(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

生肉を失うことで、やがて刺身を失う

あまりに予想通りの展開で、絶賛萎え萎え中であります。

生肉を提供する業者に対して、肉の表面だけを加熱して殺菌することを義務づける方向で検討することになりました。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110628/t10013826691000.html

生肉終了のお知らせ。

基準を守らない業者には営業停止などの罰則を適用することにしています。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110628/t10013826691000.html

そして公権力の規制という錦の御旗。
しかも、内蔵、とりわけレバーもアウツ。

今後の議論次第では、飲食店での生レバーの提供が禁止される可能性も出てきた。

http://www.47news.jp/CN/201106/CN2011062801001217.html

おお、愛しのレバ刺しよ。

この日の会合では複数の委員が「生レバーが原因の食中毒が相次いでいる。何らかの規制が必要だ」と主張した。

http://www.47news.jp/CN/201106/CN2011062801001217.html

「食中毒が相次いでいる→規制しよう」というこの安直さに、慨嘆するばかり。
基本的には「危ないものは食わすな」というお上のお達しで、その国民の安全を願う根本的な心音までを否定するつもりもないけどさ、しかしそんなことでいいのかね。「危なくても食いたい」愚行権とか、「危ないものを安全に食べさせる」食の知恵とか、そういう配慮はなしかね。
このままだと「闇ユッケ」「闇レバ刺し」が登場して、かえって弊害が出る懸念もあり。アメリカにおいての禁酒法下のような。良かれと思って規制した結果、いろいろカオスとか。
あと、さらに困るのは、これをきっかけに生食全体がアウツになってしまう可能性があると思うんだよな。肉の生食を規制した結果、同じようなことが別の食品に起きた場合に、本件が前例となり、規制の整合性をとるために、あれやこれやもダメになる。
例えば魚ではどうか。野菜ではどうか。

前にもリンクを貼ったけども、例えばヒラメではこんな事例がある。

野菜だと、先般ドイツで大規模な食中毒事例があったけども、この事例同様、生のスプラウトかいわれ大根とかもやしとかの新芽を食べる野菜)が疑われている。
……ここで質問。ユッケで事故があり、生レバーにも問題がありそうだから、肉の生食全体を規制すると。
では、ヒラメは規制しなくていいのか? スプラウトは? 魚の刺身はいいのか? サラダは大丈夫か?
俺が思うに、ユッケやレバ刺しを禁じるならば、ヒラメもアウトだし、スプラウトもアウトだと思う。どれも生食の危険性を伝える話ではあるから。
違いがあるとすれば、その危険性が事件として、日本で現実に起きたか否かではあるけども、ヒラメに関しては死亡者はいないまでも被害者はいるわけだし、スプラウトに関しては大規模な食中毒に発展している。ともに今後、日本で死亡者が出る可能性がある。
今は日本で死亡者が出ていないからセーフ。では死亡者が出たら?
こうなると、いよいよもって規制を阻む理由がないし、あれもダメ、これもダメになる。食の自由がなくなり、いちいちお上に「食べてもよいもの」を確認しなくてはならん。
俺はそんなの嫌ですね。食の自由がない生活なんて、ちっとも文化的でも何でもないと思いますし。
「俺は生肉食わないし」「レバ刺し食べないから」みたいな感じで「俺には関係ない」と思っている人が多いかと思いますが、そういう態度で自由を狭める動きを容認していると、やがては自分が必要としているものを失うことになる。

彼らが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった、
私は共産主義者ではなかったから。


社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった、
私は社会民主主義ではなかったから。


彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった、
私は労働組合員ではなかったから。


彼らがユダヤ人たちを連れて行ったとき、私は声をあげなかった、
私はユダヤ人などではなかったから。


そして、彼らが私を攻撃したとき、
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった。

彼らが最初共産主義者を攻撃したとき - Wikipedia

大げさかも知れないけど、こう読み替えるといい。

彼らがユッケを規制したとき、私は声をあげなかった、
私はユッケ好きではなかったから。


レバ刺しが禁止になったとき、私は声をあげなかった、
私はレバ刺し好きではなかったから。


彼らが鳥刺しを攻撃したとき、私は声をあげなかった、
私は鳥刺し好きではなかったから。


彼らが野菜の生食を止めたとき、私は声をあげなかった、
私は野菜好きなどではなかったから。


そして、彼らが魚の刺身を攻撃したとき、
刺身のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった。

たかが生肉。されど生肉。生肉を失うことで、あなたの好きな何かを奪われる日が近づく。