ても果てしなく広がっている景観になります。

とてつもなく大きな木が、コンクリート造りの建物の高さ3階あたりに突き刺さっている様子を見ました。川の中で漁船が二艘、縦に重なっているのを見ました。未だに引かない水たまりの中に転がる自動販売機や潰れたトラックがありました。ものすごい力で壁を剥ぎ取られてしまった小学校の体育館がありました。

その破壊された小学校の横で、見事な桜の花がとても美しく咲いていました。
慈悲深くもあり残酷でもあるような、見たことがない桜の木々の風景でした。


実は気仙沼には、何年もずっとわさおと文通していた女の子が住んでいます。
震災発生直後、彼女の安否がわからずに飼い主母さんは非常に心配していました。
google の person finder や twitterでの情報拡散のお願い、気仙沼情報の掲示板やその他いろんなことをして、ようやく彼女が無事であることがわかりました。

わさおと一緒に会いに行こうと思うことは自然な成り行きだったと思います。
でも、どうやって行けばいいのか、また、わさおが行ってなにかの役に立てるのか、そこは非常に悩みました。

震災以降、仕事で近くを通りかかったとか青森に身を寄せているなど、わさおのところを訪れる被災者の方々が多くなりました。
このような方々に意見を求めたところ、誰もが「わさおが会いに来てくれれば、皆喜びます。」と即答してくださいました。

また、わさおが気仙沼とご縁があることを知った、日本ユネスコ協会連盟さんが、公務としての被災地訪問をご提案してくださり、現地との調整にお骨折りいただけるということになりました。

これらを考え合わせて、また今後はぐんぐん気温があがるシーズンですので、遠出するなら4月中しかないということもあり、4月27日に陸前高田市長部小学校と気仙沼市小原木中学校への訪問する決断をしました。

最初に訪れた長部小学校の周りでも、見事な桜が咲いていました。校庭内では仮設住宅の工事が急ピッチで進められているようでした。

「昨日、ようやく家族が確認できた学校職員がいるんですよ。」
校長先生が、ごく普通の声の調子で教えてくださいました。
「避難場所で、寒そうにしているお孫さんの上着を取りに戻られて、そのまま帰ってこれなかったおじいちゃんなどもいます。」
とも教えてくださいました。

こちらの学校では、日本ユネスコ協会連盟からの学用品や運動具の贈呈式が行われました。
長部小学校では、先に触れた桜咲く破壊された小学校、気仙小学校のこどもたちが校舎の半分を借りて授業を再開したばかりです。ひとつの校舎にふたつの小学校がはいっています。わさおと対面した両校の子供たちは「わさおだ、わさおだ」と興奮していました。とても元気でした。

続く小原木中学校で、わさお&飼い主母さんは、念願の文通相手の女の子と再開することができました。また、彼女のご家族とも会うことができました。

その近所では、わさおが来るという話を聞きつけたおばあちゃんが、ずーっとバスのそばで待っていてくれました。「わさおは降りてくるのかい?」と尋ねられたので、「今、もうちょっとしたら降りてくるよ」と答えたら、にこにこしながら頷いてくれました。
そのすぐそばの建物では、喪服を着た人たちが出入りして、合同葬儀が行われているようでした。

道行く人たちは、他県ナンバーの自動車を見かけると、大きく手を振って挨拶してくれます。県外ナンバーはたいていの場合、救援車両だからです。ありがとう、ありがとうと手を振ってくれます。そんな場合じゃないはずなのに、手を振ってくれるんです。

震災直後に発生した原発の危機問題が尾を引き続けていたり、発生後一ヶ月以上がたったことなどもあり、報道されるニュースのトーンが微妙に変化してきているような気もします。でも、実際に行ってみると、震災は終わってはいないし、復興は始まってもいない、そんな現実に打ちひしがれます。

多くの大切な物事が失われた現場の風景は凍りついたようで、時計の針が止まっているかのようです。
そしておそらく、同じようなことが東北太平洋岸一帯何百キロにもわたって現在進行形で起きている現実なのだと思います。

でも、そこに生きる人達はとてもつもなく強い。でも、それはなんていうか、強くならざるえを得ない、そうすることでしか現状を乗り越える術がない、そんな気持ちも感じます。
だけれども、だからこそ、被災地域は立ち直る、絶対に立ち直ると確信できます。

ただ、それについて傍観者であってはならないのではないか、とも思うのです。

災害復興については、誰もが全員プレイヤーであって、観客は誰もいないという気がします。何が出来るのか、どうすればいいのか、無理はせずとも、これからも考え続けていきたいと思うのです。

そして、一夜明けた今日のわさお。

おつかれさん。