【私の一人暮らし】街を変えて人生を変える。サニーデイ・サービスの田中貴が選んだ街

公開日:2018年3月13日

『傷だらけの天使』の街で驚異の格安物件を見つけた

バンドと恋人を失い、一人になった時に引越しを決意|【私の一人暮らし】サニーデイ・サービスの田中貴が選んだ街
バンドと恋人を失い、一人になった時に引越しを決意

ミュージシャンの僕が選んだのは世田谷区だった

数年前、人に話すと必ずドン引きされる部屋に僕は住んでいた。場所は代々木。新宿と渋谷の間、よほど裕福な人じゃないと住む街の選択肢には挙がらない場所だ。

それまでは、ずっと世田谷区だった。下北沢から近く、ライブハウスの多い新宿や渋谷へもアクセスしやすいことがミュージシャンにとってはベストなのである。そんな、上京以来慣れ親しんだ世田谷から、どうしても離れたくなった。

2000年、29歳の時にバンドが解散した。その後、何かを埋めるように頼まれた仕事をなんでも引き受けていた僕は、ほとんど家に帰れないほどの忙しさだった。当時付き合っていた女性とも会えなくなり、彼女は呆れて僕の元を去っていった。バンドと恋人を立て続けに失い、僕は完全に一人になってしまった。

心安らぐはずの見慣れた街並みは、何かを思い出させて僕を苦しめる存在になった。このままでは悲しみに押しつぶされると思った僕は、引越しすることを決意した。何の思い出もない、知らない街に。

格安という言葉に引かれて……

部屋探しを始めてしばらくすると、目を疑う格安物件がヒットした。代々木駅近くの新築で、家賃は相場の3分の2。それまでの部屋と同額で広さは1.5倍。先を越されてはマズイと不動産屋に即電話し、翌日朝イチで、まだ工事中の物件を無理やり内見させてもらった。

その部屋には、普通の人なら絶対に選ばない重大な条件があったが、僕は即決した。この街に住めば、思い出から離れられる。

「今度の部屋、地下室なんだよ」

「あぁ、あるよね、半地下って」

「いや、それが〝完〟地下。完全な地下室ね」

「え……」

窓を開けると、目の前は壁。ベランダは吹き抜けで、見上げると外の光は感じられるが、部屋では昼か夜かいまいちわからないし、猛烈な土砂降りでも気付かない。

相変わらず仕事が忙しく、部屋にいるのは寝る時だけという僕には全く苦にならなかった。何せ、ギターやベースを結構な爆音で弾いても、誰からも何も言われない。代々木という街もバッチリ。終電を気にする必要はないし、「呼べばすぐ来るから」と飲み会に誘われることも多くなり、交友関係は一気に広がった。

今でも残る、テレビドラマ『傷だらけの天使』のオサムとアキラが住んでいたビル近くという立地もたまらなかった。

新宿ゴールデン街で明け方まで飲んだ帰り道、1930年創業のパン屋さん「文明軒」に寄って、オバちゃんと世間話をしていつものパンを買い、エンジェルビルの前をフラフラと歩く僕の頭の中には『傷だらけの天使』のテーマ曲が流れていた。

無意識のうちに日光を求める僕

僕にとっては最高の物件だと思っていたが、数年間住むうちに機材やレコードが増えて手狭になっていた。不動産屋に就職した友人と再会したこともあり、再び部屋探しをすることになった。

「広くて安けりゃ何でもいいや」

「全力でいい部屋探しますよ」

数軒目のマンションを見に行った時、友人が腹を抱えて笑い始めた。「長年この仕事してますけど、こんな人初めてですよ」と。

僕自身は無意識だったのだが、物件に入るやいなや、玄関やバスルームなどには目もくれず、一目散にリビングのカーテンを開けて日当たりを確認していたのだ。完全に光に餓えていたのである。

結局決めた物件は、大して広くはないが、抜群に眺めの良い真南向きの物件。親や友人たちも、やっと健康的な生活を送れるねと、みな一様に安心してくれた。ただ、新居はさらにゴールデン街に近づき、生活パターンは相変わらずだったりするのだが。

文=田中貴
イラスト=ナカオテッペイ

田中貴
ミュージシャン、サニーデイ・サービスのベーシスト。バンド活動以外にも声優アイドルユニットやボーカロイド作品などのプロデュース業も精力的に続けてきた。アニメ『ラーメン大好き小泉さん』(TOKYO MX1ほか)では劇伴音楽を担当している。
Twitter:@TAKASHI_TANAKA_

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田中貴

※「CHINTAI2018年3月号」の記事をWEB用に再編集し掲載しています
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