マスメディアからマンメディアへ。そんな時代、個の発信こそがキーポイントに
2012年3月26日(月) 7:52:49
なんだか思いもよらず連載になってますがw
先週先々週とわりとハードだったせいか、土日はほとんどぶっ倒れてて更新できず。ようやく今日です。
さて、今日は4つめ。
最初の「ネットで『個』を発信できるのは、当たり前なことではなく、実にラッキーなこと」、ふたつめの「組織や肩書きに頼らず『自分』を晒して生きるということ」、そしてみっつめの「人はわかりあえっこないからこそ、たまたまわかりあえたときに強い『共感』が起こる」、それぞれにたくさんの反応をどうもありがとうございます。
ちなみに前回の共感論に近いことを、ちょうど小島慶子さんも同じ時期に言っていた。「『あなた』に向けてしゃべっています−小島慶子インタビュー」
これ、とてもよくわかる。
ボクの前回のブログに近づけて話をすると、「組織のポジション・トーク」をするアナウンサーと、自分自身を出して「個の発信」をするパーソナリティの違い。要は「あなた自身」を出せば出すほど共感が獲得できる、ということだ。
って、またそっちを話を戻すと長くなるので、今日の話。
前回の最後に書いたように、「この『個』の時代、企業という組織はどう発信していけばいいのか」について、短く書いてみたい。
このテーマ、とても難しそうでいて、実はシンプルだと思っている。
要するに「情報が伝わるプラットフォームが『マスメディア』から『マンメディア』に移ってきた」ということさえ理解すればいいのだと思う。
マスメディア全盛時代、発信は限られた人や企業のものだった。
それがネットの登場で、有史以来はじめて個々の生活者の手に渡った。生活者が自由に発信できるようになった。それがいかにラッキーなことであるかは前に書いた通り。
で、ホームページ時代、ブログ時代を経て、ソーシャルメディア時代になってきた。
この時代、なによりも「個であること」が大切だ。なぜならソーシャルメディアは「個」と「個」のつながりで出来ているから。これも前に書いた通り。
そして、情報も、この「個」と「個」のつながりを通じて広がっていくのがこの時代である。
これを「マスメディア」ならぬ「マンメディア」とボクは呼んでいるのだが(まぁダジャレです)、マンメディアの特徴は、いままで独占的発信者だった企業やメディアのコントロールが効かないこと。
いままではある程度計算ができた。コントロールもできた。
主導権は企業側にあり、たとえばマスメディアでこのくらい情報を流せばこのくらい世の中に広まる、とかある程度予想がついた。
でも、マンメディアがプラットフォームになるとき、「このくらい流せば」という「量」ではもう予想がつきにくくなる(超大量ならまた別)。
なぜなら、このプラットフォームで情報を世の中に広めたいなら、生活者に広めてもらわなければならないからである。主導権は生活者側にある。企業側にはない。そして、生活者に広めてもらうには、彼らの「共感」を獲得しなければならない。
「個」と「個」のつながりで出来ているソーシャルメディアでは、「個の共感」が流通貨幣だ。「個」の発信を受けて、相手の中に共感を探しに行き、共感したあとその共感を自分の友人・知人に伝えたくなる。そうやって情報は広がっていく。(←正確に書くと例外はいろいろあるが、論を短くするためにここでは言及しない)
もちろん、企業の発信でも共感は獲得できる。
でも、それは組織としての発信や、“「組織」人” のポジション・トークではなかなか難しい(このことについては前に書いた通り)。「個」の想いや意見が前面に出ないと、そこに共感は生まれにくい。
もちろん、企業が作ったCMなどの発信で共感を獲得することもできる。でも、それが「個」の想いがまぶされていない最大公約数的発信だと、共感を獲得するのはかなり難しくなるだろう。
つまり、企業の発信においても、企業という組織体からではなく「企業の中の個からの発信」がキーポイントになってくると思う。
そう、企業の発信術は、限りなく「個の発信術」に近くなる。
近くなる、というか、そうしないとマンメディアに広まりにくくなる。
そうして話は2回前の「組織や肩書きに頼らず『自分』を晒して生きるということ」に戻るわけですねw
自分を晒し、個の発信をする「組織」人が、これからの企業の宝になると思う。