『ママレ』の設定で考えるスワッピングと2家族同居


 「サイゾー・ウーマン」の記事、「実写映画化『ママレード・ボーイ』はスワッピング漫画では!? トンデモ設定なのに支持されるワケ」でインタビューを受けて答えた。
http://www.cyzowoman.com/2018/04/post_182449_1.html


 このインタビューに関連して、もうちょっとここで書いてみたいことは、スワッピングと2家族の同居についてである。


 もともと編集部からの質問は、

しかし、大人になった今、改めて『ママレード・ボーイ』を読むと、離婚した光希と遊の両親が相手を入れ替えて再婚する設定に、「これって、2つの夫婦のスワッピング物語じゃないか?」と突っ込まずにはいられない。さらに再婚後、2組の家族が一緒に同居してるなんて、もはや乱交パーティーだ。にもかかわらず、なぜ誰もこのぶっ飛び設定に触れようとしないのか。

なのだが、ぼくは、こんなきわどい設定がなぜ読者である子どもたちに支持されたのか、という角度から答えた。
 回答そのものは、インタビュー記事の通りだが、少しだけ補足をしておく。

「コミュニティ家族」

 「ぶっ飛んだ設定」はむしろ少女マンガで待ち望まれているが、その「ぶっ飛んだ設定」を持ち込むことで逆に子どもたちにとって魅力や理想や憧れが増すことだ大事だ。

ママレード・ボーイ コミック 全8巻  完結セット

 『ママレード・ボーイ』で「連れ子の同居の恋愛」にする場合、ひとり親同士の結婚という形や、2夫婦が同居せず子どもたちだけの同棲(よくある海外赴任。それがダブルで重なるとか)という形などがありえるが、わざわざ2夫婦(2家族)の同居というスタイルを選んだのはなぜか、ということを考える必要がある。


 『ママレード・ボーイ』読者である小学生女子がそこに魅力を見出すとすれば、それが「親しい友だち家族との楽しい同居」ではないか。
 ぼくの保育園や小学生の人間関係をみると、親同士が子どもを預けあって、家族同然の付き合いをして、子どもたちも親しいというコミュニティが結構ある。あのコミュニティが進化して一つ屋根の下での「家族」になってしまうという設定だ。「コミュニティ家族」とでも言おうか。
 親しい友だち家族で遊びに行ったり、お出かけしたりする時は、子ども心には、このままずっと遊んでいたらいいな、と思えるような時空間である。
 実際、『ママレ』には全巻通じて、2つの家族が家の中でゲームをしたり、宿題をしたり、テレビを見たり、食事をしたり、旅行に行ったりするシーンが描かれ続ける。つまり、家族が非常に仲がいいのだ。


 連れ子をお互いに持ったステップファミリー……という設定はよくあるが、『ママレード・ボーイ』のようなコミュニティ家族は家庭の雰囲気、楽しさの度合いが全く異なる。劇的に楽しいのだ。


 『サザエさん』のような2世代が同居する拡大家族が解体し、核家族となった80年代*1を経て、共働きが広がった90年代初頭に、普通の核家族の家庭ではそこに楽しさを作り出せないのである。

オトナ目線で『ママレ』のスワッピング・2家族同居を考える

 子ども目線を外れて(つまり子どもが納得するかどうかを全然別にして)、オトナの目線で、もう一度『ママレ』の家族を考え直してみると、ある種の合理性が浮かび上がる。


 もし仲の良い家族とコミュニティを作れたら、住居費・食費などの生活費用や家事労働コストは共有ゆえに低下するのではないか。

……例えば、メルシナ・フェイ・パースは一八六〇年代に協同家事(cooperative housekeeping)の概念を示していた。
 パースの考え方はひとことでいえば、協同組合組織による家事労働の集約化というものであった。一二人から五〇人の女性が協同組合をつくり、そこで、家事労働を集約的に行う。協同組合の建物や設備は、組合の会員によってまかなわれる。料理、洗濯、裁縫、育児などがおここでおこなわれる。彼女たちには夫たちから賃金が支払われることになる。協同家事が成立すれば、家族向けのキッチンのない住宅と単身者むけのアパートメントをつくることができるとパースは考えていた。(柏木博『家事の政治学』p.13)

 単婚家族にはない、賑やかさ。楽しさ。


 そして、2夫婦のスワッピングは、一夫一婦制のもとでのセックスのタイミングのズレ、セックスレス、パートナーに「飽きる」という問題に対して、一つの解決策を与える。
 スワッピングについては坂爪真吾が『はじめての不倫学』の中でも論じているが、簡単に言えばよほど条件が整わなければストレスなしには広く実行できない、という旨のことを述べている。
 だが、逆に言えば、もしお互いの夫婦で完全な合意があれば、理想的とも言える解決策となる。


 これはぼくの勝手な設定(つまり妄想)だけど、『ママレ』の2夫婦は、単純にパートナーを交換しただけじゃなくて、前のパートナーともセックスし続けてるんじゃないのか。つまり実は「2夫婦」じゃなくて「4人で1組の夫婦=セックスグループ」だったんじゃないのか、と思う。
 坂爪が紹介しているが、スワッピングが単なるセックスのための交換であるのに対して、複数の恋愛感情を許容する「ポリアモリー」というものが存在する。
 もし『ママレ』が前のパートナーにもいまのパートナーにも恋愛感情を持っていたら、それはすでにスワッピングを超えた、ポリアモリーであるとさえ言える。


 しかし……家でセックスするのは相当にきついな、と思う。何よりも物理的に。完全に防音でプライベートな空間が設定されていればいざ知らず、2つの夫婦がいて、高校生の男女の子どもがいる住宅で、セックスをするのは至難であろう。ホテルとかに行くしかない。それと、セックスしなくても家でイチャイチャするというのは厳しいような気がする。


 ここでも逆に、子どもたちがおらずに4人の夫婦だけしかいなければ、全く問題がないようにも思われる。


 いずれにせよこんな具体的なことは小学生女子は考えないはずである。
 オトナが妄想して楽しむにはもってこいだ。

*1:核家族が広がった……というのは統計上は単純に言えないと言われている。「核家族世帯は、実は戦前から『主流派』だった」(H18版少子化社会白書 http://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/whitepaper/measures/w-2006/18webhonpen/html/i1511110.html )。ただ80年代から単独世帯の割合が急増し、拡大家族の割合が減っていったことは間違いない。