先日、ホンダのハイブリッドカー「インサイト」の開発責任者である本田技術研究所四輪R&Dセンターの関康成氏の講演を聞く機会があった(参考記事)。関氏の発言で印象的だったのが、次の言葉だ。

 「インサイトの企画も終わっていない2006年5月の段階で、福井威夫社長(当時)が『2009年にお求めやすい価格でファミリータイプのハイブリッドカーを発売する』と記者会見で話しちゃったんです。いやー、言っちゃったなあという感じです。福井社長は、『(開発者を)2階に上げてはしごを外して、火をつけるくらいじゃないと新しいものはできない』なんて言う人で、内外ともに200万円を切ると話していました。でも、社長に恥をかかせるわけにはいきません。私もチームのメンバーには、『200万円払った人は、しょぼいクルマでは満足しない。20万台売れるクルマを作ろう』とプレッシャーをかけました」

 ご存知の通り、ハイブリッドカーはエンジンとモーターを使って燃費よく走るクルマだ。発進時など回転数が低い状態から効率よくトルクを出せるモーターと、回転数が上がってから効率がよくなるエンジンをうまく組み合わせるため、これまでのガソリンエンジン自動車よりも燃費がよくなる。ただし、100年以上の歴史があり成熟したエンジン自動車と比べれば、まだ発展中の技術である。モーターやバッテリーなどのコストが高く、価格を下げるのは難しい。しかし、ホンダは部品の仕様や製造工程を徹底して合理化し、200万円以下という画期的なハイブリッドカーを完成させた。

 インサイトは、公約通り200万円以下だっただけでなく、ハイブリッドカーならではの楽しい機能も付いている。「Eco Assist」という低燃費の運転支援システムでは、ユーザーに低燃費の運転方法を教えたり、低燃費で走っていると緑の葉が育つような表示を見せたりする。

 その結果、インサイトはユーザーの支持を得た。国内の販売台数で2009年4月が1位、5月が3位、6月が4位と快調に売れている。トヨタのプリウスとともに、ハイブリッドカー人気を作り上げた。減税措置などの追い風もあるが、ユーザーに受け入れられる価格を実現し、タイミングよく発売し、ユーザーが喜ぶ機能を付けるという条件が、インサイトが売れている理由なのではないだろうか。

NGNも新旧技術のよさをハイブリッドしたはず

 ここで思い出したのが、NTTグループのNGNだ。NGNは2008年3月に開始した次世代ネットワークサービスである。クルマと同様に、100年以上の歴史を持つ電話の信頼性や安全性と、新しいIPネットワークの技術を「いいとこどり」するというのがNTTグループの方針だ。ハイブリッドカーもNGNも、歴史ある技術(電話やエンジン)と新しい技術(IPやモーター)のよさを生かそうという発想は共通している。

 ところが、ハイブリッドカーが売れに売れているのに対して、NGNの加入数は伸び悩んでいる。開始から1年たった2009年3月末時点で、NGNサービスの「フレッツ光ネクスト」の加入数は、NTT東日本が約35万、NTT西日本が約2万9000。既存の光ファイバーサービス「Bフレッツ」などがNTT東日本で約594万1000、NTT西日本で約481万4000であるのと比べると、フレッツ光ネクストは少ない。その背景には、既存サービスとの違いがユーザーに見えにくく、NGNならではの楽しい体験がほとんどないことや、その体験に対するお得感がないことが、あるのではないだろうか。

 また、ホンダの福井前社長が無茶とも言える課題を開発陣に提示し、それに開発側が応えられたのは、お互いの信頼関係があってのことである。一方、NTTグループではこうした信頼関係が揺らいでいるように見える。NTT持ち株会社の経営陣は躍起になってNGNを推進しているものの、NTT東西など現場の技術者や販売担当者からは、NGNに冷ややかな声が上がる。同じ構図は、「2010年度中に光ファイバ3000万回線」という目標でも見えた。2004年にNTT持ち株会社が大々的に打ち出した3000万の目標は、2007年に2000万に下方修正され、2009年5月には目標自体を取り下げた。

 インサイトとNGNの違いは何なのだろうか。NTTグループは、グループ内各社でそれぞれ思惑が異なるという事情があるのも理由の一つなのではないか。また、NTTグループは2008年度決算の営業利益で日本一になったように、まだまだ余裕があるからなのだろうか。NGNを推進することがよいかどうかについては意見が分かれるにしても、NTTの事情や余裕によって、ユーザーを喜ばせるサービスを作ろうという姿勢や、経営者と現場社員との信頼関係が失われているとしたら、非常に残念だと思う。

 というのも、日本のクルマメーカーにも、NTTなどの通信事業者にも、高い技術力があると思うからだ。それを再認識したのは、『クルマはなぜ走るのか』というクルマの仕組みを丁寧かつやさしく解説した単行本を編集したからである。クルマは機械、電気、制御技術を複雑に組み合わせた製品だ。1台のクルマを構成する部品は約2万点にものぼり、パワー性能や燃費、乗り心地を上げるために、実に様々な工夫を凝らしている。エンジン自動車やハイブリッドカー、電気自動車がうまく走り、曲がり、止まるために機構が動く様子は圧巻だ。

 NGNの根幹となる電話技術やIP電話技術も、非常に複雑で面白い。『電話はなぜつながるのか』という本で説明してあるように、日本中の数千台の電話交換機やサーバーが連携し合いながら、相手との通話を実現する様子は興味深い。

 ご興味があれば、夏休みなどにこうした本をご覧いただき、身近なクルマと電話の仕組みを振り返り、ハイブリッドカーやNGNなど新しいサービスや製品に必要なものを考えていただければと思う。

■変更履歴
本文中「2010年度中に光ファイバ3000回線」との記載がありましたが,正しくは「2010年度中に光ファイバ3000万回線」です。お詫びして訂正します。本文は修正済みです。 [2009/08/07 12:00]