神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

興亜院時代の志智嘉九郎と呉清源・小田秀人の世界紅卍字会訪問

 呉清源『以文会友』に、呉と小田秀人の世界紅卍字会訪問が詳しく書かれていた。

第五局が始まる前の昭和十七年三月初め、私は小田秀人さんとともに、宗教上の用事でおよそ二か月にわたり、中国大陸と朝鮮を旅行した。旅行のおもな目的は大陸の紅卍を訪問し、健在ならば「璽宇」もかつての大本教のように、紅卍と宗教上の交流を求めようというものであった。(略)
当時、北京には青木一男先生が大臣をしている興亜院という日本の行政府の出先機関があり、私たちは、その出先機関で大陸における宗教の動向を調査、監督する仕事を担当している志智嘉九郎を訪ねた。志智氏は橋本(宇太郎)さんと親しく、戦後、関西棋院の理事を務めたこともある人で、私たちを快く迎えてくれた。彼は紅卍についていろいろたずね、私たちはそれに対してていねいに説明を加えた。
翌日、私たちは志智氏を伴なって紅卍北京総院を訪れ、世界紅卍会の最長老である許蘭洲氏に面会して、布道団の派遣をお願いした。

 昭和20年の世界紅卍字会訪問計画についても書かれていて*1、出発直前になって、璽光尊と勝木が玉川署に検挙され、満洲に渡るどころの話ではなくなったという。呉は「勝木氏」としか書いていないので、フルネームの書かれている大川周明日記は貴重だ。

志智は書物蔵氏によると、戦後「日本レファレンス・サービスの父」となるようだが、この頃は、興亜院の出先で神様の調査、監督とかをしていたのだね。

 小田秀人については、人名事典にも名前の出てこない人物だが、著作権台帳に記載があった。明治29年8月15日生、平成元年1月15日没。著作権継承者は、中沢忠喜(友人)とある。

(参考)志智については、「書物蔵2007年1月31日」参照。

*1:2月17日参照。

神戸ファッション美術館で「グレゴリ青山のモダン画廊」

神戸ファッション美術館で4月3日(日)まで開催中の特別展示「あぁ!美しきモダーンズ―東西新世代女性たちの装い―」と併せて、「グレゴリ青山のモダン画廊」も開催中。

本展のポスター・イラストレーションを描いた、漫画家・グレゴリ青山さんのプライベートギャラリー。浪漫とモダンの時代を舞台に、独自の耽美な世界へといざなう『マダムGの館』(月刊flowers連載中)より、当館の展覧会が題材となった原画をはじめ、初期からの作品や、上海等の旅先で収集された冊子やポスターなどのモダンコレクションをご紹介します。