杉江松恋(from41tohomania)さんによる書評イベント告知と、書評・批評論及びそれへの反応
【定期POST】BookJapan主催トークイベントやります!豊﨑由美×杉江松恋「書評の愉悦」出張講座。いただいた書評をこの二人が普段の書評講座形式で採点します。 詳しくはこちら。 http://bit.ly/e58MXt #nbjp (続く)
2011-05-20 11:39:51【定期POST】課題作は西村賢太『どうで死ぬ身の一踊り』(講談社文庫)※表題作のみ/J・P・マンシェット『愚者が出てくる、城塞が見える』(光文社古典新訳文庫) 。この2冊を読み800~1200字で書評を書いてください(続く) http://bit.ly/e58MXt #nbjp
2011-05-20 11:40:16【定期POST】書評送付先は、newbookjapan@gmail.com 〆切は5/20(金)※ちょっと延ばしました。イベントは5/25(水)19時、於:新宿「Club EXIT」です。 http://bit.ly/e58MXt #nbjp
2011-05-20 11:40:36今、豊﨑さんと相談して、イベント前日の24日夜まで書評〆切を延ばしてもいい、というお許しをもらいました。時間がなくて諦めていた方、よかったら再挑戦してください。すでに提出済みの方で、再提出を希望される方ももちろん可です。 #nbjp
2011-05-20 13:13:06【定期POST】なお、ゲストの豊﨑由美氏の新刊『ニッポンの書評』(光文社新書)が現在絶賛発売中。書評ってどうやって書いたらいいの、という人はまずこの本を読みましょう。http://bit.ly/e58MXt #nbjp
2011-05-20 11:40:50『ニッポンの書評』で豊﨑さんが書かれている「大八車」の比喩。梶棒を握っているのは編集者で作家と評論家が両輪、書評家が後押しをするという。この「後押し」について、考えさせられてしまうことが以前からあった。
2011-05-20 11:55:13「ベテランになってくると書評が出なくなる問題」。新人のころは熱心に書評を書くが、ある程度売れてきてメジャーになると、「もう自分の手は離れた」と書かなくなる、ということが実際にある。次々に新人作家はデビューするので、今度はそっちというわけだ。実はこのことがずっとひっかかっている。
2011-05-20 11:57:28「新しい才能を応援する」というのはたしかに大事なのだが、これは行き過ぎると「○○はわしが育てた」のような増長につながるのではないか、という気がするのだ。後押しはあくまで後押しであって、それを自慢するのは筋が違う話だ。常に自戒していたいところ。
2011-05-20 11:59:22もう一つは書評を誰のために書くか、という問題。書評は作者のためではなく読者のために書く、というのが以前からの自分のスタイルだったが、豊﨑さんが『ニッポンの書評』で「本のために書く」という新しい考えを出された。これは目から鱗が落ちた。
2011-05-20 12:01:03というのも私は、書評だって自己表現の手段の一つであっていい、と思っているからだ。自分の中にある情熱を形にして他人に示す。文章はそのために書くべきであって、他人に強制されてやるものではない。商業媒体に載せる書評ならば、まさしくそうあるべきだ。
2011-05-20 12:03:22「読者のため」というのは、自分の中に想定した架空の読者のことである。自分が読者の立場になったら、どういう形で本を薦められたら嬉しいか、役に立つか、をいつも考えて書いていた。そうすることによって、自己表現の文章と「~のために」の方向性を合わせようとしていたわけだ。
2011-05-20 12:04:46「本のために」というのは「読書体験の記憶に敬意を払う」ということだろう。自分を楽しませてくれた読書体験の積み重ねがある。そのこと自体に価値があり、その価値の大系を貶めないように書くということだ。「読者のため」というよりも遥かに自分の考えに近いように思った。これからは私もそうする。
2011-05-20 12:07:33.@from41tohomania 記憶が定かでないのですが、ゴダールだったかトリフォーだったかの言葉で「厳しい映画批評こそが映画を良くすることができる」と言った人がいます。映画業界では映画批評は将来の映画、ひいては映画業界全体のためだと考えている人達がいます。 #eiga
2011-05-20 12:09:134~5月にかけてBookJapanはなかなか原稿が集まらない状態が続いている。まさに強制すべきことではないのでそのままにしてあるが、今回のイベントが起爆剤になって、また書評が来ればいい。そう願っている。
2011-05-20 12:09:13BookJapanで募集している原稿は、別に完成を求めているわけではない。もちろん他人の目に触れさせる文章だから、最低限の品質は要求するが(それが私による査読)、荒削り、眼高手低、未熟な表現、そのへんは仕方ないと思っている。書きたくなった衝動の原点が何かが伝わればいい。
2011-05-20 12:11:26書評の文章を書いていて判断に困ることがあったら、そっと過去の読書体験を思い浮かべること。その本を読んでいたときの自分の気持ちに嘘を吐かなければ大丈夫だと思う。そして、そのときの気持ち、感覚をできるだけ丁寧にすくいとって文章に写してみてほしい。
2011-05-20 12:13:43そんなわけで思ったことを書いてみました。来週のイベントではトヨザキさん(と私)に、書評についての質問をぶつけるというコーナーも作ってみようかと思った。今思った。何か聞きたいことがある人はハッシュタグ #nbjp をつけてツイートしてみてください。
2011-05-20 12:15:34自分の中にある「読者」を想定した結果、普遍的で対象に広がりのある「誰か」に落ち着くのがいいんだと思います。でも商業媒体の場合、「届かせる」ために、そこのところではちょっと楽をしてしまうこともありますね。@namaiyouheif RTもっと言えばだれでもない人のために書くのでは?
2011-05-20 12:18:49私もそれが「批評」の役割だと思います。@tkr2000 記憶が定かでないのですが、ゴダールだったかトリフォーだったかの言葉で「厳しい映画批評こそが映画を良くすることができる」と言った人がいます。映画業界では映画批評は将来の映画、ひいては映画業界全体 #eiga
2011-05-20 12:20:16これはいい加減なイメージで書くが「批評」は単体でも意味があり、歴史的価値が出る場合もある。「書評」のほうは群で存在することに意味があるような気がしている。「読み」が一つではなくて多数ある豊かさに、今の私は価値を見出している、ということだ。
2011-05-20 12:25:55書評に関心のある方、杉江松恋さん( @from41tohomania )が素晴らしい書評考ツイートを連投しています。ぜひ、ご一読を。
2011-05-20 12:27:49宣伝になってしまうけど、今月号の「問題小説」に早見和真『砂上のファンファーレ』、桜庭一樹『ばらばら死体の夜』、津村記久子『ポトスライムの舟』の三冊書評を書いた。書いた後で読み返し、わりと気に入った書評。作品との距離の取り方に失敗することがよくあるが、これは成功したと思う。
2011-05-20 12:28:10作品との距離の取り方は本当に難しい。好きすぎて何を言っているかわからなくなってしまう書評は残念だし、気取って距離を取りすぎ、無味乾燥になってしまうこともある。つかず離れずの距離を模索して、うまく位置が決められたらその時点で書評は完成しているといってもいいと思う。
2011-05-20 12:30:14