「なにげに」気づいた「なにげない」新語法

(第289号、通巻309号)

    なにげなく(何気無く)テレビのスイッチを入れたら、ロンドン五輪の女子柔道57キロ級で松本薫選手が日本初の金メダルを取った場面だった――この文章の冒頭の「何気無く」の「無」を省いて「なにげ(何気)」とした場合、少々違和感を覚える人はいるにしても、意味は十分通じるだろう。

    しかし、国語辞典で「なにげに」を見出し語として正規に立項し、認知しているものはほとんどない。新用法に寛容な『明鏡国語辞典』第2版(大修館書店)ですら「なにげない」の見出しの語義の後に〔注意〕として「近年、『何気なく』『何気なしに』を「何気に」と言うが、誤り」とキッパリ断定し、『新明解国語辞典』第7版(三省堂)も、「何気無く」を「何気に」というのは誤用、と同様の注記を加えている。

    『岩波国語辞典』第7版によれば、「何気ない」の項で「これの副詞的用法「何気無く」を「何気に」と言うのは1985年ごろからの誤用。同じ出版社の『広辞苑』は、「何気に」の見出しを立てているものの、「『何気無い』」の連用修飾の形として『何気無く』『何気無しに』というところを、1980年代から、誤って使われ始めた語形」としか触れておらず、「何気に」という言葉の新しい意味にまでは言及していない。実際には、単なる言葉の短縮形ではないのである。

    「何気なく(い)」は、「とくに考えもなく。なんとなく」とか「無意識に。ふと」とかいうのが本来の伝統的な意味だ。ところが近年、若者たちの間で使われているのは、「(表面は、なにげない様子で)意外に。わりあいに」ということを原義に《注》、そこから派生した様々な用法だ。

    典型的なのは「この本、なにげに面白い」「その服、何気に似合うね」といったような使われ方だ。ネットで検索したところでは、「何気に」の意味として、「想像以上に」「実際には」「なかなか」「かなり」「結構」「ちょっと」「さりげなく」「それとなく」などという多くの語義が載っている。例えば、ブログの冒頭で例に挙げた松本選手で言えば、試合中はヒョウかオオカミを思わせる野性的な顔の表情が、試合を終えて畳を降りると「何気に可愛い笑顔」に一変する、という言い方もできるわけだ。

    が、この多義語、各世代に広く定着しているとは言い難い。用字用法の上でも「何気に」「なにげに」「何げに」と色々用いられており、まだ一定していない。言葉は時代と共に変化を繰り返していくものとすれば、この語はまさに変化の過渡期の入り口にある。


《注》 私が知る限りでは辞書で「何気に」を見出しに採録しているのは『三省堂国語辞典』第6版だけ。同書で第二義(下記のコメント参照)、つまり語義の2番目に挙げてられているのが、この「意外に。わりあいに」である。