名字の不思議な勢力分布、都道府県別ランキング
編集委員 小林明
1 | 佐藤 | 約199万人 |
---|---|---|
2 | 鈴木 | 約190万人 |
3 | 高橋 | 約147万人 |
4 | 田中 | 約134万人 |
5 | 渡辺 | 約120万人 |
6 | 伊藤 | 約115万人 |
7 | 中村 | 約108万人 |
8 | 小林 | 約106万人 |
9 | 山本 | 約102万人 |
10 | 加藤 | 約92万人 |
名字には不思議な勢力分布があるそうだ。
大まかにいうと、東日本には「佐藤・鈴木」が多く、西日本には「田中・山本」が多いという。しかも、その境界を探ると、味覚の文化圏と同様に、関ケ原や飛騨山脈・親不知を結ぶラインで東西に分かれるという構造が浮かび上がる。
表1は明治安田生命保険が2008年8月に同社の保険加入者約612万人を対象に実施した全国名字調査の結果である。1位佐藤、2位鈴木、3位高橋……。10位の加藤まで、日ごろよく見慣れた名字がズラリと並ぶ。
この名字の分布を都道府県別に調べると、どうなるのだろうか。
それを分かりやすく地図上に示したのが図2である。都道府県ごとに最も多い名字をそれぞれ調べると、「佐藤」が北海道・東北で、「鈴木」が関東・東海で、「田中」が近畿・山陰・九州で、「山本」が北陸・近畿・中四国で、それぞれ一大勢力圏を形成しているのが分かる。
なぜこんな勢力分布が生まれたのか?
その理由を探るため、名字研究家として知られる森岡浩さんを取材した。
「ざっくり言うと、名字は佐藤・鈴木が多い東日本型と、田中・山本が多い西日本型に大きく分かれます。その境界は日本海側では飛騨山脈と親不知の断がい、つまり新潟と富山の間になる。一方、太平洋側は岐阜県の関ケ原あたりになると考えられます」。森岡さんはこう解説する。
たとえば境界線にあたる新潟と富山の名字ランキングを比べると、興味深い"断層"が読み取れるという。
表3を見てほしい。
これは都道府県ごとに多い名字の上位5位をまとめたものだ。東日本には「佐藤」や「鈴木」が多く、西日本には「田中」や「山本」が多いことが分かる。
その境界はどうなっているのか?
新潟と富山の名字ランキングを見ると、それぞれの傾向がガラリと変わる。
新潟では1位が「佐藤」、5位が「鈴木」。これは東日本型に属する。同県で2位の「渡辺」や3位の「小林」も東日本に多い名字だそうだ。(ちなみに4位の「高橋」は東西を問わず全国で多い)
一方、富山では1位が「山本」、5位が「田中」。これは西日本型に属する。同県で3位の「中村」や4位の「吉田」も西日本に多いらしい。つまり、飛騨山脈と親不知が名字の勢力分布の明確な境界線になっているのだ。
次に太平洋側を調べてみる。
愛知では1位が「鈴木」。これは東日本型が優勢であることを示している。(5位が「山本」なので西日本型も一部混入している) これが岐阜となると1位が「加藤」、2位が「伊藤」、三重となると1位が「伊藤」、2位が「中村」。岐阜・三重ともに東西どちらにも明確に色分けできない"中間型"に変化する。(詳しく言うと、三重は3位が「田中」、4位が「山本」で西日本型が一部混入している)
さらに、これよりも西方の滋賀・京都になると1位が「田中」、2位が「山本」。和歌山・奈良になると1位が「山本」、2位が「田中」。どちらも明かな西日本型に移行する。つまり、太平洋側では関ケ原の周辺に境界があることが分かる。
「北アルプスとも呼ばれる飛騨山脈と、それが日本海に突き出した断がい絶壁である親不知は昔から人の行き来がしにくい交通の難所だった。関所が置かれた関ケ原も文化圏を隔てる垣根として機能した。このため、名字の東西の分布の境界線になったようだ」。森岡さんはこう続ける。
以上、これまで、このコラムで紹介してきた和風カップめんやおでんのつゆ、スナック菓子の味などに見られる実態とほぼ合致する「東西の境界線」が、名字の勢力分布でも再び浮かび上がったわけだ。
それでは、なぜ「佐藤」と「鈴木」が東日本に、「田中」と「山本」が西日本に多くなったのだろうか? この質問をぶつけると、森岡さんが大胆な仮説を披露してれた。
まずは全国で最も多い「佐藤」について。
森岡さんによると、「佐藤」は藤原氏の末裔(まつえい)だという。平安時代中期に藤原公清(きみきよ)が左衛門尉(さえもんのじょう)となり、それ以後世襲したため、左衛門尉の「左(佐)」と藤原の「藤」を合わせた名字「佐藤」が生まれたらしい。さらに、朝廷の職位で上から2番目を「佐(すけ)」と呼ぶので、代々この「佐」を務めた藤原氏も「佐藤」を名乗るようになった。
こうして下級官僚クラスの藤原氏が次々と「佐藤」を名乗って新天地である東日本に移り住むようになり、徐々に広がったという。
「『佐藤』という名字で大名になったり、公家や主要な神官になったりした例はあまりない。一般に家臣が主君と同じ名字を名乗ることはしないので、『佐藤』はトップの地位ではなかったおかげで増え続け、その結果、日本で最も多い名字になったのでは」と森岡さんはみる。
明治安田生命保険の調査によると「佐藤」が1位だったのは北海道、岩手、宮城、秋田、山形、福島、新潟、徳島、大分の9道県。東日本での多さが目立つ。
ただ、ここでちょっと気になるのが、西日本である徳島や大分でも「佐藤」が第1位と多いこと。図2を見ると、東日本から離れた"飛び地"のような分布になっている。
実はこれにも秘話がある。
源平合戦の際、平家方についた多くは西日本の武士だったが、合戦で敗れると、平家方の武士の領地の多くは没収され、特に徳島と大分では源氏方の東日本の武将たちに分け与えられた。東日本の武将はこれらの土地に一族や郎党を派遣し、統治するケースが多かったらしい。そのために、西日本でも徳島と大分では「佐藤」が多く残ったというのだ。
全国2位の「鈴木」はどうか。
「鈴木」のルーツは紀伊半島の熊野だとされる。この地域では刈り取った後の稲わらを積み重ねたものを「スズキ」と呼んでおり、「鈴木」は稲作と関係の深い名字だった。やがて「鈴木」の名字は熊野信仰と結びつき、山伏とともに全国に広がった。この過程で最も栄えたのが三河の「鈴木」一族だった。三河で生まれた徳川家康が天下人となり、江戸に本拠を構えると、家臣の「鈴木」一族もこれに大挙して従い、東海から関東地区に多く移り住んだというわけ。
調査で「鈴木」が1位だったのは茨城、栃木、埼玉、千葉、東京、神奈川、静岡、愛知の8都県。確かに東海、関東に多い。
では、全国1位と2位の巨大勢力である「佐藤」と「鈴木」は、なぜともに東日本に多いのだろうか?
これは、歴史の長さや古代中世における人口密度などの違いにより、西日本の方が名字の種類が相対的に多く、分散する傾向が強いのが原因らしい。だから逆に、東日本の方が名字の種類が少なく、1名字あたりの人口が多くなる傾向が強い。このため、東日本で多い名字の方が、全国ランキングでもより上位にきやすいというのだ。
これに続き、なぜ「田中」と「山本」が西日本に多いのかの秘密に迫ってみる。
西日本に多い「田中」と「山本」はともに地名から取った名字だそうだ。
では、まず「田中」の歴史についての解説から始めよう。
「かつて日本の社会経済はコメを基準に成り立っており、水田は富の象徴だった。このため『田』がつく名字が増えた。しかも家を中心に水田を整備するのが一般的だったため、『田』がつく名字のなかでも、『田中』が最も多い名字として広がった」。森岡さんはこう説く。
調査で「田中」が1位だったのは滋賀、京都、大阪、兵庫、鳥取、島根、香川、福岡、佐賀、熊本の10府県。これらが西日本で多いのは、東日本に比べてより温暖で稲作が盛んだったためだと考えられている。
「山本」についてはどうか。
「山本」はもともと山の麓(ふもと)という意味で、古代では平野の真ん中よりも山のたもとに住む方が普通だった。谷あいの農村地帯では、川に近い部分が水田として整備され、山の麓に家を建てることが多かった。こうした日本の原風景から、「山本」という名字が生まれたのだ。
余談だが、宮崎から鹿児島にかけては「山元」という名字が多いらしいが、ルーツは「山本」と同じだという。
調査で「山本」が1位だったのは富山、石川、福井、奈良、和歌山、岡山、広島、山口、愛媛、高知の10県。「山本」も全国的に多い名字だが、「田中」と同様、より温暖で稲作が盛んだった西日本に多く広がったと考えられている。
様々な歴史のロマンや痕跡が読み取れる名字の勢力分布――。皆さんも名字から自分のルーツをさかのぼってみてはいかがだろうか?
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